その15 『幻想の国』へ5
「……「剣帝」ってのは確か……」
「最後の真打ちですわ。ほら、隻腕で、いつも鉄扇を広げている女がいるでしょう」
ああ。
如月はピンときた。あいつか。
何度かエレメンタリアの本部ですれ違ったことがある。隻腕に加え、隻眼。着ている剣装は他の真打ちと比べ痛みが激しい。
「奴隷を買って技を試したりしてるんですよ。無論真剣で」
「そりゃひどい」
「うちの孤児院の子も、何人か犠牲になったらしいですわ。かなり昔の話ですがね。当然わたくしが副院長になってからは、そんなこと当然なくしましたが」
だが、これはおそらくほんの一部であろう。アイリスは推測していた。それこそ非人道的で、凡そ人間らしくないことを、もっとたくさん行っているはずだ。
何より剣帝ドレッドは帝国出身である。もともとそちらに奴隷として売られたトラウマのあるアイリスは、それだけでいいイメージがない。
「わかった。ありがとう。しかし、そんなのが真打ちなのか」
「セーラさんの推薦だったのですがね、こればっかりは、真意はわたくしにもわかりかねますわ」
現真打ち六人────すなわちセーラを除いた全員は、セーラ自身が勧誘したものだ。
彼女の人選に間違いはない。と信じたいが、しかし「あの人物」に至っては自信がない。
「ドレッドはどんな剣を遣う? いや、打ち合おうとは思わん。念のためだ」
「それはわたくしにもわかりませんわ。そもそも真打ち同士の稽古にもほとんど参加しませんし、日々の事務もほとんど真面目にやってないのですから」
喧嘩をふっかけるわけにもいかない。とはいえ如月は、剣術家として純粋に興味があった。
「あ。ただ……」
アイリスはしかしそこで、ちょうど伝聞したことを思い出した。
確かセーラが言っていたことだ。
「もし本気でドレッドと斬り合うなら、初太刀は必ず避けるように、と言われています」
実際にセーラは本気のドレッドと斬り合っている。言葉の信憑性は確かと思われた。
「……初太刀を……」
如月は思考する。
凡そ真打ちらしくない、粗暴なふるまいを行う、片目片腕の剣士。
今のアイリスの言葉に、ドレッドの超人的な剣の片鱗を見た気がした。
***
剣征会本部────その屋上。
地盤が緩いため、エレメンタリアは高い建物が少ない。この場は遮蔽物がなく、国土を一望できた。
オリハルコンの剣を背に帯に、セーラ・レアレンシスは眼下の景色を見やる。今にも雨を落としそうな分厚い雲が、その頭上を覆っていた。
「……それはおそらく……」
そんな無言のセーラを、ソラは銀色の目で見つめる。
金網に寄りかかり、緩慢な動作で腕を組んだ。
「まちがいないですね。「歌姫」の影響でしょう。少なくとも私の知ってるセーラ・レアレンシスは、たとえ意見の食い違いであれ、同僚に真剣を向けたりはしません」
数時間前の話である。事件は二つ起きた。
一つは「喫煙所」の敗北だ。ドレッド・ダークスティールと交戦していたジェシー・〝G〟・ジェイムズは、次の瞬間には利き腕の複雑骨折と全身打撲、多量の内出血に見舞われ、救護に担がれていた。
二つ目の事件は、その直後である。なお追撃を仕掛けようとするドレッドを、セーラが止めたのである。
「もうその辺にしとけよ。というかさすがにやりすぎだろう」
しかしドレッドは剣を収めなかった。
「何、先に仕掛けたのはむこうだ。だいたいあんな馬鹿でかい機関銃見せられたんだ。こっちだって相応の例は返すさ」
しかしセーラも譲らなかった。斬り結ぼうとするドレッドを制して、そのまま引き返そうとする。
万一のことを考え従者に「エリュシオン」を持ってこさせ、背に帯びていた。今考えると、これが少々まずかったようだ。
ジェシーをかばってそのまま去ろうとするセーラの背中に、おどけたようなドレッドの言葉が飛んだ。
「おうい、待てよ剣将殿。そうだ、やるからには力尽くで止めてみな」
「冗談じゃない。真打ち同士が斬り合えるもんか」
「は、おい聞いたかよ。そんなくだらん理由で逃げる気か」
「そう思うんなら、そう思ってもらって構わんさ」
そのまま事実として、セーラは足を止めるつもりはなかった。
背にオリハルコンを帯びているのも万一のためだ。万に一つ、警戒、兼(ほとんど意味はないが)ドレッドに対する威嚇を込めて。
ところがである。
一度ばさりと黒い外套をはためかせて告げたドレッドの言葉に、ピタリとセーラの足が止まる。
「弟が死んだ時のように、逃げる気かい」
がらりと周囲の気温が下がった─────と、ソラは目撃した隊員から聞き及んでいる。




