その14 幻想の国へ4
「それで……ああわかった。後で……後で読んでやる。後で読んでやるから。それより、聞きたいことがあるんだ」
「…………なぁに」
ロロはクッションを抱くとそのままごろりと横になった。
人が見ているとととても「警護」しているようには見えなわけだが、自身を中心として円形に「静の剣気」を発動している。
エクスの話をのんびり聞きながら、一方でこの図書館全域の人員を把握していた。
「実は、セーラ隊長の話なんだけど」
彼がそう言った瞬間、ロロのツインテールを弄る手がぴたりと止まる。興味なさそうにしていた彼女は、弾かれたように素早く起き上がった。
「…………セーラさんがどうかしたの」
「いやなに、どうもしてないんだけどさ。その……最近セーラさん、変わったところはないか」
「…………どうしてそんなことを」
聞くの? というような顔を、目の前の切り込み隊長はしている。
わずかに小首を傾げた彼女を、ところがエクスは片手で制した。「いや、本当に深い意味はない」
「ただ最近忙しかったから、大丈夫かなと思ったんだ」
「…………大丈夫よ。セーラさんはそんなにやわじゃないわ」
特に変わった様子はないと、ロロは断言した。
なるほどおそらく一番親しいであろう彼女の言葉には説得力がある。
───今の所、「歌姫」は発現してないか。
彼は思考した。「主」の言葉によると、「歌姫」は対象の「悪意」を増幅する。
歌い出せば善を喰らい殺人衝動を吐き、まるまる人を変えてしまうというのだ。時間差で少しずつ少しずつ。いま現在それはセーラの肝臓下部で眠っている。
「セーラさんと斬り合ったことは?」
ロロは頷いた。「…………アルカトラズで」
まだ彼女が剣士ではなく人斬りであった頃の話である。当時を思い出しているのであろうか。彼女は目を細めた。
「…………素晴らしい時間だったわ」
「ふうん、素晴らし……えっ?」
「…………官能的で、それでいて美しい。セーラさんが剣を振る姿は、もう芸術よ」
「はあ。あの、そしたら、もし、だ。仮の話なんだけど。もしセーラさんに殺されるようなことがあったらどうする? あのオリハルコンの剣で、本気で」
エクスは恐る恐る尋ねた。ロロは一瞬キョトンとしていた。質問の意図がわからなかったのだろう。
しかし意味は理解できたらしく、彼女は自分の手で肩をかき抱いた。
「…………夢のようね」
濁った目が宙をぽかんと見る。
視線はエクスの背後の本棚に向けられていたが、その紫の目は何も見ていない。もっと言うと、エクスの言葉を連想し、そこにいる幻覚のセーラを見ていた。
オリハルコンで自分に斬りかかる第一真打ち、〝剣将〟を。
「…………いいわぁ。疼いてくる。殺されたいわね……セーラさんに。……セーラさん、セーラさぁん」
これはいけない。いや言いたいことはわかった。
礼を言うと、そそくさとエクスは詰所を後にした。
***
「如月さんは、本など読まれるんですの?」
「いや、あまり。せいぜい剣術書くらいかな」
真新しい深緑色の羽織に身を包んだ如月 止水は、大きな図書ギルドの本棚にぎっしりと積み込まれた新書を眺めていた。
隣にいるのは二人目の真打ち、〝剣姫〟アイリス・アイゼンバーン。その炎のような赤い瞳は、いま現在「お菓子の作り方」という料理本に向けられていた。
「なあアイリスところで……ん? 御主、菓子なんか作るのか」
「ええ。下手ですがね。どうにも火加減が難しくて、この間クッキーを焼いたのですが、消し炭みたいになってしまいました」
棚に戻すと、二人は前に出た。幻想の国で一番大きな通りだ。今は「ファンタジア祭」の前祭中ともあり、さらに活気付いている。
石畳の道路は人々で溢れていた。露店はほぼ全て本────新書から古書まで様々である。
「ふうん、ところでアイリス、あの、セーラのことなんだが」
「セーラさんがどうかしまして? え? 最近変わったことはないか? そうですわね……」
やはり、如月の質問が予想外だったのだろう。アイリスは一旦意外そうな顔をした。
が、ややあって首をふる。「特には」
「そうか」
「セーラさんがどうかしまして?」
「いや、何最近忙しそうだったからな」
ちょうど向かいから歩いてきた別の隊員がアイリスに会釈する。
彼とすれ違ってからところが、ふと思いついたように顎に手を置いた。「ああ、ただ……」
「何かあるのか」
「いやたいしたことではないんですがね。最近セーラさん、稽古を熱心になってらっしゃいます」
「稽古を……?」
「ええ。それも「エリュシオン」……つまりオリハルコンを使ってですね。違うといえばそのあたりでしょうか」
いつもは怪我をしないよう、竹で作った模擬剣で行うのだが……ちょうど「剣魔」とのゴタゴタが終わった後のことだ。
如月は眉をひそめた。
「今セーラは真剣で稽古を?」
「ええ。無論一人で、ですがね。真剣のセーラさんと地稽古なんてしようものなら、命がいくつあっても足りませんから」
「……」
「どうかしたんです?」
「い、いやいや! そうかありがとう。はは、セーラも頑張ってるんだなあ(棒)」
適当に取り繕ってから、如月はアイリスと別れる。
そのまま通りを彼女とは逆の方に歩いた。
──────ふむ、真剣を……
真打ちは滅多なことでは自身の愛剣は抜かないという。
彼、あるいは彼女らの武器は人を、国を守る「活人剣」だ。本当に必要な時……それは大切なものを守るためであったり、エレメンタリアの危機を救うためであったり、そういう場面に直面して初めて抜き払われるのである。
そして、再び納刀されるならば、その背後には何も残らない。もしくは誰も存在しない。
意味するところはただ一つ───────『危機は去った』。
そういう剣である。
他ならぬセーラが言っていたことだ。例え稽古とはいえみだりに真剣に手をかけては、そういう信念に反するのではないか。
「……間違いなく「歌姫」の影響だな……。やはり「主」の言っていたことは本当だったのか」
となると、早急にその「解除条件」を見つけなければならない。
何より厄介な点は真打ちに埋め込まれているという点である。それこそセーラ・レアレンシスが本気で暴れたら、ソラでもなければ止められないだろう。
そこまで考えていた時である。「あの、如月さん」。彼女は振り返った。今しがた別れたアイリスが、小走りに駆けてくる。
「失礼。他の真打ちにも会われるのでしょう?」
「ああ。挨拶くらいはしておこうかなと思ってる」
セーラの件もあるし……情報収集がてら今いる全員に話を聞くつもりだった。
無論「歌姫」のことは伏せた上で、である。
「いえ、それなら忠告を一つ」
それからアイリスは小声で如月に言う。その前に周囲を警戒し、聞き耳を立てられていないかやけに気を配っていた。
「どうした?」
「……「剣帝」にはお気をつけなさい」
耳打ちする。
「剣帝」の二文字を発した時、アイリスは心底嫌悪する様子であった。
次回更新は→9月16日(予定)




