その5 剣征会最強5
「俺とアープの付き合いは古くてな。一緒に自警団に入ったんだ。いわゆる幼馴染ってやつさ」
行きずりの司書に一体何を言っとるんだ自分の友人は、とアープは思ったが、それ以上突っ込むことはしなかった。
アロエもアロエでうんうん頷きながら熱心に聞いている。
どうやらこの二人は短い時間話しているだけであるが気があったと見えた。なるほど本にはこういう効能もあるのか。
「いくらなんでも遅すぎやしないか」
しびれを切らしたのはアープだった。立ち上がり周囲を見渡す。しかしやはり、そこにあるのは静寂のみ。
野次馬の喧騒とそれを整備するしたっぱの自警団を声を除けば、本当に全くの無音ということになってしまう。
さすがにそろそろ勝利の声が響いてくる頃であろう。向こう、すなわち図書館内部で空賊を生け捕りにしているとしても、いやに時間がかかりすぎだ。
「そういえば……端末の方にも何の連絡もないな。見に行くか?」
「ああ」
『自分たちと一緒に突入するな』とは言われたが、『ずっとここにいろ』とは言われていない。
アープは黒の山高帽を被りなおすと、ホルスターのリボルバーの位置を確かめる。いつでも抜けるよう掛け金を外すと、アネッタに目配せした。
「嬢ちゃん、また後でな」。彼は言う。それから近くの婦警を呼ぶと、そのままアロエを保護させた。
お気をつけて、という小さなアロエの声。
アープはチラリと彼女を見る。心配そうな彼女の黒い瞳は、さざ波のように揺れながらアネッタを見つめていた。
***
「いい子だったな」
「ずいぶんと話し込んでたじゃないか」
やはり図書館の敷地の中は静かだった。
幻想の国で一番大きな図書館だ。日光浴しながら本を楽しめるよう、広い庭が存在している。
その芝生を最短経路で歩きながら、アープはゆっくりとリボルバーを携えた。両手をグリップにやり、いつでも発砲できるように警戒する。
自分の相棒も同じように、片手でリボルバーを構えるのが見えた。
「実は、後で会う約束をしてきた」
「二人でか?」
「ああ」
お幸せに、とアープは軽口を叩く。それから正面玄関へ。
やはり、静かだ。それどころか人っ子一人いる気配はない。妙だな、と彼は思考する。だが突入したであろう土足の足跡はきっちりと存在していた。
アネッタとアープは油断なくあくびをしたくなるようにゆっくりとした足取りで歩を進めていた。角を曲がる時は必ず片方が先に周囲を確認し、一直線上に立たないようにする。
そのまま一階から二階へ。件の受付が、アロエが司書をしていた場所だ。
そういえば、とアープはアネッタを見る。
正確には彼の拳銃を。グリップ部分が電灯の光を鈍く、そして白く反射していた。
「まだパールグリップなんて使ってるのか。その拳銃は保安官に就任した時に送られた記念品だろう。正式に支給された方を使った方が取り回しもいいだろうに」
「ふん、そういうな。真珠には破邪の力が宿るって言うだろう。それに、デカくてインパクトがあっていい」
アープの拳銃に比べ、アネッタのそれは少々銃身が長かった。おまけにグリップ部分には、磨き抜かれた真珠がべったりと張りつけられている。
この銃を使って凶悪犯を捕まえる際、向こうの放った弾丸がことごとく反れたとかなんとか。それ以来アネッタは支給の実戦銃ではなく、こちらを好んでいる。
アープは目の前の親友がゲンを担ぐタイプだと、この時改めて思ったのであった。
二階。
おそらく戦場になっているであろうその場所も、やはり静寂。
「……これは一体」
「おい、見ろ!」
アネッタが指差す方向。
そこにはグッタリと横になる、先に突入した保安官の姿があった。
それだけではない。さらにその前方。こちらに背を向けて椅子に腰掛け、ページをめくる小柄な人影が見えた。
***
ほとんど反射的に、アネッタは銃口を向ける。
相棒のその動作を確認すると、アープは倒れた保安官の元に駆け寄った。自警団の長、アガーだ。
ごろりと彼の体を起こす。外傷はない。
「死んでいませんよ。眠っているだけです」
背を向けた人物が言う。アープはその背中に反射的に銃を向けた。
それから気づく。その傍だ。金属製の長い杖が立てかけられていた。先端が鳥籠のような形状に複雑に湾曲し、その中央に大きな水晶が浮いている。拍動するように青白く発光していた。
────魔法使いか。
アープは油断なく銃口を向けたまま立ち上がった。
アネッタが「何者だ!」と鋭く叫ぶ。殺気を乗せたその声に、ようやっと謎の人物はページをめくる手を止めた。
「……ゼオン・シンビフォルミス著、『永遠の書』」
だが振り向くことはない。代わりにその人物は言う。落ち着いた理性的な、そして女の声だった。
「面白いですねえ。ええ、私はフィクションはあまり好きではないのですよ。どうもこう、嘘っぱちと言うのがちらついてね。
しかしこの物語はとてもリアルです。主人公たちの活躍が、目の前に現れるようで」
「両手を上げてこちらを向け」
「おやおや」
ようやっとその人物は振り返った。椅子ごとだ。
綺麗に揃えられた黒髪。まず印象的だったのは、法衣のような緩やかなその服装である。魔法使いの一般的な正装であることを、アープは知識として知っていた。
────この女、やはり……
アープが考えるよりも早く、女は口を開いた。黒縁メガネをかけた、いかにも切れ者といった理知的な顔立ち。
「……初めまして。フィンフィア・ジュエルコレクトと申します」
「魔法使いがいったい何の用だ。アガーさんたちに何をした! 空賊はどこだ!」
アネッタは険しく問いかける。返答次第では発砲も辞さない勢いだ。
アープもまたアネッタと重ならないように、重心低く女を……フィンフィアを見つめていた。撃鉄はもう起こされている。普通より短いトリガープルで弾丸を発射できるのだ。
ところが、案の定というべきか。全くフィンフィアは動じた様子はない。背にかけていた黒いローブを取ると、袖を通さずに肩から羽織った。
「順にお答えしましょう。まず保安官の方々は眠っています。そうそう起きませんが。そして、空賊……?」
ああ、あれのことですか、とフィンフィアはちらりと視線を外す。
そちらを見ると……なんだあれは。無数の若草色の、なんらかの植物の葉が山積みに置かれている。
「……『ホムンクルス』という技術をご存じない。はあ、これだから魔力を持たない人間は……人造人間のことですよ。錬金術のね。
ああ、錬金術というのは、卑金属から貴金属を作り出す魔法のことです」
錬金術? アープが首をかしげる前に、ゆっくりとフィンフィアは立ち上がる。
それから傍らの杖に触れた。アネッタが叫んだのは、ほとんど同時だった。
「撃て!」
それまでの静寂が打って変わったかのように、無数の銃声が鳴り響く。図書館に似つかわしくない轟音。
マズルフラッシュとともに、アープは魔法使いの額に向けて二発引き金を引いた。
すぐ後ろから、アネッタは首元と心臓部に向けて発砲する。確実に殺すための撃だった。
しかし、
「……言ったでしょう。卑金属から貴金属を作る、と」
弾丸はすべてフィンフィアの足元に落ちていた。
攻撃を阻んだのは薄いダイヤモンドの壁である。ちょうどフィンフィアの前方に、まるで盾のようにせり出したそれ。
さながら魔法で加工された金剛石は、わずかな傷すらつけず弾丸からフィンフィアを守った。
「『空気』を『ダイヤモンド』に変えました」
杖を振る。
今度はそれと逆の操作をしたらしかった。ダイヤが空気に変わる。まるで霧散するかのように、鋼鉄よりも硬い壁は消え去った。
なるほど。
アープは思考する。ようは錬金術というのは物体を別の物体に変換する魔法のことなのか。
おそらくあの空賊たち……フィンフィアの言うホムンクルスとは、人造人間。つまりもともと空賊ではなく、『空賊として作られた人間』なのだろう。
こちらの考えていることがわかったらしい。フィンフィアは「明答」と短くアープに言った。
「だが、人間を作成して……あまつさえ操るなんて、並大抵のことじゃないぞ」
一方のアネッタ。彼はわずかながら魔法の知識があった。
命あるものを操作するのは膨大な魔力を消費する。主に召喚士が得意としていることであるが、だからこそ彼、あるいは彼女らはその魔法しか使えないことが多い。
一点特化にしなければならないほどに大変で、魔力を消費するのである。長く操ろうとすれば操ろうとするほど、だ。
それを目の前のこの魔法使いは、
少なくとも創り出した人造人間を、空賊として活動させ────あまつさえこうして図書館を襲わせ……
「ええ。全部私が操りましたが」
人間業ではない。
それだけではない。アロエをはじめとする図書館の人間が自発的に移動したのもおそらくこの魔法使いが原因であろう。
簡単な洗脳でもかけて、何らかの魔法で操作していたに違いない。
「ほほう。そちらの背の高い御仁は魔法にお詳しいようで。ええ、図書館の職員も私が操りましたとも。精神感応系の魔法は幻術士の専門なんですが、この程度の軽度なものなら私でもできます」
なんということはない、というようにフィンフィアは言った。謙遜などではなく、本当になんとも思っていないようだ。
アネッタは背筋をゾクりと震わせる。冗談じゃない。どれだけデタラメな魔力を有しているんだ。
「目的は?」
アープは銃口を下げながら尋ねる。自発的に武装を外したことに一瞬意外そうにするも、次の瞬間にはもうそれまでと同じ表情に戻っていた。
一度メガネを押し上げる。それからフィンフィアはもう一度、読んでいた本の背を撫でた。
「ゼオン氏の名作『永遠の書』。全部で10巻構成らしいですね。当時主人公が異世界に行く……いわゆる『ファンタジー小説』が流行していたらしいですが。
ところが彼の作品は斬新だった。主人公がただの異世界ではなく、『自分が書いた小説』の中で冒険をする」
「それがなんだ! テメェ、いったい何者だ!」
イライラと叫んだのはアネッタだった。
もう一度発砲する。案の定というべきか、今度は中空で生成されたであろう、重いダイヤモンドに阻まれる。話しながらでも術を使えるのか、とアープは眉間にしわを寄せた。
「物語は10巻で完結している。最後に主人公が元の場所に戻ってね。ところが─────」
そこでフィンフィアは振り向く。
なるほど彼女はこの膨大な書庫の中からその『目的のもの』を探しているらしかった。周囲には乱雑に放り出された本の数々。
閉架書庫の扉が開け放たれていることから、そちらも侵入したのであろう。再び無防備に背を向け留守の姿に、アープは一度銃をホルスターに戻した。
「───────『永遠の書』には幻の『第11巻』が存在する。それを探しているのですが」
「な、何をデタラメなことを! 永遠の書なら俺だって読んだ。10巻できっちり終わってる!」
言いながらアネッタは猛然とフィンフィアに突進した。銃撃が阻まれるなら、拳で倒すのみ。
「待てアネッタ!」止めようとするアープをそのままに、吠えながらフィンフィアに殴りかかった。
「ところでこの杖、『哲学者の杖』なんて言いましてね」
だが、
やはりフィンフィアは淡々としていた。眼鏡の奥の瞳は少しも揺らがず、鼻先に到達しようとしているアネッタの大きな拳を見つめている。
「一番錬金術を行いやすい作りなんですよ。こんな風に……」
だが、触れたのは鼻先ではない。フィンフィアの得物……『哲学者の杖』の先端であった。
相手が殴りかかるよりも早く、その複雑に湾曲した先が、脇腹を吐いている。
「『右手』を『焼き菓子』に変えましょう」
ぱきりと間の抜けたような音がアネッタの右腕から響いた。
「な……!!」
「アネッタ!」
駆け寄るアープ。彼を片目で見つめながら、ようやっとフィンフィアは立ちあがった。
黒いローブの裾が揺れ、『哲学者の杖』がこつりと地面を叩く。抑え込んでもまだ溢れる膨大な魔力の一端が、粒子状にフィンフィアの周囲を渦巻いていた。「接近戦なら勝てると思いましたか」
「……──────『賢者』を舐めないでいただきたい」




