その2 剣征会最強2
アニー・〝C〟・オークレイリ
ジェシー・〝G〟・ジェイムズ
ガラミティ・〝D〟・ジェーン。
つまるところ自分はこの3人と『幻想の国』で帝国軍を迎え撃つわけだ。もしも襲撃するという情報が本当ならば。
アープは剣征会の階段を登りながら思考した。どうやらここでは『幻想の国の保安官』だが、向こうに戻ったら『喫煙所の構成員』でいなければならないらしい。
階段を上がり3階へ。この階の南東の端が五番隊隊長、第五真打ち〝剣零〟レイ・セントポーリアの部屋ということになっている。リノリウムの硬質な床を、音を立たせながら歩いた。やがてたどり着く。
「……ここか」
ノックしてみる。が、出ない。あれおかしいな。
場所を間違えたのだろうか。いやそんなことはないだろう。セーラに教えてもらったのは確かにここでよかったはず……。
もう一度扉を叩く。やはり返事はない。周りを見回しても、今は昼の日中だ。ほとんどの隊士は見回りや警護に出かけているのだろう。誰かに尋ねられそうにない。
ところがその時だった。ちょうど背後から声をかけられる。
「何か用であるか」
「ん?」
振り返る。アープの目に入ったのは、片手にガラス瓶を持った一人の少女であった。年齢にしてだいたい成人する少し前くらいであろうか。
あめ色の肩ほどまで切りそろえられた短い髪が通風孔からの風にゆらゆらと揺れている。少女は瓶に入っていた琥珀色の粘性のある液体を、腰に吊るしていたスプーンですくう。ぺろりと舐めとった。
「レイ隊長はここにはおらぬよ。執務室の方に行かれておる」
少女はキャンディのようにスプーンを舐めていた。液体を全て下に乗せるともう一度瓶に突っ込む。
「そうなのか」
どうやら用事があってのことらしい。ならば日を改めるか待つか。
考えていると、さらに目の前の少女が言った。三回スプーンですくった時のことだった。
「急ぎの用事であるか」
「そういうわけじゃない。が、早いほうがいいな。武器を直してもらおうと思ってるんだ。五番隊の隊長は凄腕の医者と聞いた。非生物ですら治せるとな」
「ふうん……」言いながら少女はアープを見た。
上から下まで、髪の毛と同じようなあめ色の瞳がさっと見つめる。
観察されてるような印象を受け、彼は少し眉間にしわを寄せた。
「怪しい者じゃない」
「案内してやろうか」
「いいのか?」
「構わぬ。手前についてくるのである」
***
歩きながら改めてアープは目の前の少女を見た。
なんというか妙な雰囲気の少女だな。なで肩で華奢。蜜色の大きな外套──────これは確か『剣装』とか言ったか。小柄な体に明らかに大きい。背中から見ていると、まるで服が歩いているかのような印象を受ける。
細身の長剣を一振り差している。が、おおよそ剣士らしくなかった。歩き方に隙が見え隠れしているのだ。
やがて目的地に着く。
ところが、アープが案内されたのは剣零のいる場所ではなく、
「おい、どういうことだこりゃ」
無人の闘技場。
ちょうど剣征会のすぐ隣に設置された、演習や訓練で使う場所だ。
もっとも今は人はいない。いや、それどころか最後に使用されたのはもうかなり昔の話なのではないだろうか。リノリウムの床は埃にまみれており、乾燥した空気がのどを突く。
ごおん、ごおんという通風孔の音が響くのみ。誰かが捨ておいたのか、客席に落ちていた紙くずが風に煽られ、寂しくアープの足元に落ちた。
「ふっふっふ、何簡単なことである」
背を向けて黙っていた少女。ようやっと彼女は振り返った。
「我が隊長〝剣零〟……会いたいという人が多いのでな。しかし、一組織のドクターという性質上、外部から極めて狙われやすいということもまた事実。
たとえ『喫煙所』の人間でもはいどうぞと合わせることはできん。ゆえに、この五番隊副官カンロ・アラニアクローバーがそなたを少々試させてもらおうではないか」
言いながら少女は……カンロというらしい。カンロは腰の剣をゆっくりと抜刀した。鯉口を切り、金属音と共に引き抜く。
なるほど剣士らしい。その姿は様になっており。同時にアープは納得した。そういうことか。
「なるほどな」
「手前に勝てたら我らの隊の隊長と謁見させてやる。もっとも……」
キラリと剣が光る。
その刃はどう見ても刃抜きされておらず、玲瓏に研ぎ澄まされていた。ちょっと手を触れればたやすく切断されてしまいそうだ。
「万一そなたが手負いとなっても、それは仕方のないことだ。剣征会は責任をとらぬよ」
その瞬間、
少なくともそれまでとカンロの雰囲気が異なった。すなわち、『剣士としての』それ。
確かこれは『剣気術』と言ったな。動の剣気。さっきを直接当てて相手を威圧させる術。現にアープはビリビリとその余波のようなものを感じていた。万全ならこの段階でもう、利き腕が銃に伸びている。
だが、
『バントラインスペシャル』は存在しない。少し前にソラにトリガーを撃ち抜かれ、今はまったく使用できないのである。
それこそ腰のホルスターに納めてはいるものの、得意の早撃ちは行えない。
つまり、
「……手加減なしだ。剣征会の副官相手に加減できるほど、俺も器用じゃないんでな」
ぐっとアープは拳を握る。全く自分の力を使えない状態。
だがそれでもカンロは加減する気はないらしい。抜き身の剣をゆらりと自然体で構えていた。
〝何がなんでも勝つぞ〟
「いざ──────」
「勝負……っ!」
***
それから数分後。
「……お、おい」
「…………」
やはり闘技場は静寂に包まれていた。
名乗り、武器を取り、互いが交錯してから実に数秒後のことである。濃密な緊張の糸はまだ解けていないが、それにしたって間延びしていた。
「……」
「…………」
静寂。
「…………わ、悪かったよ。その、……申し訳ない。俺も大人気なかった。この通り」
アープは山高帽を脱ぐと頭を下げた。
その目の前には先ほどとはうって変わり──────剣気なんぞ全く見て取ることができない。
ふてくされたように座り込んでいるカンロ。その頭頂部には、大きなたんこぶが盛り上がっていた。
「……何も本当に本当に本当に……本気でぶん殴らなくてもよかろう。……くすん」
「い、いやあ……あんな調子で言われたら、その、なあ。……というか」
それからアープは呆れたように拳を開く。
最初に間合いを詰めて上から一撃。相手にゲンコツを落とした感触がまだ残っており、振り捨てるようにブラブラと手を振る。
戦い始めて実に数秒後のことであった。
「な、なあ、お前びっくりするくらい弱いんだな。……その、副官なのに……。あ、これ落としたぞ」
「ふん……」
カンロはゆっくりと立ち上がった。まだアープを睨んでいる。
傍に転がったガラス瓶をひったくるように受け取ると。これまたアープをひと睨みしてから中の液体をぺろりと舐めた。
「なあ、それ何なんだ?」
「はちみつじゃ。それはそうと……」
もう一度、今度は今までで一番大きくはちみつを掬う。
こぼれないように器用に舐める。見ているこっちが甘ったるくなってしまいそうだ。
「剣征会が剣士(戦う者)ばかりと思うでない。複数の人間が統制された集団において、各々『役割』という物があるのである」
「役割?」
左様。
涙目で頭をさすりながら、カンロは片手で剣装の埃を払った。
「例えば、はちみつには種類がある。そして、種類ごとに特徴がある」
ガラス瓶を傾ける。
はちみつが重力にしたがってゆっくりゆっくりと流れた。その一端がカンロの指に絡みつく。
「癖のないレンゲ、冬場に固まりにくいアカシア、酸味のあるリンゴ……料理や目的によって用いるべき蜜は異なるし、だからこそ種々の食材の味が引き立つ」
もには全て得手不得手というものがあろう。
カンロは言いながらまたもやぺろりと指を舐めた。
「……ほう。なら、お前の『役割』は?」
よくぞ聞いてくれた。
と言わんばかりにカンロは胸を張った。
「……『本差し』ではないのだ。私は。どちらかというと『懐刀』である」
「懐刀?」
「いかにも。懐刀とは表に出ない。腰ではなく懐にある。戦いではなく、そのもっと裏側……それすなわち……」
────────────『参謀』である。
カンロは言う。ちょうど指にからんだはちみつを全て舐めとった時のことであった。
と、その次の瞬間。唐突にアープの周囲の景色が暗転した。まるで周囲の全てを一度ドロドロに溶かし、それから再構成したかのようだ。
揺らぎ、揺らぐ。「な……!」 アープは気分が悪くなった。どういうことだこれは。目の前の参謀と名乗った……カンロに問いただすことすらできず、景色の溶解に目を、身を任せていた。
「ふん、ようこそ五番隊執務室へ。とでも言えばよいであるか。なあ! レイ隊長!」
カンロのその呼びかけで、それから唐突に視界が元に戻る。
アープは慌てて起き上がった。するとそこはどこからどう見ても闘技場ではなく……
ほとんど同時に背後に人の気配。彼は何よりもまず振り返った。




