その45 剣魔8
「…………バーカ」
「うぐっ……!!」
がくり、とアイリスは膝を折る。
その姿を、ロロは無機質に見下ろしていた。背中を刺し貫いたアメシストの刀身を、傷口から流れる血液が伝う。
背後から背中を刺した形だ。
そう、
『本体』は逃げた方ではなく、その場でアイリスと斬り合っていた方であった。
ロロは分身を囮に戦闘から離脱したのではない。『分身を囮に見せかけた』ように見せかけただけだ。
わざと剣の振りを弱くし、よろけたように振る舞い。分身とアイリスに勘違いさせる。『双つ身』の方を神速で走らせ。
結果、アイリスは分身を本物と誤認した。
あとは、分身に気を取られているアイリスの背後から、本物である自分が突き刺せば良い。
今頃『ダーインスレイヴ』の能力によって、アイリスは悶絶できないほどの激痛に襲われているだろう。もう意識を失ったころかもしれな────
「おーほっほっほ」
───い……!?
直後、背後を取ったロロの背後から、聞こえてくる高笑い。
ちょうど首元に突きつけられた刃からは、どくどくと熱を感じることができた。間違いない……これはアイリスの……。
そう思った瞬間のことである。突き刺したはずの、つまりロロの前方にいるアイリス。その姿が搔き消える。流動的な炎となり、ロロは顔を覆った。
「…………『フレアクイーン』からは常に微弱な熱波が放出されていましてね。わたくしはその『熱の揺れ』を静の剣気で感知することで、ある程度相手がわかるのですよ」
あなた、神速の速度は若干落ちていましたわ。
『双つ身』で作った分身が神速を使った段階で、アイリスは違和感に気付いてたのだ。通常のロロの神速よりもほんのわずかに遅い。
当然それは感じることができないほど、わずかなものだ。そもそも視認困難なほど早い歩法『神速』。そのわずかな遅れを見極めることなど、肉眼では不可能だ。
それこそ『動の剣気』を知覚できる『静の剣気』でも用いない限り──────アイリスはそこにフレアクイーンから放出される『熱』を加えることで、より鮮明なものとしていた。
あとは、単純だ。
背後から刺される瞬間に、残像に『動の剣気』を付加してさらに回りこむ。
「……『双つ身』があなただけの技だと思わないで欲しくてよ?」
「くっ……」
やはり、
疲労したこの身で──────アイリス・アイゼンバーンと戦うことは不可能だ。
「……ぎりぎりぎりぎりぎりぃ!!」
ロロは歯ぎしりした。
冗談じゃない。自分はどうあっても銀色のスナイパーを……。
周囲を見渡す。その時だ、あるものが彼女の目に止まる。
もうこうなったら……
***
「(……戦うことは不可能。そう考えるはず)」
ロロの首筋に『フレアクイーン』を突きつけたまま。
アイリスは思考した。さて次にどうくるか。だが、その答えはある程度導き出されている。
まず、お互いがお互いを殺すわけにはいかない。アイリスもロロも、今現在戦っているとはいえ『同僚』だ。同じ剣征会の連中として、真打ち同士の殺し合いなどご法度である。
しかし、ロロは『銀色のスナイパー』を確実に殺したい。そのためのここで自分と戦っているのはあまり得策ではない。
以上のことから、おそらくロロ・ペヨーテが行う次の行動は。
「…………ふん、あんたに構ってる暇はないの」
歩法『神速』。そう、逃走だ。
ありったけの『動の剣気』で最高加速し、さらにそれだけではない。持ち前の多角的な挙動をもってして、ロロは手近な廃家屋の三階へと入り込んだ。
路地裏から屋内へ。ちょうどこの建物は5階建だ。どうやら支部ギルドか何かに使われていたらしく、堅牢な煉瓦造り、もう廃墟と化しているが身を隠すにはもってこいだ。
「やはり……」
アイリスはすぐさま後を追った。しかし自分はあのように曲芸のような動きはできないため、
同じように『神速』を使ったとしても一階から侵入する。埃にまみれた大きな階段が正面に、左右にはシミだらけの古い名が絨毯がひかれ、テーブルや椅子が乱雑に朽ち果てていた。
なるほどな。
ロロは三階に、そして自分は一階。壁や床、そして天井、無数の障害物を隔てれば『静の剣気』と『熱波』を組み合わせた知覚────すなわち『双つ身』を見破る術は通じないことになる。
「…………ぃひひ♪ ざまあみろ! 後は……」
三階のロロ。
こうなるとこっちのものだ。戦わなくていい。そして『双つ身』を見破られないこの状況。
後は適当に分身を作りこの場にとどめておき、自分は『神速』で銀色のスナイパーの元へ向かえばいいのだ。
アイリスが三階へ到達して分身と戦い、それが分身と分かってももう遅い。その頃自分はもう『銀色のスナイパー』の元へ向かえている。
アイリスを振り切ってさえしまえばこちらのものだ。ロロはほくそ笑んだ。
***
「……と、考えての行動ですか」
読めていた。
読めていた、が、対処できない。
ここでロロに逃げられてしまうと、もう彼女を追撃することは不可能となってしまうだろう。どうやらロロは『銀色のスナイパー』の居場所を知っているらしく、
しかし自分は知らないのだ。振り切られてしまえばこちらはもう探せない。
「なぜスナイパーさんの居場所を、ロロさんは知ってるんでしょうねえ。誰かから聞いたんでしょうか。
まあ、いいですわ。だってこの状況……」
こっちとしても願ってもない状況なのだから。
アイリスは腰だめに『フレアクイーン』を構えた。本来なら一刻も早く三階へ到達してからロロと交戦するべきだ。そして分身かどうかを見極め、分身ならば本体を追いかけるべきなのであるが。
否、
「……スナイパーさんに感謝しなければならないかもしれませんねえ、こうなると。状況がどうであれ、わたくしも剣士の端くれ……」
強い人間との斬り合いは、柄にもなく気持ちが高鳴るものなのだから。
ロロ・ペヨーテは強い。そして、強いからこそコレを使う価値がある。
そして、
彼女ならコレを使っても死ぬことはあるまい。
〝剣姫〟アイリス・アイゼンバーンは、
「さあ、〝剣魔〟!」
その瞬間、
「遊びは、ここまでにしましょうか!!」
フレアクイーンの鍔、『陽炎』の紋章に触れた。
「覚醒───────〝レーヴァティン〟」
***
それは、ちょうどロロが5階の窓枠に足をかけている時のことであった。
まさしくこれから『銀色のスナイパー』の元へ強襲しようとしている時のことである。
違和感。
これならアイリスも追ってこれまい。そして『双つ身』で作った分身も無視できまい。
分身はアイリスに処理されなかった場合、そのまま如月を殺しに行かせようとしていた。アイリス側も当然それは危惧するはずだから、
必ずここで足止めを食らうはずだ。そう踏んでいたのである。つまり、自分は銀色のスナイパーを追いかけてアイリスはこの場で分身の相手をさせる。
その状況を覆すことは不可能。『分身を倒し』なおかつ『自分を戦闘不能にする』ことを同時に行わなければならないのだ。
しかも肉眼に映らないほど早く動く『神速』、それを見切る『静の剣気』を封じられた状態で。
そうなるはずだった。
そうなるはずだったのである。ある一点を覗き彼女の行動はただしかった。
「…………?」
まず感じたのは異常なほどの熱量だった。
まるで真夏と錯覚するかのような、膨大な熱。いや、真夏ではない。そんな生ぬるいものではなかった。
それは一言で形容するなら『地獄』である。
経験したことはないが、おそらく『地獄』の暑さはこんなものではないか。ロロは直感的にそう思考した。
そして、
思考した時には、もう遅かった。
「…………あ」
床が抜ける。否、抜けたのではない。『溶けて』『消滅した』。そう形容するのが適当であろうか。
ロロの視界は逆転した。足場が崩れ、真っ逆さまに落ちていく。いや、その『落下』という挙動もすぐさま感じることができなくなっていた。
最後に視界に触れたのは、一振りの巨大な剣型の精霊。紅蓮の刀身、一瞬自分の目に映ったそれは、やがて消える。代わりに何層、何重もの爆炎が、壁を、床を、ありとあらゆる物を焼き尽くし廃にしようとしていた。
「………………あぁ……」
なるほど。
確かこれは……『レーヴァテイン』だったか。
アイリスの持つ精霊、その紅蓮のドレス、真紅の瞳を体現するかのような、炎属性の最高峰。
警戒はしていたが、まさかここまでの威力とは。
「………………あぁあ……」
1階で『レーヴァテイン』を覚醒させ、5階建てのこの建物ごと自分を倒そうという算段か。
分身がズタズタに溶解するのを、関節視野で捉える。すぐさま爆炎は自分の全身をのたうち、双剣『クラウディア』がロロの手から滑り落ちた。
***
「わたくしの勝ちですわよ、剣魔」
そして、ロロはふわりと抱きかかえられた。
閉じた目を開く。もう焼き尽くされて杯になっているかと思えば、5階から1階まで落下してアイリスに受け止められていた。
どうやらなんとか一命は取り留めたらしい。自分への炎だけ絶妙に威力と温度が調整されており、戦闘不能になる、しかし死なない/後遺症の残らないよう調整されているらしかった。
「……『ダーインスレイヴ』を焼かせていただきましたわ。これで当面の間あなたは『覚醒』できません。精霊を倒せるのは精霊だけですからね」
傍らには、自分が取り落とした双剣が転がっていた。
拍動するような紫色の輝きがない。その時になって初めて、自分が負けたことに気がついた。
「…………まさかね」
「………………まさかこの巨大な建物ごと焼き尽くすなんて……」
ロロはがっくりと倒れた。アイリスは肩を貸し、火の海と化した建物の出口へ向かう。
「…………なさい」
途中、
うわ言のように呟くロロの言葉が聞こえた。
「………………ごめんなさい、セーラさん」
***
「……」
アイリスは無言だった。
気を失ったロロに肩を貸し、燃え盛る廃家屋を後にする。
「こちらは終わりましたよスナイパーさん。あとはあなただけでしょうか……」
しかし、
気になることはまだあった。ロロの乱れた髪を整えてやりながら、アイリスは思う。
どうして銀色のスナイパーがエレメンタリアにいると大陸警察に知られていたのか。そして、ロロは何故銀色のスナイパーの居場所が分かっていたのか。
「……まさかとは思いますが……」
どこかの誰かが。
内通者がいる……? アイリスは眉をひそめた。ロロに尋ねたいところであったが、まあそれは今はまだ敵いそうになかった。




