その43 剣魔6
その殺気は、おおよそこの戦いでロロが経験したことのないほど濃密で絶望的なものだった。
『必ず殺そうとする意思』。まるで喉元に縫い付けられた刃それは、絶望を司る精霊・ダーインスレイヴの使用者をも絶望させようとする。
「な……!」
動けない。
回避しろ、大脳がそう警報を鳴らしていた。しかし、まるでその場に磔にされたかのように、全く彼女の四肢は自由が利かなかったのである。
蛙に睨まれた蛇のようなものであった。逃げろ! 避けろ! 脳裏で分かっていても体が反応しない。
如月の左腰から剣閃が吹き上がった。
気を失った状態では夏一刀。しかし意識がある状態と太刀筋は寸分違わない。ちょうどロロの首筋を狙う形で、横に凪ぐように放たれた。
「ひっ…………!!」
死ぬ。
少なくとも寸前までそう思ってならなかった。
ところがだ、
結論から言うと、ロロの首は繋がっていた。
***
「……はぁ……!! はぁ……!!」
生きている。
居合いは確実に振るわれていた。目にも留まらぬ超高速の太刀筋は、確かにロロの首を捉えていたのだ。
少なくともロロが腰を抜かす瞬間までは。
寸前のところで、彼女は腰がくだけるようにへたり込んだのだった。
結果として居合いは遥か頭上を通過し、とこういう具合である。死の期間が伴う寸前の寸前で、彼女は運に助けられていた。
「いてて……くっ! この……」
ロロ・ペヨーテは立ち上がる。
今度こそ如月は完全に戦闘不能になっていた。その場に倒れ伏し、目を閉じている如月 止水。
おそらくダーインスレイヴの痛みと出血で気を失っているだけであろう。ほっといても死ぬだろうが……ロロはその首筋にゆっくりと双剣を這わせた。
これ以上、
これ以上……先ほどのようなことがあっては面倒だ。こいつはここで殺しておく。いやほっといても死ぬだろうが、今確実に自分の眼の前で、首と体を切り離しておくか。
『ダーインスレイヴ』の刃がゆっくりと如月の首に突き付けられた。アメシストで形成された、半透明の刀身、両刃のそれは如月の頸動脈のすぐ隣に。
「…………本当に私に勝つつもりだったのかしら」
この侍は。
アルカトラズに幽閉されるほどの元人斬り、そして現『真打ち』─────本当に自分に勝つ気でその刀を振ってきたのか。
ロロはこれまでの戦闘を回想した。脇腹を浅く切られた時は正直少々焦ったものの、終始負ける気はしなかった。そして『剣気』で本気を出せばこのざまだ。
もっとも、最後の最後、どうやら無意識に放った居合抜きが直撃していたらこちらの負けであっただろうが。
「…………セーラさんは……」
如月の言葉を思い出す。
なぜそこまでセーラ・レアレンシスという剣士に尽くす。
なるほどこの侍の目には自分は異常に思えていたらしい。
そりゃそうか。赤の他人のために、自分の腹が裂かれようとも、凄腕の殺し屋を目の前にしようとも剣だけで突っ込んで行こうとしたのだから。
「…………私は負けたのよ。セーラさんに…………アルカトラズでね…………ん、それ以降、私にとってセーラさんは……」
ロロは昔のことを思い出していた。
寒波が到来していた冬のことである。鉄格子が皮膚を切るほど冷たく、食べ物の味も分からないほど寒気に覆われていた日の夜。
幽閉されていた自分の獄の眼の前で、その剣士は鋼鉄の檻を切り裂いた。
私と一緒に来いよ。ロロ・ペヨーテ
その剣で人を斬るのはやめて、今度は人を守ろうぜ
「…………いい?」
私にとってセーラさんは『全て』で。
『生きる意志』そのものなのよ。
言うなればそれは、『献身』だった。
如月が不思議がっていたことは、ロロにとって何も不自然なことではない。自分の身を切られたようなものなのだから。
「…………まあ、あなたには一生わからないわ。それより、私に勝とうとしたのがよっぽど不思議でならないけどね」
言いながらロロは双剣を振り上げる。
そうだ、茶番はここまでにしておこう。この侍の首を斬った後、今度こそセーラを撃った主犯、銀色のスナイパーを……
乾いた風を切る音とともに、如月の首に『ダーインスレイヴ』の刃が─────
『おーほっほっほ』
─────振り下ろされない。
直前でピタリと止まる。
『第三者』の雰囲気を感じとったのだ。
『ごめんなさいねぇ。その剣下ろしてもらえませんこと?』
「…………誰……?」
ロロは振り返る。ちょうど自分の背後から声は聞こえてきた。
こつり、こつり、静寂の中明らかにこちらに歩いてくる足音。ほどなくしてその姿は浮き彫りになる。
「……銀色のスナイパーに、借りがある者ですわ」
剣征会第二真打ち、〝剣姫〟アイリス・アイゼンバーン。




