その41 剣魔4
「この! いい加減に……! うわっ! いてぇ! いってェ!!」
ようやっと影から離される。だっと転びながらクリンから距離をとった。
どこだここは。
エクスはさびれた教会のような場所に連れ去られていた。割れたステンドグラス、長椅子に厚く積もった埃。
もう使用されていないらしい。
「……『ラティメリア教団』」
クリンは言う。とりあえずエクスは神剣を大きくして握っていた。
武装した人間が目の前にいるというのに、クリンはのんびりとしている。
「『教えの国』という国家を中心として栄えている宗教のことさ。その影響力は強大でね。『幻想の国』や『帝国』にも支部教会があるらしい」
クリンはエクスの正面。その長椅子にちょこんと座っていた。
さらりとした前髪に隠れてその目を見ることはできない。しかし、彼は振り返って────どうやら置かれた神の像を見つめているらしい。
「な、なんだこりゃ」
「ラティメリア教団の連中が進行する『神様』のことさ。一神教らしくてね。どこへ行ってもコレが置いてある」
教会に安置された像は、いわゆる通常の人間の形をした石膏像ではなかった。
巨大なそれは、魚の形をしていた。8つのヒレは荘厳に水の中をたなびいているかのように形作られ、体は筋肉質でそれでいてどこか優雅さがある。
本来なら威厳と慈愛に満ち溢れている──────ように作られているかもしれないが、荒廃したこの場ではただただ不気味なだけであった。魚類特有の玉のような無機質な目もそれに拍車をかけている。
「だ、だってこれただの魚じゃ……いや待てそんなことはどうでもいい。おい! 俺はお前と話をしてる暇はないんだ! とにかくなんとかして……」
「助かりたければ、神様に祈ることだねえ」
「あん?」エクスは首をかしげる。
彼の言葉を機にすることなく、クリンは再びエクスを見た。やはり、前髪でその目が覆われており、表情を半分ほどしか伺えない。
「これから全員死ぬんだ。彼女に狙われたら、できることは祈ることくらいさ」
あの場にいる全員が死ぬ。それも、死んだ方がマシだと思えるほどの地獄の苦しみを味わって死ぬ。
クリンは言った。君のお仲間のあの剣士も、それから銀色のスナイパーも、それから一度取り逃がしたあの魔物(※ゴブリン100体分のゴブリンのこと)も。
「見境がないんだよ。うちの隊長さんは。殺すと言ったら必ず殺す。そこに慈悲も休息も存在しない。どんなに泣き叫ぼうと、命乞いしようと、殺すと決めたら必ず殺す。そして、一度標的にされたら絶対に逃れられない」
だからこそ、『剣魔』なんて言われているんだ。
クリンは続ける。エクスは思考した。なるほどだからクリンはあの場から撤退したということか。巻き込まれないために。
手近な場所としてこの廃教会を選んだのだろう。ついでに戦力を分断させるために俺を拉致ったと。
「知るかっ! 見るからにやばそうなのはわかってるよ! でも、俺たちがなんとかしないとソラさんが……」
「なぜロロ・ペヨーテは強いのか」
こ、このお。
エクスはイラついた。目の前のこの目が隠れた剣士、全然こっちの話を聞いていない。
さらに思い出す。そういえば俺たちが魔物に襲われてた時もこんな調子だったぞ。何やらいきなり影から出てきて、何やらわからないままゴブリンの一人を倒した。
「一つは、元人斬りという異常性。アルカトラズに幽閉されてたほどなんだ。殺人に全くためらいがない。
それに伴って、自分が斬られることにも抵抗がない。被弾を恐れず無茶苦茶に突っ込んでくる。それがどれほど恐ろしいか、君もわかるだろう」
マジか。
イライラしてはいたが話は聞いていた。そんなに恐ろしいのか、あの変態剣士は。
いやロロの側近が言うからにはそうなんだろう。
「もう一つは、こっちの方が理由としては適当かな」
さらに彼は続けた。
「『ダーインスレイヴ』。すなわち隊長の持ってる精霊のことだ」
***
「ええと、それって確か『触れちゃならない』とかいう……」
「そう。流石銀色のスナイパーの部下。よく知ってるね」
クリンはどっかと長椅子に腰を下ろして片手をフラフラと降っていた。
やはり武装した人間を目の前にして取るべき行動ではない。襲われても何か策があるのか、それともよほどエクスのことを見下しているのか。
『ダーインスレイブ』。
クリンはなおも言葉を紡ぐ。それは二対一振りの『魔剣』だった。
黒紫の大きな曲角を二本蓄えた、悪鬼のような姿をした巨大な精霊。覚醒すればその禍々しい姿を一瞬のみ表し。
「何より厄介なのは、その精霊の能力だ。これは君が言った通り、『触れた瞬間に』発動する。そして、触れてしまえばもう遅い。
ある意味六番隊……つまり切り込み隊長として適当な能力とも言える」
その瞬間、勝負は決する。
クリンは一度身震いした。件の『能力』を想像してしまったのだ。あれが自分に向けられたらと思うとぞっとする。
同時にエクスも同じようなことを思考していた。ゴブリン100体分のゴブリン……すなわち魔物すら怯えさせ、自分の部下ですら恐怖させる。
「い、いったいどんな……?」
「んー……そうだねぇ」
その瞬間、
クリンは片手を掲げた。ちょうどエクスの右脇の長椅子の影。そこから杭状の尖った『影』が飛び出してくる。
「うわっ!」寸前で回避すると、ところが完全に避けきれない。手の甲を掠ってうっすらと血がにじんだ。
「いててて! きったねぇてめぇ……ふいうちかよ!」
「痛いだろう?」
ところがクリンは追撃しなかった。
エクスは首をかしげる。さらにクリンは続けた。「痛かったろう?」
「刃物で切られれば、たとえ小さな傷でも痛い。かすり傷でも鋭い痛みが走る」
ダーインスレイブで斬られれば、こんなものじゃないよ。
心なしかそう紡ぐクリンの顔は青かった。
ここまで話されれば、察しのよくない────戦闘に関しては素人のエクスでも予想がつく。
「まさか……」
「ダーインスレイヴで斬られれば……痛みを増幅するあの精霊の手にかかれば……」
エクスは手の甲を抑えていた。
もう血は止まっているが、わずかに痛む。
「その程度の傷でも、感じる痛みは実に通常の6889|
倍だ」
針の先でついたような傷でも、相手に地獄の苦しみを与え、
わずかに掠った斬撃でも、必殺の一撃と同等のダメージを相手に与える、
「……それが、〝剣魔〟ロロ・ペヨーテの精霊。そして……〝魔剣〟ダーインスレイヴの能力」
***
「……そうかよ。そりゃあ……なんというか、すごいな」
エクスは振り返った。
ちょうどこの視線の先────ずっとずっと先で如月が今頃ロロと交戦している。
凶悪な精霊を携えた剣士と一対一で。
「……助けに行きたいかい。でもダメだよ。逃がさない。そのために僕がいるんだから」
クリンは言った。それこそが彼の狙いでもある。
自分が隊長から退避すると同時に、エクスを如月から引き剥がしたのだ。無論、相手側の戦力を削ぐためである。
「くっくっく……お仲間のあの剣士が心配だろう。そりゃそうだ。なんてったってウチの隊長とサシで「いいや」
ところが、
エクスの言葉はその逆であった。それから彼は振り返る。
まっすぐにクリンを見た。その瞳にはおおよそ動揺や戸惑いはなく、したがって如月を助けに行きたいであろう───クリンの言ったそういう気持ちも見て取ることができない。
「んん……?」
なんだ……?
如月が心配じゃないのか? もしかして見捨てたとか……いやそりゃないよな流石に。
「お前、何か勘違いしてるな。ええと、六番隊の副官、クリン」
エクスは言いながら傍に置いていた神剣を掴む。
途端に明瞭になる視界。『神眼』が発動した。
「ここで俺が如月を助けに行くと、それこそあいつに失礼だ。如月が負けるもんだと思ってる、ってことになるからな」
俺は如月を信じてる。
エクスはそう断言した。そう、だからこそここで如月の元へ助けに行こうとしないし、
だからこそ如月はエクスを助けなかった。
「……あれ、君まさか……」
「そうだ。ようやっと分かったか。俺はわざとお前に捕まったんだ、クリン。ロロの戦力を削ぐため、そして如月を戦いやすくするためにな」
お前が俺を逃がさないんじゃない。
────────俺が、お前を逃がさないんだ。
エクスはゆっくりと神剣を構えた。
「……なるほどねぇ。しかし、それなら」
ゆらり。この場でようやっとクリンも立ち上がる。
言いながら懐に手を入れ、得物を取り出した。もう鞘の払われた、小さな短剣である。
「君は、僕と戦うってことなのかい。一対一で。精霊も覚醒させられないような非戦闘員が、剣征会の副官と?」
エクスは無言だった。
代わりに気合とともに走りだす。神剣の刃がキラリと光った。
「なるほどねえ」
「随分と舐められたものだ。まあいい。僕に殺られるか、ロロ隊長に殺られるか。その程度の違いしかないのだから」
「うるせえええ! 俺はハオルチア大陸一目がいい男だ! 行くぞおおお!!!」




