その36 狙撃手と剣姫26
アイリスが剣を鞘に収めると、周囲の『地獄』もゆっくりと収束していった。
まず炎が消える。こうしてみるとようやく周りを見渡す余裕が出てきた。エクスはゆっくりと立ち上がる。あれほどの業火がすべてきれいに消えていた。
サラマンドラが焼き尽くしていた炎をさらに上書きし、『燃やす』ことで『消火』したのだ。炎を炎で消すという、なんとも信じがたい結末である。
荒野のような変わりようであった。
森林は消失し、今も所々でくすぶった黒い煙を上げている。
孤児院はもはや骨格程度しか外観が存在しておらず、初めて訪れた者はここが中庭とはとても思わないだろう。
オブジェ、噴水、門や裏口。何もかもがきれいに焼け落ち、消失していた。もっとも、事前に全員避難させているらしいし、人的な被害は皆無なのだが。
「奴隷の資金で作られた孤児院は、一度無に返そうということですか」
「ええ」
アイリスは振り返った。守り抜こうとした孤児院の変わり果てた姿を見て悲しそうな表情……ではなく。
逆である。むしろ晴れ晴れとしていた。
事実として、彼女は守り抜いたのだ。何よりもその灼熱の剣で。サラという奴隷売買の根源を殺すことで、これ以上の被害が増えることはないだろう。
『証拠』もある。傍に隠していた金庫。この中の書き起こしを公表すれば、少なくとも膿はすべて出し切れるはずだ。
***
「……ということでありまして」
「なるほど」
エクスはから一連の内容を聞かされて、ソラは合点が言ったというように頷いた。
結構複雑な内容である。しかしエクスが要点をかいつまんで分かりやすく説明したこと、ソラが冊子が良かったのと合間って、
彼女はことの全容を理解したらしい。ぶっきらぼうにもう一度頷いた。
「つまり謀られたわけですね。迂闊でした。そもそも私は依頼者も一度調べることにしてるんですが……」
帝国のようなデカい組織に全力で隠匿されては、個人の力でいくら精査しようともどうしようもない。
いや、それこそサラが予想していたのだろう。彼自身『銀色のスナイパー』が用心深いと言っていたし、素性を隠匿できる自身がなければこのような大胆な計画は立てられまい。
エクスは思う。自分たちは騙されたのだ。こればっかりは相手が悪かった。帝国の構成員。つまり『国』である。
これならば当初騙されていた状況、つまり『剣姫』が敵だった方がまだマシだったかもしれない。いや自分は転生者だ。
帝国という国を詳しく知らないが、まあソラさんの反応を見る限りあまりいい国じゃないんだろう。
しかし、彼はまたこうも思った。先ほどまで彼が交戦している相手についてだ。
サラもまた相手が悪かったなと。
七振りいるという剣征会の最強の剣士『真打ち』、その二振り目。
二番隊隊長、アイリス・アイゼンバーン。〝剣姫〟の二つ名を冠する大剣豪を敵に回したのだから……
「で、ソラさん」
「ええ」
エクスは自分の隣の人物に尋ねた。「これからどうしましょう」
彼女は無表情だった。いつものように銀色の瞳を前方に向け、象牙色のコートをはためかせている。
拾い上げるのは、愛用の銃だ。ボルトランド。ただしその両方とも溶け、このままでは使い物にならないだろう。
「……修理しないといけませんねえ」
ポツリと彼女は呟いた。
***
「本当にお前が?」
「ええ」
「お前が倒したのか?」
「……そうですが」
やってきたガースとクロウは、孤児院の現状を見て目を丸くしていた。
いや無理もないだろう。自分たちがいたつい先ほどまでは豊かな森林に恵まれ、見慣れた建物が建っていたのだが、
悲しきかな現在はそれが鉄骨だけになっているのだから。
もっとも、ことのカラクリをソラとエクスから説明されることで、一応は納得していた。
半信半疑ではあるのだが。特にガースは、どうもアイリスのことは良い印象を持っていない。
「……どうして?」
その問いかけに、アイリスは無言だった。
軽度の火傷と切創。衛生班に応急処置してもらいながら、簡易ベッドに腰掛けている。傍に立てかけてある『フレアクイーン』は、まだほんのりと熱を帯びていた。
言うか言うまいか迷って居る表情だ。彼女はどういうわけかちらりとソラを見る。銀色のスナイパーは何をするでもなく、壁に寄りかかって空を仰いでいた。
再び、半信半疑のガースとクロウに向き直る。
「帝国に売られた若い奴隷がどうなるかご存知です?」
「え?」
「それは……」
二人は顔を見合わせる。
クロウが遠慮がちに答えた。「こっぴどく使われるんじゃないでしょうか」
何もわかっていないなというようにアイリスは首を振った。ちょうど手首に包帯が巻かれた頃だ。
もう結構。お礼を言ってから救護班を下がらせる。立ち上がると、フレアクイーンを腰に差した。
「そのあとは?」
立ち上がる。紅のドレスの裾が夜風に吹き流され、ゆらりと波打った。
クロウは無言であった。考えてみると、確かに、売られた奴隷がこき使われ、そして最終的にどうなるのか知り得ない。
「死ぬんですよ」
アイリスはいう。
「え?」ガースとクロウは二人して聞き返した。
「殺されるんです。もしくは自殺する。飼い主は、奴隷を『人間』とは思っていませんからね」
理由なら、それだけで十分でしょうが。
すれ違いざまにアイリスはそう言うと、踵を返した。
「どこに行くんです」
ソラがその背中に問いかける。揺れる真紅の剣装がピタリと止まった。
「……いただきたいものがありましてね。一番隊の隊長にお会いしようと思いまして」
セーラのことである。向こうにいるのでしょう?
問いかけるアイリスに、ソラはうなずいた。
***
「うーむ……」
さてさて、
残ったソラとガースとクロウ。彼女らも彼女らで帰り支度を始めていたのだが、
どうにもガースは腑に落ちない表情であった。いや、結局のところアイリスは孤児院を思っていたことはわかる。
しかし、まだわからない、不可解なことが一つ。
「なぜアイリスさんは、剣を携帯していなかったんでしょうか」
「あ、ええと、セーラ隊長のお友達の……ええと、ソラさんでしたっけ?」
独り言のように呟いたソラであったが、どうやら聞こえてしまっていたらしい。彼女は頷く。
ガースもまた同様のことを考えていたらしかった。エクスが来るのを待ち構えていたにもかかわらず、なぜ得物を……『フレアクイーン』は遠くの馬車の中に置いてきたのだろう。
「それもありますけど。……しかし意外だよなぁ、俺、絶対アイリス隊長が悪者と思ってたんだけど」
「まさか依頼人が黒幕とはねえ。すっかり騙されてしまいましたよ。さて、戻りますか」
おまけにボルトランドも……愛銃も壊されるし。全く踏んだり蹴ったりとはこのことだ。
さすがにライフルだけでは心もとないため、なんとかして直さなければならない。
孤児院の一件自体は片付いたものの、その傷跡は決して浅くなかった。
と、歩き出そうとした時だ。
「私は……!!」クロウは突如言う。ガースとソラは驚いて振り返った。
「私は……アイリス先生は絶対に敵じゃないと思ってました」
「ええ?」
「はあ? だってお前、あんなに稽古でいじめられてたじゃないか」
ガースの言葉に、彼女は首を振る。
「あれは……違うの。いじめられてたんじゃなくて。あの、私の精霊が」
未熟な状態で『覚醒』しようとしてしまっては、精霊の力が『暴走』してしまうことがある。
クロウは言った。教科書で学んでいたことだ。そして自分はまだ『覚醒』を用いるには少々早すぎており。
ところがである。あのとき────アイリスとの地稽古のとき、焦って中途半端に覚醒させようとしてしまった。
「あのままだったら私……大変なことになってたかもしれない。アイリス先生はそれを止めてくれたんだと思う。
ほら、精霊と術者は繋がってて、使用者に強い痛みや苦痛を与えれば、強制的に封印状態になるでしょう?」
……なるほどそういうことか。
ガースは目を丸くした。
「おま、お前……そういうことは早く言えよな!! な、なーんだよ俺が一人でアイリス……じゃなかった、アイリス先生に歯向かって馬鹿みたいじゃねーか。
……あとで謝っとかないと」
「あはは、ごめんねガースくん。うん、でも多分……セーラ隊長もアイリス先生のことは疑ってなかったと思うよ」
というか先生も先生だろう。
はっきり言ってくれたらよかったのに。無意味に憎まれ役を買うところがいかにも『真打ち』らしい。
ガースは呆れ顔でため息をついた。