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2 毒殺の魔女

 結局、阿澄は指定された五時までに課題を終わらせることができなかった。いや、見かけ上は一応、最後のページまで書き込んであるが、一目見ればそれが適当に書いただけだということが解る。職員室に提出に行った阿澄は、数学教師から長々と説教を受けた上、できなかった問題を一問ずつやり直しさせられていた。一人の生徒にここまでしてくれるとは、なんとも手厚い先生だ。

 などと、他人事のように思い、丈は職員室前で十分待ったが、終わる気配がなかったので、阿澄を容赦なく置き去りにして帰った。次会ったらどやされるだろうが、これ以上時間を無駄にはできない。

 中途半端な時刻に学校を出たせいで、駅に向かう道は丈以外にはほとんど誰もいない。授業が終わってすぐの時間や、部活動が終わった後の時間などは、鬱陶しいくらいに混雑するのだが、タイミングを外すとこの有様である。

 五月は日が長い。加えていい年をした高校生二年男子であるし、一人歩きが恐ろしいということなどは断じてない。一人で帰途に就くことになろう阿澄のことも、さして心配にはならなかった。

 ただ、ふと俯き気味だった顔を上げて、前から歩いてくる人影を認めた時、丈は一人で下校したことを心底後悔した。

 やはり幼馴染は大切にするべきだな、などと考えながら立ち止まると、丈の目の前に女が立ちはだかった。

 鉄色の靴を履き、黒いワンピースを纏い、頭の上には大きな赤いリボンをつけている。女はスカートの裾をつまんで、恭しくカーテシー。

「初めまして、私は『毒殺の魔女』白雪吹雪。またの名を、『白雪姫の魔女』と申します」



 魔法特区には大勢の魔女がいる。魔女は職業として認められている。魔女はそれぞれ固有の魔法を持ち、仕事に生かしている。

 魔法という、一般人には未知な力を、主に地域貢献に役立てることによって、市民の信頼を得ることで、魔女は集団で確固たる地位を得るのである。

 しかし、魔女の中には、魔法を悪用する者も当然ながらいる。その筆頭ともいうべき魔女は、悪名高き『グリムの魔女』である。

 六人の希代の魔女は、それぞれが使う魔法にちなみ、かの有名なグリム童話になぞらえて二つ名が与えられた。

 そのうちの一人に、毒殺を得意とする『白雪姫』の魔女がいるということは有名な話である。

 ただ、丈はこの話を魔女であった母から聞いたのだが、聞いた瞬間に疑問に思ったことがあるのだ。

 ――『白雪姫』って、魔女出てきたっけ?



「子ども向けの絵本では、白雪姫に毒リンゴを売りつける女性は、黒いローブをまとったいかにも魔女らしい姿で描かれることがあります。加えて有名な魔法の鏡。それらの描写から、白雪姫の仇敵は魔女のように思われることが多いかと思います。それに、グリム初版本では、王妃は真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされますが、絵本では、箒に乗って空を飛んでいるところを雷に打たれて死ぬ、というように描かれているバージョンもあるのです。ゆえに、白雪姫には魔女が登場すると言っても差し支えはない……いえ、そんなことはどうでもいいのです。別に名前の由来となった原作の童話に魔女が実際に出てくるかというのは大した問題ではなく、白雪姫が毒殺されたということが大事なんですよ」

 白雪は必死に捲し立てた。それはもう一生懸命に主張した。何しに来たんだ、と突っ込みたくなるのを堪え、丈は黙って話を聞き流した。

 長々とした弁明を終えると、白雪はこほんと咳払いを一つして、ようやく冷静な調子になって話し出す。

「つまり、私は『毒殺の魔女』なのです。毒の魔法に関して、私の右に出る者はいないでしょう」

「自慢話ならよそを当たってくれ」

 余計な話は聞かないに限るとばかりに丈が白雪の脇をすり抜けようとする。しかし、当然ながらそうはさせまいと、白雪は体をずらして通せんぼした。狭い歩道でそんなことをされたら、非常に迷惑だ。丈は不愉快を隠すことなく顔に出す。

「何なんだ」

「用件は、察しがついていると思いますが、あなたの母君が遺したという魔法の鍵……その在処を教えていただきたいのです」

「またそれか。その手の話はあんたで十七人目だ。いい加減うんざりなんだ」

「ならば、早く教えてくださればよいのです」

「俺は知らん。上の姉たちに訊いてくれ」

「あら、でも姉君は四人とも口をそろえて『弟に訊け』とおっしゃいましたよ」

 あの姉共は弟を売ったのか。あまりに非常な仕打ちに丈は頭を抱えた。友達甲斐ならぬ姉弟甲斐のない連中である。

「悪いけど、教えるつもりはない。誰にも教えるなって遺言なんだ。破ったら末代まで呪われそうだ」

「まあ、あの魔女のことならそういう可能性もありえますよね……」

 白雪が同情気味の視線を寄越す。

「……って、いえいえ、同情している場合ではありませんでした。とにかく、私は魔法の鍵がどうしても欲しいのです」

「なんで」

「桐島御影は、魔女の間では有名人でした。彼女の死は魔女界を震撼させました。やがてショックから覚めると、魔女たちは、桐島御影の遺した魔法道具をこぞって集めるようになりました。彼女が作った道具は魔女界の間では貴重なんです。金銭的な価値もありますし、とても高品質なことに定評がありますから」

 桐島御影は、魔法の力を持った道具を作り出すことに長けた魔女であった。解りやすい例が空飛ぶ箒などである。それらは、御影の生前にそれなりの高値で取引されていた。その売上げで、御影は五人もの手のかかる子どもたちを育て上げたのである。

「しかし、その存在はまことしやかに囁かれていたものの、決して市場に出てこない作品がありました。それが、桐島御影の最高傑作とまで言われた魔法の鍵です」

「なんで売り出してない物なんかが最高傑作だなんて噂されるんだ」

「本人が友達に、酔った拍子にこぼしたらしいです」

「……」

 弁護のしようがない。なぜ息子には重大な秘密を押し付けておきながら、自分はちゃっかり大事なことを漏らすのだ。御影は天才的な魔女だったが、ちょっと間抜けなところのある女性だったらしい。完全無欠な完璧主義者よりは少しくらい欠点があって茶目っ気があるくらいのほうが可愛げがあるのは確かだが、茶目っ気を出すところを間違えた感が半端ではない。

「そんなわけですから、魔法の鍵の在処を教えてください。今教えておいた方が楽ですよ? 噂を聞きつけた他の魔女が、これからわんさかと押し寄せてくるかもしれませんよ?」

「そんなことを言われても困る。教えられないものは教えられない。はい、帰った帰った」

 しっしとハエを追い払うように手を振る。

「では」

 ぱん、と胸の前で手を合わせて、白雪は薄く微笑む。

「こういうのはどうでしょう? 私とあなたで勝負をする。私が勝ったら鍵の場所を教える。あなたが勝ったら、金輪際魔法の鍵には関わらないと約束する。……どうでしょう?」

「どうでしょう、じゃねえよ。その勝負、俺にほとんどメリットがないぞ。お前が大人しく帰れば済む話じゃないか。受けるより受けない方がメリットがあるような勝負を持ちかけるな」

「じゃ、じゃあ、あなたが勝った場合の条件を増やしましょう。私を好きにしていいですよ?」

「要らん。帰れ」

 即答である。その瞬間、白雪は胸のあたりに何かがぐさりと刺さったらしく、傷ついた顔をして蹲ってしまった。これ幸いにと、丈は白雪を放置して歩き出した。

 少し先からちらりと振り返ってみると、白雪はどこかへと消えていた。これで諦めてくれるといいのだが、と淡い願望を抱きながら、丈は帰り道を急いだ。

白雪姫の話については、おかしなところがあればダッシュでグリム童話借りてきます。

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