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1 魔女にまつわる一つの雑談

「あーもう無理!」

 ピンクのシャーペンを机の上に放り出し、すなわち、締切三十分前の数学の宿題を放り出し、真壁阿澄は叫んだ。

 二人きりの教室で静かに本を読んでいた桐島丈は、シチュエーションに似合わぬロマンチックでもなんでもない奇声に顔を上げる。阿澄は机に突っ伏し、疲れた声で呻く。

「もう無理無理無理! あと三十分で数学の問題三十問? 一問一分で解けって言うの? 無理だっつの!」

 早々に諦めモードで駄々をこねる阿澄に、丈は嘆息する。

「お前が今日提出のドリルを忘れていたのが悪いんだぞ。放課後まで待ってくれる先生に感謝しろ。そして帰りを律儀に待っていてやってる俺にも感謝しながら、叫んでる暇があったらさっさとやれ」

「感謝ったって、あんた別に何も手伝ってくれるわけじゃないし、感謝すべき要素が見当たらないわ」

「――帰る」

「あーちょっとタンマ! ジョークじゃない、小粋なジョークじゃないのよ、帰らないで」

 阿澄が鬱陶しく腕に絡みついて引き止めてくるので、仕方なく丈は待っていてやる。阿澄は渋々といった調子で再びペンを持つ。

「もうとりあえず適当に解答欄埋めようかな。そんでぱっぱと提出して、終了っ。成績なんか知らない! 提出しただけマシってもんよね」

「別に、お前の成績なんか知ったこっちゃないから、どうしようが構わないけれど」

「ちっがーう! そーいう言葉を求めてるんじゃないのよ」

 何故か怒られて、丈は釈然としない気持ちになる。ただでさえ時間がないのに、阿澄は懇切丁寧に説教を始める。

「そういうとき、幼馴染といえば、もっと優しい言葉をかけて励ますものよ。『そんなこと言わないで頑張って、俺も手伝うから』みたいな。『適当にやっちまえー』なんて、私のためにならないでしょ。私のことを思うなら、手伝って」

「それこそお前のためにならないじゃないか。自分でやらなきゃ」

「いーのよ、このさい私のためにならなくたって!」

 言っていることがむちゃくちゃだ。丈は頭を抱える。

 カリカリとシャーペンを動かしながら、阿澄はなおもぶつぶつ言い募る。

「なんとかならないものなのかしらね……ねえ、丈、あんた魔女の血を引いてるんだから、魔法でぱーってなんとかできないの」

「……魔女の力は男には遺伝しないんだ、無理に決まってる。だいたい、魔女の魔法ってのはそんな便利なもんじゃないぞ」

 阿澄の無茶な要求を突っぱね、丈は溜息をついた。阿澄は冗談で言っただけだろうが、魔女について、そして、魔女の血を引く丈について、まだまだ誤解のある者は多い。それにいちいち反論するのは、そろそろ面倒になってきたころである。

 確かに、丈の母・桐島御影は魔女だった。魔女という存在は、魔女が職業として認められた、この「魔法特区」の中では別段珍しくはない。それでも、桐島御影というのは、特区の中でもかなり有名な魔女だったらしい。

 御影には五人の子どもがいた。うち、四人は女で、魔女の力を受け継いだ。末っ子だけが男で、魔女にはならなかった。それが丈である。

 四人の姉たちは、それぞれ魔法を使えるが、その力は、やはり御影には及ぶべくもない。御影は特別だったのだ。

 特別な魔女の子どもなのだから、と男の丈にもあらぬ期待を掛ける者が大勢いた。そういった者たちは、すぐに失望して、素早い変わり身で姉たちに媚びを売り出した。そういうのが煩わしくて、実家を飛び出してアパートで独り暮らしを始めた。

 しかし、間抜けな話だが、実家とアパートの距離はほんの一キロほど。あまりに滑稽な話なので、姉たちは笑って弟の暴挙を見逃したのだ。

「そんなに煩わしいなら、魔法特区から出ちゃえばいいのに。そうすれば、魔法なんかとは無縁でしょ?」

 と阿澄は言うが、そう簡単な話でもない。

「無理。性別にかかわらず、魔女の血縁者は、魔法特区からは出ちゃいけない決まりなんだ」

「あー、そういえば、授業でそんなこと言ってたかも。でも、なんでなのかな? 男は魔女じゃないんだから、別にいいじゃないって思うんだけど」

「俺自身は魔女じゃなくても、俺の子どもは魔女になるかもしれないだろ?」

「ああ、隔世遺伝って奴ね」

「そう。魔法の力は女性しか受け継がないことから、魔女の才能は伴性遺伝するんじゃないかって説がある。魔法はX染色体の異常であると、あくまで科学的に説明しようとした説だ」

「え、でも、X染色体に異常があったら、伴性劣性遺伝の場合、男性の方が発症しやすいんじゃなかったっけ?」

 遺伝についてはまだ習っていないはずだが、即座に問題提起できるあたり、阿澄はこの手の話に授業とは関係なく詳しいのかもしれない。阿澄は数学のドリルの余白にちまちまと書き込みをする。

「えーっと、魔女遺伝子をxとすると、女性の遺伝子型はXX、Xx、xxの三つ。で、このうちxxだけが魔女になる。女性は三分の一の確率で魔女になる……といいたいところだけど、そもそもこの魔女遺伝子がそんなに存在しないから、魔女も国全体で見ればそんなに多くないわけね」

 そして、続けてメモするのは男性の遺伝子型。XYかxYだが、通常なら後者は魔女になるということになる。つまり男性は二分の一の確率で魔女になる理屈だが、しかし、実際には男は魔女にならない。

「だから、X染色体の異常を、Y染色体が打ち消すんじゃないかとか、そういう結論に至ってた気がする。まあ、そもそも魔法だの魔女だのっていう非科学的な話を無理やり生物学で説明しようとしている話だから、これが本当に正しいっていうわけじゃないだろうけど」

「でも、その説で行くと、丈は魔女ではないものの、魔女遺伝子のキャリアってことになるわけね」

 そういうことになる。しかし、丈には一つ疑問が浮かんだ。

「……お前、生物の理解は早いのになんで数学はできないんだ?」

「せ、生物と数学の成績に因果関係はないもん!」

 つまらない話で五分ほどロスした。阿澄は慌ててページを捲った。


うろ覚えの知識なので、間違いがあるかもしれません。ご指摘があったらちゃんと教科書を発掘してきます。

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