日本海の果てまで持って行こう。
施設に頼ることができなくなった僕達は、行く当てもなく今朝の河原に戻ってきていた。
そこそこ手入れの行き届いた草の上に胡坐をかきながら、目の前を流れていく川の水をただぼうっと眺める。
デジャヴ? 知らん知らん。
ぐるるー、と腹の虫が騒ぎ始めてから早二時間。
今朝から何も腹に入れぬまま、現在午後二時である。
いい加減 ナニカ食べたい 午後の二時。
うん、いい句が読めた。しかし腹は膨れない。
「腹減ったなぁ」
食べるものが無いこともない、ボロアパートを出るときに持ってきた鮭の缶詰はある。
食料はある、しかしながら僕達はその食料を口にすることができなかった。なぜなら、
「缶きり持ってねぇ」
ということである。人間は無力だ、道具が無ければ缶詰のひとつも開けられやしない。
ま、お金あるし。いざとなれば夜間スーパーでおにぎりでも買いますよ。いやぁお金の力は偉大ですね。
しかし懐に余裕がないため、あまりお金には頼りたくない。だから今は。
「おねーちゃーん! おたまじゃくしとってきたー!」
「おー、お疲れさん。待ってろ、もうすぐご飯食えるからな」
バケツを手に駆けて来るくるみにねぎらいの言葉をかけつつ、その辺の家から拝借してきた竹竿を手に立ち上がる。
今は、お金を使わずにヌシ釣りといきやしょう。
バケツからおたまじゃくしを一匹取り出して釣り針に引っ掛ける。
ごめんよおたまじゃくし、お前の命は無駄にはせん。
ここでひとつムダ知識。
川釣りをする時おたまじゃくしを餌にするとね、確実に釣れるから。いやマジで。
そんなムダ知識はさておき、小さな命と引き換えに狙うは大物である。
「とうっ!」
適当に水かさの深そうな位置に針先を放り投げ、とりあえず待つ。
あとはおたまじゃくしが頑張ってくれんだろ、家宝は寝て待てってね。
釣りにいそしむ僕の隣でくるみが指をくわえながら一言。
「くるみね、おたまじゃくしたべるのかとおもってた」
くるみさん。あんたね、アレ食べるつもりでとってたのかい。
「馬鹿言ってんじゃないよくるみさん、そりゃ害はないだろうけど。気持ち悪いだろ?」
「えー かわいいよー」
「マジで言ってんの? おたまじゃくしって大人になったらカエルになるんだぞ?」
「おねーちゃんのうそつき。かえるはかわいくないから、おたまじゃくしはかえるにならないもん」
うわすごい理屈だね。
「まあそのうち授業で習うか。おっと、かかった!」
握っていた竿に確かな手ごたえ! この感覚、中々の大物か!?
大物といっても所詮は川釣り、相手は鮎で間違いないだろう。
「オラオラオラオラオラオラオラオラァッ!」
河原の鮎風情が、竹竿を持った僕に挑むとは片腹痛し! 身分をわきまえぬ川魚め! 今宵貴様は、僕とくるみの朝食になるのだ!
『ッフ。珍しいエサと思い食いついてみれば、ただの小僧じゃないか』
なっ、なんだ!? なんか聞こえたぞ!?
『おまけに竿は竹ときたもんだ。青くさい、私もなめられたものだ』
「おいくるみ? なんかすっげーダンディな声、聞こえない?」
僕の問いに「は?」と首をかしげるくるみ。
あれ、おかしいな。確かに聞こえるんだけどなぁ。
『なにを馬鹿な。これは私と貴様との真剣勝負。この場で私と会話ができるのは、私と戦っている貴様だけであろう』
真剣勝負? ま、まさか。川魚か!?
嘘、魚が喋ってんの? ハハッ、ウケる(笑)
『笑っていられるのも今のうちだぞ小僧、なにせ私は数々の釣りバカ達を川に沈めてきたこの河原のヌシ。すぐに貴様もこの川に引き釣り込んでくれよう』
引きずり込む、いや。引き釣り込むってか。上手いこと言うなお前。
なんか釣り上げて食ってしまうのは勿体無いけど、こっちだって命が懸かってんだ。そう簡単に負けてはやれん。
『ほう? 私を釣り上げる気でいるのか? 馬鹿なことを。身の程を知るがいい』
身の程を知るのはお前だ。こっちだって熟練の川釣り人を名乗るモノノフ、半端な覚悟でここに立っているわけではない。人の竿だけど。
御託はいい、さぁ早く勝負を始めようじゃないか。
『モノノフだと? 面白い。いいだろう、その勝負受けて立つ』
言うや否や竿にかかる重圧が増した、どうやら戦闘態勢に入ったようだ。
『だがその前に、貴様の名を聞いておこう。これから沈めるものへの礼儀だ』
魚のくせに礼儀まで知ってるのかこいつは。
僕は春。これからアンタを釣り上げる者の名前だから、ちゃんと覚えておくように。
『春か。その名、日本海の果てまで持って行こう』
川魚って海行ったら死ぬんじゃ……おっと。
そうだ、こっちも礼儀としてアンタの名前を教えてくれよ。
『私の名だと? 魚である私に、名など無い。だがあえて言うならばヌシだ』
ヌシね、うん。魚っぽい良い名前だ。
名前も言い合ったし、もういいだろ? さっさと始めようぜ。
『フフッ、久々に人間と話せて楽しかったぞ。また挑戦しにくるといい、私は何度でも受けて立とう』
悪いな、もう挑戦しには来ねーから。ここでヌシさんを釣り上げて、それで終わりだ。
「ふぅ」
そこで思考を中断し、竿を握り締める。もうヌシの声は聞こえない。
だが、竿から伝わる振動がまさにヌシの雄叫びなのだろう。力強く、釣り糸の先で暴れまわっている。
ヌシが疲れるのを待ってやってもいい。だが、それは真剣勝負ではない。
ということで、こっちも全力でいきますけど! 恨みっこ無しでお願いしますよヌシさんッ!
そもそも僕はなぁっ!
「もー腹減りすぎて、負ける気がしねーんだよぉぉおおおおおおおおおっ!」
しなる竿の音。水しぶきの跳ねる音。そして。
『見事だ』
正々堂々と戦ったヌシの声が、聞こえた気がした。
ヒロインはどうした? 話が違うぞゴルァ!
と思われた方、すみません! 次回こそ登場しますので、どうか御慈悲を!