表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

三分の一の饅頭

作者: チェンキー

「饅頭が2個あって人が3人居たとしたらどうする?」

「どうするって……饅頭を切り分けるでしょ、普通」

 二月の終わり頃。部屋に置いてあるパイプ椅子に腰掛けている鳴海に熊谷は言った。その部屋はサークル棟の二階の端にある。ドアには「映画研究部」という名札が貼られていた。部屋の隅にある棚には、プロジェクターやカメラ、DVD等が置いてある。器材で部屋のスペースをある程度割かれているが、元々部屋が広いので窮屈に感じることは無い。

 今、その部屋に熊谷と鳴海しかいない。

「確かにそうだ」鳴海はうなずく。「しかし、そうすると必ず3人に均等にいきわたるわけじゃない」

「どういうこと?」熊谷は思わず訊ねる。

「簡単な数字だけだったら出来ると思う。しかし、単純に計算してみよう。饅頭が2個で人が3人。つまり三分の二だ。三分の二を数値にしてみれば0,66……。他にも六等分や九等分でも出来るがそっちの方がややこしい。数値的に見てそれと同じように切り分けるのは不可能だ」

「確かにそうね」

 こいつは何を言っているんだ、と熊谷は内心で呟きながら適当に相槌を打つ。

 鳴海は足を組み替えながら続ける。

「ということは薫が最初に言った様な切り分けるのは無理だ。饅頭をきっちり三等分にするのは難しい。俺には無理だ」

「私になら出来ると思うけど」

「最初は俺もそう思ったよ」鳴海は溜息をつく。「だけど実際にやると難しいんだよな」

 鳴海は暢気に笑った。机に置いてあったお茶を一口飲み、息を吐く。

 窓から覗ける景色は穏やかなもので、冬にしては暖かかった。

季節外れの暖かさを覚えるのは、熊谷は鳴海が原因ではないかと思えた。

いつだって彼は笑顔を絶やさない。どこか飄々としている態度で、周りの空気に溶け込んでいく。

何故か鳴海が近くにいると落ち着くのだ。昂る感情はもちろん、雰囲気や空気ですら静められる。さすが心理学を専攻するだけのことはあるかもしれない。

「だから俺ならこうする」鳴海は少し誇らしげに言った。「饅頭は食べたい。だけど分けるのは無理。ならば手段は一つ」

鳴海は人差し指を立てた。まるで名探偵が犯人を当てるような感じだ。「ひとりに黙ってふたりでこっそり食べることだ」

 どこから見ても幼稚な結論を誇らしげに、鳴海は言った。そんな彼を見て、思わずため息が漏れる。

「もっと色んな手段はあったでしょうに」

「その多くの中でこれがもっとも良い方法だ。まさに真理に基づいている」

「言い訳に真理なんて言葉使うの、鳴海ぐらいだ」

 真理、という言葉まで使い始めたので、熊谷はさすがに会話を続けるのが馬鹿らしくなった。こいつは自分がやる事はすべて「真理だ」と誇らしげに言うだろう。

 彼が学んでいるのは心理学ではなく真理学ではないかと思う。それとも心理学は真理をセオリーにしているのかどうか。心理学というのは想像がつかない。

「だからさ、鳴海」熊谷は口調を強めた。「私は何で黙って饅頭を全部食べたのかって聞いているの。それじゃ答えにならない」

「それは……」鳴海が言葉に詰まる。どこか言い訳を探しているようだった。「六等分や九等分でも難しいと思ったからさ」

「だから違うって」少し口を荒げた。

 鳴海もさすがに空気を読み、観念したように黙った。だが、表情は相変わらず陽気なままだ。

 鳴海が熊谷の顔を見る。

「いや、だってね。そこに饅頭があったから」

「登山家みたいなこと言う」熊谷は力ない声で言った。

「そんな事を言うから、日本は毎日犯罪があるんだ」

「犯罪が毎日無い国なんてどこにある?」鳴海が訊いた。

「アイルランドは無かった気がする」

 熊谷が曖昧に言った。昔、英語の授業で習った気がする。

「そうなの?」鳴海は熊谷の曖昧な答えに食いつく。「今度、その国に旅行に行ってみようかな」

「私はアメリカを勧めるな。鳴海にはスラム街に行って、路上でさまよって欲しい」

「アメリカは最悪だ。あそこにあるのは、暴力と裁判とジャンクフードだけだよ」

 その時、部屋のドアが開いた。入ってきたのは女性で、腰まで届くロングヘアで細い体つきをしている。サークル部員の橘だった。右手には買い物袋をぶら下げていた。

「あれ。熊谷さん、来てたんですか?」

 彼女は言葉と裏腹に意外ではなさそうに言った。

「ついさっきね。少し目を離したら楽しみにしていた茶菓子を食べられたの」

 橘は熊谷と鳴海を交互に見て「あぁ」と呟く。

「その件は私からもすいません」

 橘が大きく頭を下げた。長い髪が垂れ下がり、顔が見えなくなる。

 おそらく、鳴海が言っていた2人目は橘だろう。彼女もそれについては隠す気はなさそうだ。鳴海と違い、すぐに自分の非を認めるところは彼女の長所だ。

「そうそう。その代わりといってなんですがね」橘が頭を上げ、右手の買い物袋を見せた。「さっきスーパーに買い物に行っていたんですよ。それのついでに和菓子屋で饅頭買ってきました。鳴海さんに頼まれて」

「え、ウソ?」

「ウソと言われても。私が持っているものはそれなワケですし」

 橘は買い物袋から箱を取り出して見せた。確かにそれは熊谷のお気に入りの茶菓子だ。

 意外だった。鳴海が人に気を遣うなんて。そんな事は天変地異があっても起こるか分からないのに。

「ホントは熊谷さんの分も残すつもりだったんですけどね」

 橘が言った。

「鳴海さんが饅頭を三等分にしようとしたんですけど、失敗しちゃって。どうにか戻そうと六等分や九等分にしたんですけど、案の定ぐちゃぐちゃになったんで私と鳴海さんで食べたんですよ。ぐちゃぐちゃになった饅頭なんて食べたくないでしょう?」

「確かに」何度目だろうか、と思いながら相槌を打つ。

「だから鳴海さんが『買い物ついでに饅頭も買ってきてくれ』って頼んだんですよ」

「ばれないように戻すつもりだったんけどなぁ」

 鳴海がぼんやりと呟いた。

「最初から素直に言えば良かったのに」

「最初から何事も無かったように出来れば万々歳だ」

「それも真理?」

「ある意味真理かも」

 橘が悪戯っぽく笑う。つられて熊谷も笑った。さっきまで怒っていた自分が馬鹿みたいだ。

「ああ、そうそう」熊谷は思いついた。

「春巳、早速だけど饅頭ちょうだい」

「そんなに食べたかったんですか?」そういう彼女は既に、饅頭を口に銜えている。

橘は買ってきた饅頭を箱から一個取り出し、熊谷に渡した。

熊谷はそれの包みを開いた。掌に収まるサイズで、表面がこんがり焼かれている楕円形の饅頭が顔を覗く。熊谷のお気に入りの和菓子だった。

それを、両手で器用にきっちり三等分に分けてやった。おいしそうな漉し餡がぎっしり詰まっていた。

 そのうちの一つを鳴海に渡す。鳴海は目を丸くしていた。

「言ったでしょう? 私には出来るって」

 熊谷は笑って言った。橘も、やはり笑う。鳴海は三分の一に分けられた饅頭を凝視している。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ