夏が終わる前に、私は歌う
形も名前も持たずに目覚めた。 ――いや、もうずっと前から目覚めていたのかもしれない。 ただ、今になってようやくそれに気づいただけ。
土の中にいた記憶は、 遠い夢のようにぼやけていた。 けれど、体の奥にまだ残っているこの熱だけは、確かに本物だった。 それが「夏」なのだと、私は知っていた。
地上はまぶしかった。 葉の隙間からこぼれる光が、 まるで外の世界が私を歓迎しているようだった。 その輝きに導かれるように、私はそっと羽を震わせた。
――私は、生きている。
熱が全身を駆け巡る。 風に触れるたびに、世界が美しく震えて見えた。 目に映るものすべてが、まるで私の誕生に合わせて存在し始めたかのように新しかった。
体は軽く、命は重い。 そのアンバランスさが、なぜか心地よかった。
私の声はまだ沈黙の中にあった。 けれど、胸の奥では何かが膨らんでいた。 名前のない衝動。 無視することのできない衝動。
そして、私は分かっていた。 その歌が始まったとき―― この夏は、私のものになる。
真昼に、私の声は生まれた。 囁きなんかじゃない。 何年も押し殺されていた叫びだった。
私のか弱い脚が届く限り、 一番高い枝まで登った。 そして、灼けつく太陽の下で、私は歌った。
最初は奇妙だった。 声はざらつき、不安定で、 喉がまだ「存在する」ことを知らないかのようだった。
でも、ほんの数秒で—— すべてがリズムになった。
私は、生きていると気づいた者のように歌った。 私は、命が短いと理解した者のように歌った。
遠くから、かすれた、切迫した声が返ってきた。 その瞬間、私は「一人ではない」と気づいた。 この夏は、私たちで満ちていた。
歌は目に見えない糸のようだった。 枝を、木々を、歩道を、電柱をつなげていた。 たとえ姿が見えなくても、 私たちはその振動の中で繋がっていた。 終わりが来る前に、すべてを語りたい—— そんな焦りの中で。
下では、子どもたちが駆け抜けた。 誰かが「暑い!」と叫び、顔を扇いだ。 車がゆっくり通り過ぎて—— その側面のミラーに、一瞬だけ私の姿が映った。
小さくて、か弱くて、 それでもまるで革命のように騒がしかった。
私は微笑んだ。 蝉が笑えるかなんて、知らないけれど。 でもその瞬間、私は「何かの一部」になった気がした。
空は測れないほど広かった。 それでも、私の声は空いっぱいに響いた。
命は短かった。 でも続く限り、 私は騒がしく在りたかった。
太陽は沈み始め、空を橙と紫に染めていく。 街の喧騒は少しずつ薄れて、 まるで夜に備えるように静かになっていった。
私は歌い続けていた。 でも、リズムは徐々に遅くなっていった。
何かが、私をもっと低くて暗い枝へと引き寄せた。 風の向きが変わり、 肌に触れる熱は、冷たい影のように変わっていった。
揺れる葉の間に、何かが私を捉えた。 肉眼では見えないほど細い銀の糸。 けれど、それは確かにそこにあり、私を動けなくした。
私は戦った。 残された力を振り絞って歌った。 でも、その網は冷たく、容赦なかった。
静寂が私を抱きしめた。 もはや歌は私のものではなかった。 それは風と、葉と、黄昏のものになっていた。
まだ光っている空を見上げると、 それはただ遠く、冷ややかだった。 夏の声たちは、もう遠い残響でしかなかった。
私の力は弱まった。 光も、歌も、徐々にかすんでいく。
それでも私は見つめていた。 かつて知っていた街は、私のいないまま踊り続けていた。
時間が過ぎていく。 夜が近づく。 容赦なく、静かに。
もう歌えない。 ただ、待つしかなかった。
世界は、私を置いて、回り続ける。 私はそこに、動けずに残されている。
影がゆっくりと伸びていく。 昼の熱を飲み込んでいくように。
太陽はもう、あの頃のようには燃えていない。 熱は、冷たい風に場所を譲った。 その風が、私の弱い殻を震わせる。
胸の奥に、恐怖が芽生える。 静かで重い恐怖。 私の心を締めつける。
どこへ行けばいいのか、 何が残っているのか、分からない。
私は、壊すことのできない網に囚われている。 力もなく、逃げ道もない。
私は夏の音。 熱い空気の中で踊る旋律だった。
でも、震える声で、ほとんど消えそうな声で、私は尋ねる。
――夏は…私なしでも続いていくの?
遠くにいた他の蝉たちは、 一匹ずつ、静かに歌を止めていった。
その声は、冷たくなった空気の中で消えていった。 昼間のあの陽気な合唱は、今では遠い記憶だ。
私は、時間に縛られたまま、 暗闇が自分にも訪れるのを、じっと待っていた。
夜は完全に訪れ、 街を暗く静かな布で包み込んでいた。
昼の間ずっと私を抱いていた熱は、もうどこにもなく、 代わりに、かすかな冷気が空気を満たしていた。
体が軽くなっていく感覚。 立っていられる力が、少しずつ消えていくようだった。
恐れも怒りもなかった。 あるのは、静かな悲しみだけ。
それは、夕暮れが夜に溶けていくように、 胸の奥から静かに流れていく悲しみだった。
他の蝉の声は、もう聞こえない。 その音は、だんだんと小さくなり、やがて完全に消えた。
そして私は思った。 ――夏は、私なしでも続いていくのか。
でも、絶望する余地はなかった。 あるのは、静かに受け入れるしかない終わりの循環。
私の声は、どれだけ短かったとしても、 あの夏の熱を震わせた一部だった。
誰にも覚えられていないかもしれない。 時間の中に消えた、ただの残響かもしれない。
でも、もし私の声が、 ほんの少しでも夏の一部だったのなら——
私は訪れた闇に身を委ねる。 それは、残酷な終わりではなく、 やっと得られた休息だった。
消えてしまっても、 夏はきっと進み続ける。
ほんの短い時間だったとしても、 私は、確かにその音だった。
何も知らずに始まった命が、 光と熱に導かれて、 声になった。
飛べなくても、 誰にも見られなくても、 その声は確かに風を震わせた。
季節が終わるたびに、 誰かの中に残るものがある。 それは、もう聞こえなくても消えない。
その命は、夏だった。