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「ねぇ〜ハナ〜、早く調査の続きしようよ〜〜〜。」
「やだ、絶対やだ。」
宿屋のロビー。そこにあるソファの上で、俺はガタガタと震えながら部屋にあったシーツに包まっていた。それを引っ剥がそうとヴェアティが引っ張ってくるのに、全力で対抗する。
「そんなに怖かったの〜? 怪談好きなくせに。」
「怪談が好きだからって、怪奇現象に巻き込まれたいわけないだろ……。少なくとも俺はそうだし……。」
最初はほぼ興味本位だった。幽霊なのであれば、ある程度の物理的干渉は、あってもポルターガイスト程度だろうと思っていた。だが……あんなにべったりと跡を残されては、あまりにも気持ち悪かった。やろうと思えばDNAなんていくらでも採取できてしまいそうなほどに、あまりにもくっきりとしたそれは、俺のやる気をゼロに、恐怖心をマックスにまで弾き飛ばすのには十分すぎたのだ。
「逆に、なんでお前はそんな平気なんだよ?」
「いや、普通に怖いけど。それ以上に興味が出てきちゃってさ。」
「……好奇心は猫をも殺すって諺があってだな。」
「あっはは、今の私にピッタリじゃ〜ん。」
ケラケラと笑いながら、彼女は俺のシーツを引っ張ってくる。微妙に俺よりも力が強い。このままだと普通に引き剥がされてしまう。
「ねぇ〜、ハナがいないと不安なんだよ〜……。お願い……。」
先ほどとは打って変わって、若干震えた声でヴェアティが嘆願してくる。直感的に演技だとわかったが、それでも思わずシーツを掴む手の力が、一瞬緩んでしまった。
「おりゃっ!」
「ああっ、かえせ!」
その一瞬の隙を突かれて、シーツを奪われる。すかさず手を伸ばすも、彼女はその塊を体の後ろへと隠してしまった。俺の安寧の場所が!!!
「あーもうわかった、わかった! やればいいんだろやれば……。早く返してくれよ、それなしで寝たら最悪風邪引くし。」
「調査が終わったら返すよ〜。」
そう言いながら彼女は、ずきんのようにしてシーツを被った。すんすんと二、三回鼻を鳴らして、そのまま嬉しそうに笑う。
「……それで、お前はなんか目星付いてんのかよ。」
調査の間ずっと色々と考えていたが、あの手垢を見たショックで全部飛んでしまったのだ。それ故今は彼女を頼るしかない。
「ん、まあ一応ね。」
ヴェアティはさらっと答える。声色からしてそこそこ自信もあるらしい。
「それじゃあ早速、外に出てみない?」
改めて外から見てみた宿屋ルーイヒは、やはりかなり目立つ見た目をしていた。ギリシアを思わせる真っ白な建物のなかに、ポツンと一つだけある、灰色の建造物。剥がれた外壁や大きなヒビが、どうしても廃墟を思わせる。
「……相変わらず、酷い見た目だこと。」
「内装リフォームで相当予算食っちゃって、外見まで手が回ってないとかじゃないかな?」
ヴェアティはそう推測の言葉を口にしながら、建物の外周を回り始める。なんとなく向かう場所はわかった……あの部屋の窓のところだろう。
「……にしても、結構大きいよねこの建物。」
ふと、そんなことをヴェアティが言った。横を少し見上げてみれば、縦に三つの反射光が並んでいる。周囲の建物と比べても一段高いのだ。
「まあ、そうだな。」
まあ、だからどうしたと内心思いながらも短く返答する。
「……あれ、気付いてない感じ?」
ふと聞こえてきたのは、かなり意外そうなヴェアティの声だった。
「え、なんかあんのか?」
「んー……まあ後で。とりあえず着いたよ。」
首を傾げながらも、改めて上を見上げる。光が差し込む中で、窓が一つだけ妙に白く濁っていた。それだけでわかる、あそこが俺とアーマリアの部屋だと。
「んー、やっぱり下側には何もないかぁ。」
しかしヴェアティがいうように、これといって何か目立ったことがあるわけでもなかった。縦に二つ並んだ窓が光を反射している。
「ちぇ、ほぼ振り出しか……。」
「……本当になんで気づかないの?」
軽く萎えている俺の肩を、ヴェアティがちょいちょいと叩く。そしてそのまま二階の少し上を指差した。
「ねぇ、この建物三階建てみたいなんだよ。」
「……あっ。」
ほんとじゃん、全く気が付かなかった。
「はぁ〜……まあ、怖すぎて頭が回らなかったってことにしとくね。」
珍しく呆れた様子で、ヴェアティがため息を吐いた。思わず苦笑いしてしまう。
「多分、ハナの部屋の真上からあの手垢の持ち主はやってきた。なんてったって手の向きが逆さまだったからね。まあ幽霊だとしたら常識は通用しないかもだけど。」
「でも、三階についての説明に、あと階段もなかったぞ?」
「隠されてるんじゃない? 宿屋の主人も、多分三階の存在は認識してると思うよ。持ち主なわけだし。許可を取って探してみればいいんじゃないかな。」
……なんだか、急にワクワクしてきた。ゲームでいう、視界の端には見えているのに取り方がわからない宝箱。それに通じる道を探しているような感じがする。そう考えれば不思議と怖くは……。
「……いや、でもやっぱ怖いわ。」
「ビビり!!」
「うっせ!」
おっさんだからといってビビっちゃダメなわけがない。多分。
「お、おい、ヴェアティ。本気でやるのか……?」
「ここまで来て逃げるつもり?」
震えながら発した俺の問いかけに、ヴェアティはズバッと質問で返してきた。現在地は、この宿屋にて倉庫となっている部屋。なんでも主人曰く、三階の存在は把握していたらしい。隠し階段だとかがないかと一応いろいろ調べたものの、この部屋だけはどうも薄気味悪くてあまりちゃんと調べなかったんだそうだ。探索の許可を申し出たら、少々悩みながらも頷いてくれた。ちなみに許可申請をしたのはヴェアティだ。俺はなんなら後ろでめっちゃ首横に振ってた。
「ほら、いいからハナもあれこれ引っ張り出すの手伝って!」
「……はい……。」
……押されるとそのまま流されるのが俺の弱点だなと、今改めて思った。
さて、それから十数分。倉庫の中身をそこから引っ張り出すのに、俺たちはなかなか苦戦していた。
「うぐぐぐ……小説だとこう言うやつの後ろにあるんだけど……。」
目の前ではヴェアティがタンスを動かそうと四苦八苦している。どこからどう見ても、非力な少女の力二つでは動かない代物だ。
「やめとけって、それ倒れたらどうするんだよ。」
「……むぅ、確かに……。」
深くため息をついて、彼女は動かすのを諦める。倒れて壊してしまったりでもしたら間違いなく追い出されるし、潰されたら間違いなく死ぬし……。……いっそのこと、ここでもう調査を止めるように進言すべきだろうか。
「……なぁヴェアティ、」
彼女に提案をしようと声をかけたその時、ズボン越しに足に嫌な触感が現れた。
「……。」
何か、そこそこの質量を持ったものが足にくっついている感覚。どっと冷や汗が流れる。よくよく感覚を研ぎ澄ませてみれば、それは少しずつ上に上がってきている。恐る恐る、視界を下に下げる。その途中で、引き攣った笑みを浮かべるヴェアティが、俺の足をじーっと見つめている。
「……。」
「……。」
……まあ、いないと思っていたわけではなかった。こんなに埃を被っていていい感じに影のある場所だ、そりゃそういうモノが湧いてもおかしくないわけだし。だが、しかし。
「……ハ、ハナ……動かないでね……?」
「……。」
蟻とゴキブリを足して二で割ったかのような外見をした、そこそこのサイズがある、生理的嫌悪感の半端ない昆虫。まさか、あの森にいたあいつとまたもや相見えることがあろうとはつゆほども思わなかった。僅か一瞬のみ、思わず思考が停止する。そして。
「……ぎえええええ!!?」
自分でもびっくりするほどに変な声を出しながら、俺はパニックになって、そいつを振り払おうとその場でジタバタとし始めた。
「ちょ、ちょっと! 落ち着いてハナ!」
「無理無理無理!」
静止するヴェアティの声を聞き入れる余裕などなく、足を何度も振り払い、その度に転びそうになる。なおも未だその虫は剥がれない。
「ハナ!!」
ヴェアティが一際大きい声を出す。その瞬間、後ろにあった木箱に引っ掛かり、そのまま後ろに倒れ込んだ。
「うべっ。」
壁にそのまま頭を強打……かと思いきや、バコッという音と共に視界がひっくり返り、結局頭を強打した。足についていた不愉快な感覚はどこかへといってしまっている。
「……お手柄だね、ハナ。」
呆れながらもどこか楽しげな声色でヴェアティは呟く。鈍痛が残る後頭部をさすりながら改めて目の前の光景を認識した。
「やっぱり、隠し階段だ。」
埃に覆われた古びた階段が、上へと続いていた。
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