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服を買ったり、改めて予定を確認したりしているうちに、とうとう旅行決行の日となった。そこそこ大きい荷物を持って、待ち合わせ場所である馬車の停留所へと向かう。
「おおっ! お二人とも、もう来ていたのだな。」
馬車の停留所にあるベンチ。そこにはアーマリアとヴェアティが腰掛けていた。上機嫌な様子でヘルスティアは彼女らに話しかける。
「遅いよ〜二人とも〜。私たち三十分前には来てたんだけど。」
「シンプルにお前らが早いんじゃないか?」
「バレた?」とヴェアティは笑う。彼女たちもまた大きな荷物を持っていた。移動に数日かかる上に三泊四日もするのだ、そりゃ荷物もかなり多くなるのは仕方がない。
「む……そういえば、フラメ先生はまだ来ていないのかね?」
「少なくとも私たちがきた時にはいませんでしたね……。」
ヘルスティアの疑問に、アーマリアがクッキーを齧りながら答える。どこから持ってきたそのクッキー。あと食いながら喋るな、それでも貴族かお前は。
「そろそろ出発の時刻であるが……大丈夫であろうか。」
「先生は大丈夫だと思いますけどねぇ……。」
そんなことを話していると、不意に後ろから声が聞こえてきた。
「すみません、少々遅れてしまいました。」
「ああっ、先生来たんですねってうっひゃあ!」
この前のように、またもやヘルスティアが素っ頓狂な声を上げる。振り返ってみると、俺たちのを合わせたそれよりもはるかに大きい荷物を抱えたフラメ先生がいた。
「すみません、ちょっと、荷物が重くて……はぁ、少し休ませてください……。」
これから海へ向かうはずなのに、まるで登山にでも行くようなサイズのリュックサックを彼女は背負っている。それを一度地面に下ろしたフラメ先生は、その場にしゃがみ込んで、荒れた息を整え始めた。……もしかしなくても、この人が一番楽しみにしてたんじゃないだろうか。
「その……何が入ってるんですか……?」
「釣り道具一式、パラソルに折りたたみ式の椅子、それに着替えと……」
……うん、間違いなくこの人が一番楽しみにしてたわ。数日いるだけなのにそんなに用意するのかと思うほど大量のものを用意している。大人が本気ではしゃぐとなると、金に糸目をつけないのだから、子供のそれよりも凄まじいことになるのはわかるが……。
「先生、そんなに海楽しみでしたか……?」
「ええ、ええ。実は、さ……云十年と生きてきて、一度も行った事がないのです。同僚から散々自慢されたりマウントを取られたりして何度歯を軋ませたことか……!」
今三十年とか言いかけただろこの人。見た目に反してそこそこ年齢が……。
「シークスさん?」
「なんでもないです。」
……この前はアーマリアに心読まれたし。俺そんなに顔に出るのかな。営業スマイルは得意だったはずなんだが……。
「……さて、そろそろ馬車が到着しそうですね。……その、申し訳ないのですが荷物を運ぶのを手伝ってもらっても……?」
「もちろんです。」
遠くから、馬車が近づいてくるのが見える。先生曰くどうやらあれに乗るらしい。すぐに荷物を運べる様に、先生の分も持っておこう……。……重いな。
「〜♪」
揺れる馬車の中、フラメ先生の機嫌の良さそうな鼻歌が響く。どこか聞いたことがあるようなないような、そんな感覚を覚える旋律だ。
「意外と、馬車というのは揺れるのであるな……。」
あまり落ち着いていない様子で、ヘルスティアは呟く。何気に俺の袖を掴んできていて、少しかわいい。
「もしかして初めてか?」
「うむ……そんなに遠出することもなかったからな……。」
「ふふ、そのうち慣れますよ。」
アーマリアがどこか得意げに言った。貴族という立場である以上、馬車での移動が多いのだからそりゃ相当慣れているのだろう。たまにくる大きな振動にも基本的には無反応だ。
「あっはは、でも多分身体中痛くなるよ。ねぇハナ?」
「もう既に腰が痛いんだが。」
「早いね〜」とヴェアティはケラケラと笑う。にしても、馬車に乗ってもう一時間ほどは経っただろうか。遠くにかろうじて王都こそ見えるが、風景はだいぶ変わってきている。最初はのどかな田園風景が続いていたが、今は風に吹かれた草がそよそよと揺れる草原の風景が続いている。道はあまり整備されておらず、馬車が揺れる頻度も少し増えた。
「……おおっと!」
遠くにあった森がだいぶ近づいてきた頃。ふと、御者の人の素っ頓狂な声が聞こえてくる。それから少しして馬車が急停止し、危うく転倒しかける。
「ぐぇ……。」
なんなら、倒れたフラメ先生の荷物の下敷きになって、ヴェアティが苦しそうな声をあげていた。
「どうしましたか?」
アーマリアが御者に問いかけながら、外へと顔を出す。少し遅れて俺も外を見た。
「……ありゃりゃ。こりゃまずいな……。」
馬車が急停止した原因を見て、思わず声が漏れた。そこにいたのは角の生えた狼の群れだ。六頭ほどではあるがその体格はかなり大きい。馬車に向かって低い唸り声をあげながら、獲物を見定める様にじっと俺たちを見つめている。
「グルル……。」
「最近魔獣の活動が活発になっているとは聞きましたが……まさか森から出てくるとは……。」
御者がかなり焦った様子で、呟く様に言った。彼は今逃げようとしている馬を鎮めるので手一杯の様だ。
「……ふむ。一角狼が六頭ですか。」
ふと、フラメ先生の声が横から聞こえてくる。その片手に握られているのは、先端に宝石がはめられた真っ白な杖。ヘルスティア曰く、杖は今の時代ではあまり見られない魔道具らしい。
「御者の方、一度降りても問題はありませんか?」
「へ? 問題はありませんが……危険かと……。」
「ふふ、大丈夫です。」
御者の返答を確認した後に、彼女は杖をくるくると回しながら馬車を降りる。
「グルル……。」
「悪いですが、私の楽しみのためにもどいてもらいますよ。」
低く唸る狼の前へと、堂々と彼女は歩みを進めていく。
「バウッ!」
痺れを切らした一頭が、ついにその鋭い牙を剥き出しにして、彼女へと飛びかかった。
「フラメ先生!」
ヘルスティアが叫んだ瞬間、杖の先端が赤く光る。次に聞こえてきたのは「キャウンッ」という狼の情けない叫び声だった。
「……ふむ、ここらの魔獣はやはり弱いですね……。」
その狼の顔は酷く陥没していた。どうやら杖で思いっきり殴りつけられたらしい。今度は、その箇所から真っ赤な炎が立ち込める。そのまま全身に燃え広がると、数秒ほどで骨も残らずに灰になってしまった。
「……さて、今ならまだ見逃しますが……。」
そんなフラメ先生の言葉を完全に無視して、今度は五頭が一斉に彼女に襲いかかった。短く彼女がため息をついたかと思うと、今度は杖の先端が黄色く輝く。
「"雷"。」
そんな短い詠唱の後に、杖が横に振り抜かれる。一瞬青白い筋が見えたかと思うと、一気に狼たちはバチバチという音を立てながらその場に倒れ伏せた。明らかに死んでいる。
「……はぁ、呆気ない。御者の方、これで問題ありませんね?」
「は、はい! 助けていただきありがとうございます。」
「いえいえ」と笑顔でフラメ先生は答えると、改めて馬車に乗り込んできた。
「せ、先生……本当に強いですね……。」
「まあ、これでもそこそこ名の知れた魔法使いですから。」
少し引いている様子のヘルスティアに対して、「ふっふーん」と聞こえてきそうな、どこか胸を張った様子で彼女は答えた。
「……なあ、ハナ殿。」
「……なんだ。」
「……その、我々が先生から一本を取れたのは、本当に奇跡だったのだな。」
「……だな。」
これからも彼女のことは絶対に怒らせまいと、間違いなくこの場にいる、張本人以外の全員が心の中で思っただろう。ちなみにあれ以降、俺たちは授業で先生から一本も取れていない。
フラメ先生ははその杖の先端を布で拭ったのちに、リュックサックへとしまった。馬が走り出したのを確認したのちに、彼女は再び鼻歌を歌い始める。こんなに強い人が同伴してくれるのなら、向こうで何があっても安心だろうと、心の底から思えた。……まあ、何も起きないで欲しいのだが。
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