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フィエルド宰相との交渉? を終えて数日が経った。あとはベル越しに彼からの報告を待つだけになったところで、今は束の間の安寧を謳歌している。
今の時刻はおおよそ十八時。日もそこそこ暮れてきた頃だ。夏が近づいてきて、だんだんと日も長くなっている。ちなみにこの世界でも、少なくともこの地域には四季があるらしい。
「ええと……『私は、王都に、住んで、いる』?」
拙いながらも、ヘルスティアの口から日本語が流れてくる。イントネーションに若干の癖はあるが、発音は日本語そのものだ。
「そうそう。読めるようになってきたな。」
一昨日、ヘルスティアに「お主のいたところの言語を教えて欲しい」と頼まれた。理由を聞いてみれば純粋な知的好奇心と、ベルのやつを驚かせたいからとのこと。面白そうなので快諾して、今はこうやって色々と教えているところだ。
「ぐぬぬ……ひらがなカタカナ漢字と、なぜ三つも文字があるのだぁ……。」
日本語学習者だれしもが最初に疑問に思うようなことを、彼女は口にする。ちなみに、日本語の一人称の豊富さについてはあまり気にしてないらしい。まあ実際、この世界の言語にも一人称がいくつもあるわけだし……。
「昔の人に聞いてくれ。それに、少なくとも俺たちにとってはその方が便利だしな。」
「むぅ……。」
頭を抱えながらも、彼女は文の音読を続ける。一時間ほどして、この日の日本語の勉強は終わった。
「ぐぁー! なんで一個の文字に読み方がいっぱいあるのだー!!!」
「俺に当たるな。酔うからやめろ。」
思いっきり肩を掴まれ、揺さぶられる。初日でひらがなとカタカナをマスターし、二日目には漢字も多少読めるようになったのは正直驚いたが……。それでも、「は」や「へ」、漢字の音訓についてはあまり納得がいっていないらしかった。
「何が『一月一日元日の日曜日に、日傘を持って外に出た。』だ! 「日」という一文字にどれだけ要素を詰め込めば気が済むというのだね?!」
「いや、まあそれはちょっと俺の悪ふざけも入ったけど! 落ち着け!」
やはりイントネーションに癖はありながらも、発音は流暢だ。流石に俺も例文とするにはふざけすぎたなと思うが……キレながらもすぐに読めるようになったあたり、彼女の飲み込みの早さには脱帽せざるを得ない。というかマジで気持ち悪くなってきた、揺さぶるのやめてほんとに。
「はぁ〜〜〜……。まあ楽しいから良いのだが……。」
「うぇっぷ……楽しいなら良かった……ぉえ……。」
ヘルスティアが、ベッドに自身の体を投げ出すようにして飛び込む。そこでようやく揺さぶりから解放された。
「……ふはっ。ベルのやつ、一体どんな顔をするのであろうな?」
楽しそうに、彼女は笑った。
数日後。休日となったので、確認も兼ねてフェアシュテックに行くことになった。ヘルスティアも一緒にいる。
「いらっしゃいませー……あ、ハナさん。来たんすね。」
俺が来るのを待ち望んでいたかのような声色で、ベルが出迎えてくれた。
「……お話は今日の夜で。」
しかし後ろにいるヘルスティアを見て、小声で彼は耳打ちしてくる。
「ああ、その必要はないぞ?」
ヘルスティアのすぐ前にいるにも関わらず、俺は日本語で彼にそう伝えた。そんな俺に、ベルは顔を少し歪める。
「ちょ?! ヘルさんがいるんすよ……?!」
『我がどうかしたか?』
「へ?」
突然聞こえてきたかなり流暢な日本語に対して、ベルは硬直する。声の出所は俺ではなく、ヘルスティア。
『元気そうであるな、ベル殿。』
「え、あ、え……?」
脳がショートしたらしい。「とりあえずどうぞ」と、若干ぎこちなく動きながら、彼は店内へと俺たちを案内した。
「……どういうことっすかぁ……?」
心底困惑している様子のベル。だんだんと耐えれなくなって、これまで堪えていた笑いがとうとう口から漏れた。
「はははは! 想像通りの反応だな、ヘル!」
「うむっ、すまないなベル殿! ふはは!」
「えぇ……?」
ひとしきり笑ったのち、彼に諸々の事情を説明する。ヘルスティアに全部バラしたことと、今日本語を教えているということをだ。
「はぁ〜……そういうのって普通何が何でも黙っておくのが暗黙の了解じゃないんすか……?」
「隠し事は良くないからな。」
「時と場合によるじゃないですか……。」
ごもっともだ。まあ、今回は場合が悪かったんだ、許してくれ。
「……んじゃ、もう普通にこの場で話しちゃっていいんすね?」
「ああ。ヘルも別にいいよな?」
「うむっ。あ、だがこっちの世界の言葉で頼む……まだそんなに日本語を話せるわけではないのだ。」
ヘルスティアの言葉に彼は頷くと、そのまま話し始めた。
結果だけ言ってしまえば、ほぼ全て解決したらしい。国が大きく動いたことにより、まず御頭ことゼルドナーが率いていた傭兵組織の拠点が特定。そしてすぐさま騎士団が拠点を急襲し、あっという間に制圧されたとのこと。さらに彼らと繋がりのあった貴族たちには税務局及び騎士団による強行調査が入って一斉検挙・差し押さえに。彼らへの処罰は少なくとも罰金や禁錮ではすまないようだ。
そしてなによりも、モーントの家族は無事に保護されたらしい。ある子爵家の地下で幽閉されていたとのことだ。家財は一部しか取り戻せていないが……ひとまず、おおよそ事態は解決したと言っていいだろう。
「……ただ、あと一点だけ解決していないらしいんすよ。」
「一点?」
「はい。」
前置きを置いてから、彼は言う。どうやら、ゼルドナーの捕縛に失敗したばかりかそのまま行方を眩ませてしまったらしい。
「今のところ差し当たって大きな問題はないそうっすけど、ひとまず王都中の監視は強化するとのことです。まあ、お二人もデカくてハゲてる男がいたら近くの騎士なりに通報してくださいね。」
「「はーい。」」
なんだか少し、学校での不審者対策講座みたいな感じになった。あいつはやばいからなぁ……。
「あいつ、ゲールツからよく王都まで逃げてこれたなぁ……。」
「あれ、ハナさんゼルドナーのこと知ってるんすか?」
「あ? ああ、普通に殺されかかったけど。」
「はぁ?!」
そういえば、こいつには全く話してなかったや。今ここでざっくりと話しておこう。……今日お客さん一人もいなくてよかったな。危ない危ない。
「……それ、明らかに内臓までいってるじゃないすか。よく生きてましたね……。」
「回復薬恐るべしだな。傷跡も残ってねぇ。」
ほれ、と特に何も考えずに傷があった場所を見せようと襟に手をかける。
「馬鹿者っ!」
「いっでぇぇぇぇぇ?!」
ぐぉぉぉおでこが! おでこが!!! 久しぶりに引っ叩かれたぞ……痛い……。額を抑えながらヘルスティアの方を見れば、彼女は若干顔を赤くしながら眉間に皺を寄せていた。
「いくら前世が男とはいえそれはないであろう?! 普段は冴えている方なのになぜこういう時に限って何も考えていないのだ!」
「ご、ごめんって。」
そんな二人の様子を見て、ベルが笑いながら口を開く。
「んははっ、まあ自分もたまーにブラ探しちゃう時あるんで。気持ちはわかるっすよ。」
「「へ?」」
「へ?」
突然の事実の発覚に、思わず開いた口が塞がらなくなった。
「あれ、話してなかったっすか? 自分の前世は女の子っすよ。カフェの店員してたっす。」
ケロッとした様子でベルは話す。ちなみに死因は、まだ見ぬコーヒー豆を探しに世界を彷徨っていたらいつのまにか遭難死していたらしい。いやお前どんだけコーヒーが好きなんだよ。
「まあ、なんだかんだ違う性別で生きるのも楽しいんすよね。」
「ああ、それは分かるなぁ。」
「稀有であろう事例で共鳴しないでもらえぬか……?」
そんな会話をしていたところで、来店を告げる鈴の音が聞こえてきた。
「……あれっ、ヘルとハナじゃ〜ん!」
「おおっ、ヴェアティ殿。」
聞こえてきたのは聞き馴染みのある声、見えたのは燃えるような赤い髪と緑色の瞳。ヴェアティだ。
「私もいますよっ!」
その後ろからひょっこりと、金髪碧眼の少女が顔を出す。無論ながら、アーマリアだ。なんでも、休日だし少し冒険して行ったことのないお店に行こうという話になったらしい。そして選ばれたのがフェアシュテックだったとのこと。
「んはは、んじゃ同じ席でいいっすね? ご注文お決まりになったらお声かけくださーい。」
そう言ってベルは厨房の方へと戻っていく。
短いながらも濃密な日々を乗り越えて、ちょっとした日常が戻ってきた気がした。若干の不穏な影はチラつくものの、この程度なら乗り越えてみせよう……そう思った。
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