42 ヘルスティア視点
「んー、内出血ですねぇ。骨にヒビは入ってなさそうですぅ。」
無理やりハナ殿に連れてこられた保健室にて、若い女性の先生にそう告げられた。綺麗な黒色の髪と瞳の持ち主だ……名前は確かメディネ・アーズトだったか。アイスに掴まれた箇所には赤い斑点が浮かび上がっており、誰が見ても内出血しているというのが分かるレベルだ。
「まあ軽く診断書だけ取って、ちゃちゃっと治しちゃいますねぇ。」
そう言って彼女は手元のカルテに諸々を書き込んだ後、我の腕を持って小さく呟いた。
「"ヒール"。」
桃色の淡い光が放たれたかと思うと、先ほどまで腕に感じていた鈍い痛みが消えていく。なるほど……あまり回復魔法を使う機会はなかったが、何らかの方法で練習してみるのはありだな。だが怪我をするわけにはいかぬし……うむむ……。
「はい、これでもう大丈夫ですよぉ。跡はしばらく残りますけど、怪我は治ってるはずですぅ。」
少し間延びした口調でそう彼女は告げる。ずっと真顔だったハナ殿が、その言葉を聞いてついに安堵の表情を浮かべた。
「ふぅ……よかったな、大きな怪我とかじゃなくて。」
「う、うむ。」
先ほどまでとは打って変わって、いつもの調子に彼女は戻っていた。そのギャップも相まって、ハナ殿を怒らせてはならないと密かに心に刻む。
「にしてもこれ、結構強く握られてできたものですよねぇ?」
その指摘に、思わずドキリとした。事情を説明する前にパパッと彼女が全てやってしまったので、まだそのことは話していなかったはずだ。
「貴女……がやったわけではなさそうですしぃ。誰かとの喧嘩ですかぁ?」
ハナ殿に一瞬視線を向けた後、メディネ先生は問いかけてくる。ハナ殿は問いかけに対して首を横に振ると、今に至るまでの経緯を話し始めた。先生は何度か相槌を打ちながら、彼女の話を手元の紙に纏めている。
「なるほどぉ……。その感じだと後でアイスくんも来ると思うので、その時に彼にも聞いておきますねぇ。」
メディネ先生はそう言って紙を折りたたむ。退室しようとする我々へと向けて、「それでは、お大事に。」と彼女は見送ってくれた。
「ほら、早く戻ろうぜ。確か数学だよな?」
ハナ殿はそう言いながら歩き始めた。彼女からの確認に頷きながら、その後を追いかける。
「……その、ハナ殿。」
ふと心の中で湧いた、一つの疑問。それを彼女に問いかけようと思い口を開いた。
「あ、いたいた!」
その瞬間、そんな声が聞こえてきた。そっちの方を見てみればクラスメイトが数人、こちらへと向かって駆け寄ってきている。
「二人を見つけてきてってウンター先生に頼まれたんだ。先生心配してたから早く戻ろうよ。」
「お、おう。分かった。」
軽くハナ殿は我に向かって片合掌をすると、教室へと戻る彼女らを追いかけていった。問おうとしていた言葉が頭の中をしばらく漂った後、はっと我を取り戻し、慌てて彼女の後を追いかけた。
放課後。我々は職員室で、ウンター先生からの事情聴取を受けていた。事情の説明とメディネ先生への確認に少々時間がかかり、なんだかんだで十五分ほど経っていた。
「……事情は把握しました。授業を意図的に放棄した訳ではないようですし、先ほどメディネ教諭からも確認は取れましたので今回の件は不問といたします。ただし次回からは、重症ではない限り、授業担当の教諭に報告をしてから保健室に向かうように。」
「「はーい。」」
ようやく職員室から解放され、若干疲弊しながら鞄を持ち上げる。ふと、妙に鞄が軽いことに気がついた。
「……数学の教科書がない……。」
中身を漁り、呟く。間抜けなことに、どうやら教室に忘れてきてしまったらしい。
「すまん、忘れ物を取りに行ってくる。先に帰ってもらって構わんぞ。」
「ん。」
ハナ殿にそう告げて、教室の方へと小走りで向かった。
放課後である故に、学内に残っている生徒の数は少ない。廊下にはほとんど誰もおらず、少し傾いた日の光が窓から差し込んでいた。ふと、一人の生徒が歩いているのに気がつく。
「……っ。」
「貴様か。」
アイスだった。若干気まずそうな、バツの悪そうな顔をしながらこちらを見ている。黙って横を通ろうとしたが、それでも彼がじっとこっちを見つめているのに気がついた。
「……何の用だ。」
そう問いかけると、彼は少し逡巡した後に、ゆっくりと口を開いた。
「……昼のこと、謝罪する。申し訳なかった。」
その口から飛び出してきたのは、難癖でも何でもなくまっすぐな謝罪の言葉。予想外のことに、思考が止まりかけた。
「……お主、どういうつもりだ。」
「貴様に怪我をさせたことについては、完全に僕に非がある。そのことについて謝罪するのは当然のことだ。」
……普段の言動を見ているだけに、彼の言葉をそのまま信じるようなことはできなかった。だがしかし、そういえばウンター先生から"我々からの事情説明"と"アイスからの事情説明"の齟齬に関する追及がなかったことを思い出す。
「……お主、昼のことは正直にメディネ先生に話したのか?」
「当たり前だ。貴族としての誇りにかけて、断じて嘘はついていないと誓おう。相互の認識の齟齬はあるかもしれないが……。」
……なるほど。そこは貴族としてラインを引いているらしい。少し見直した。
「……まあいい。メディネ先生に怪我は治してもらったからな。過ぎたことを考える必要はあるまい。」
まあだからといって、今までの難癖を許容する訳ではないが……。……どういうわけか、アイスが複雑そうな表情を浮かべていた。
「だが、聞かせろ。なぜお主らアーマリア殿に纏わり付く? お主らとアーマリア殿に何の関係があってそんなことをしている?」
我の問いかけに対し、彼は少し黙り込む。数秒ほどして、ようやく口を開いた。
「……ヘンドラー家への恩に報いるためだ。」
それだけ言って、彼は足早にその場を立ち去っていった。声をかけるが、彼はそれを無視して消えていく。
「……ヘンドラー家への恩、とな。」
彼が言っていた言葉を呟く。……ええい、今この場で考えても仕方がない。とりあえず早く忘れ物を回収しなければ……。
教科書を回収して昇降口へと向かうと、ハナ殿がまだ待っていた。
「お主……先に帰っても構わんと言ったのに……。」
「友人ぐらい待つさ。ほれ、早く帰るぞ。」
そう言って彼女は歩き出す。慌てて靴に履き替えて、彼女の後をついていった。
「……なあ、ハナ殿。」
「なんだ?」
「先ほど、アイスから昼のことについての謝罪があった。」
彼女は驚いたような表情を浮かべた。その後の会話についてもとりあえず話しておく。
「……まあ、それはアーマリアに聞いてみるしかねぇよな。確かリーラとかいうやつと相部屋だろ。」
「うむ……。」
会話が少し途切れる。別に気まずさがある訳ではなく、普通に話すことがないだけだ。
「……そういえば、聞きたいことがあったのだ。」
そして、先ほど言いそびれた、頭の中に湧いた疑問。それを彼女へと問いかける。
「……なぜ、アイスにビンタをしたのだ? 周囲に人の目があった以上、流石に不味かったと思うのだが……。」
ハナ殿の歩が止まった。しまった、機嫌を損ねてしまったか……?
「……それが、俺にも分かんねぇんだ。」
懸念とは違い、普段とはあまり変わらない声色で彼女は言う。彼の頬を叩いた自身の右手を見つめながら、彼女は呟くように続けた。
「ただ、なんかお前の痛そうな顔見た瞬間、頭に一気に血が上ったんだ。そして気がついたら手が出てた。……ははは、なんかガキみたいだよな。別に叩く必要はなかったのに。」
恥ずかしそうにして、ハナ殿は自身の頭を掻く。だんだんと、彼女のことが分かってきた気がした。言動や考え方はどこか大人びているが、感情や行動は年相応。そして熱くなりやすくて……友達思い。……いかん、自分で考えておいて少し恥ずかしくなってきた。
「……暴力を振るったのは喜ばれることではない。だが……その、我のために怒ってくれたのは少し嬉しかった、ぞ……。」
……いかん、今度は自分で言っておいて恥ずかしくなってきた。ハナ殿は一瞬きょとんとした表情を浮かべたのちに、今度は嬉しそうに笑った。
「……ほら、早く帰るぞ。」
「うむ!」
回復魔法にウェーバー家の事情、ハナ殿のこと。今日は色々と思うことが多い日だった。……頭を休めるためにも、今日はもう帰って、ご飯を食べてゆっくりと寝よう。帰りの道は、オレンジがかった日の光に照らされていて、綺麗だった。
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