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「っもう、夕方には帰ると書き残しておいて! もう真っ暗じゃあないか!」
俺は怒っているヘルスティアの前で正座していた。彼女は腕を組みながら頭に青筋を浮かべており、声は普段よりも低くなっている。
「すみません……散歩が楽しくなりすぎました……。」
非があるのは明らかに俺なので、言い訳しながら謝ることしかできない。
「どれだけ楽しんでおるのだ! 夕方までには戻るという時点で長いなとは思っていたが!」
少し無理のある言い訳に、彼女はちゃんとツッコんできた。まずい、このまま追及されていったら普通に詰むぞ俺……。しかも俺が完全に悪いから追及すんなとか絶対言えねぇし。
「すまん、本当に……ごめんなさい……。」
土下座をしそうになったが、そう言えばあの文化は日本独自のものだとどこかで聞いたことがあった。ちゃんと彼女の目を見て謝罪の言葉を述べる。
「夕方までには戻ると言うから寂しい思いを我慢しておったのだぞ? 今から二十四時間は我と共に行動しろ、いいな?!」
「はい……。」
「まったく」とヘルスティアは不機嫌そうな顔をしながら呟く。その表情のまま、彼女はドアノブに手をかけた。
「ほら、早く夕食を摂りに行くぞ。でないと食堂が閉まってしまうからな。」
「……おう。」
彼女の言いつけを厳守するためにも、自身の空腹を満たすためにも。扉を開けて廊下へと出た彼女の後を、俺は追いかけた。
少々沈んだ気分で、もしゃもしゃとサラダを食べる。対面ではヘルスティアがスープを口に運んでいる。食事のおかげか先ほどよりかはマシになっているものの、未だ不機嫌そうな顔を浮かべている。
「……なぁ。」
そういえば、聞きたいことがあるんだった。そう思って彼女に声をかける。
「なんだ。」
ああやっぱり機嫌悪いですよねそうですよね……。彼女の声にかなりドスが効いていて、思わず体が跳ねてしまった。
「いや、その……兄弟とかっているのかな、と思って……。」
次の瞬間、彼女のスープを運ぶ手が止まる。そして彼女の表情がさらに不機嫌そうなものになった。眉間に皺が寄り、目つきが鋭くなっている。
「……いるが、なんだ?」
さっきよりも低くなった声。あまり触れてほしくなさそうな話題だ。というか多分彼女にとっては地雷な話題にまでなるのだろう。
「あ、いや……ヘレンとヘラーって子に会ってな。お前と名字が一緒だったし、見た目も似てたから……弟と妹かなって思って……。」
彼女に怯えながら、俺は事情を説明する。……正直、怒ったヘルスティアがここまで怖いとは思っていなかった。アーマリアの場合は作り笑顔を浮かべながら問い詰めてくるものだから、また別の怖さがあったが……ヘルスティアの場合は露骨に顔と声色に出るのだ。
「……はぁ。ああ、その二人は我の弟妹だ。」
彼女はため息を吐くと、少しその表情を緩めて肯定する。その二人については別に地雷となるような話題ではないらしい。……となると、先ほどの反応から察するに、彼女には兄か姉でもいるのだろうか。そしてその話題はアウト……よし、覚えておこう。
「あやつらは我に懐いてくれていてな……。特技を見せろとよくせがまれたものだ。」
どこか嬉しそうでいて寂しそうな目をしながら、ヘルスティアは呟くように言った。
「……長期休暇まではお別れだもんなぁ……。」
ヘルスティアは俺の言葉に、静かに頷く。
「……それに、我はもうあの家には戻らないと決めているのでな。王都で会う機会もあろうが……。」
そう言う彼女の表情を見て察した。彼女は俺と同じく、寂しがり屋な人間なのだ。今まで自分に懐いてくれていた弟妹に会えなくなって孤独を強く感じているに違いない。
「すまん、強く怒りすぎてしまった。本当に寂しかったのだよ……。」
「いや、謝んなよ。俺が完全に悪かったんだし。」
彼女の謝罪に対して、俺は手をワタワタと振る。彼女から謝られるのは予想外だった。本当に今回の件については俺が悪かったのでなおさらだ。
「……別に、二十四時間ともに行動なんてしなくてもよい。お主にはお主のやりたいことがあるだろうし……。」
彼女は一気にスープを飲み干し、少し沈んだ声色で言った。
「……いや、する。お前とはその、もっと仲良くなりたいし。」
言ってる途中で少し恥ずかしくなり、頬を掻く。ヘルスティアは目を見開き、わずかに頬を赤くした。
「……そうか、我もだ。」
そう言って彼女は、恥ずかしそうにしながら笑った。先ほどまで少し悪くなっていた空気が、だいぶマシになった気がした。
食事を終え部屋に戻り、シャワーを順番に浴びて歯を磨き……と、寝る支度を整えた頃。
「……なあその、ハナ殿。」
「なんだ、同衾してくれってか?」
ちょっとのからかうつもりで言ったその言葉に、ヘルスティアは少し恥ずかしそうにしながら頷いた。思わず「えっ」と声が漏れる。
「ああいや、嫌なら別に構わないのだが……その、弟妹とはよく一緒に寝ておってな。一つのベッドに一人では、少々寂しく感じてしまって……。本当に今日だけでいいのだ……。」
事情を話した後、彼女は枕を抱きながら上目遣いでそうお願いしてきた。……そんな感じでお願いされては、断れるわけがない。
「……ああ、構わんぞ。」
「ほ、本当か?! ありがたい……。」
彼女はぱっと顔を明るくして、嬉しそうに言った。自身のベッドから枕を回収し、部屋の明かりを暗くして、彼女の隣で横になる。
「……家族以外の人間と共に寝るというのは初めてでな。内心、少し緊張しているのだ。」
「はん、いつか慣れるぞ。そのうちアーマリアやヴェアティが強引に同衾しようとしてくるぜ? しかも抱きついてくるしな。」
少し俺がイタズラっぽく言うと、彼女が変な声を漏らした。間違いなくその紺色の目はぐるぐるしているし、顔は真っ赤に違いない。
「……むう、アーマリア殿も抱きついてくるのか。」
「普段は割と大人しいからそんな印象ないけど、意外とあいつは抱き付いてくるぞ。覚悟しておくんだな。」
そんな会話をしていると、だんだんと眠気がやってきた。
「くぁ……眠い……。」
「……そうだな、もう我も眠い。寝よう。」
彼女の言葉に頷き、「おやすみ」と互いに言い合う。静かな月明かりに照らされる部屋を少しだけ眺め、俺は重い瞼を閉じた。
……ふと、風が口のあたりを撫でる感覚を覚えて目が覚めた。窓でも開けっぱなしにしていたのだろうか……そう思いながら、瞼を開ける。
「……っ?!」
次の瞬間、視界にあったのはすごく近いヘルスティアの顔。どうやら互いの寝相の問題で寝ている間にここまで近づいてしまったらしい。……まつ毛長いなこいつ。肌も綺麗で髪はサラサラしていて……いや何じっくり見てんだよ俺。距離が近い分仕方ないところもあるけどさ。
「……むぅ……?」
と、ヘルスティアが身じろぎをして、ゆっくりとその目を開けた。その綺麗な紺色の瞳と目が合う。彼女の虹彩はグラデーションになっており、外縁に行けば行くほど段々とその色は藍色に近くなっているようだ。
「……ほえっ?!」
数秒ほどのタイムラグの後、ヘルスティアは変な声を漏らした。彼女はその瞳をぐるぐるとさせ、顔を真っ赤にしながら壁まで距離を取る。
「ち、近いぞハナ殿っ! びっくりしたではないか!」
「わざとじゃねぇよ。俺も目が覚めたらお前の顔ドアップでめっちゃビビったわ。」
二人してそう言い合ったのち、彼女は少し落ち着きを取り戻す。そしてわざとらしく咳をした。
「……うぉっほん。おはよう、ハナ殿。」
「……ああ、おはようヘルスティア。」
互いに朝の挨拶を交わして、笑う。昨日一昨日一昨昨日と色々あったが、今日こそはいい一日になるような気がした。
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