38
……少し早くに目が覚めた。秒針の刻む音がヘルスティアの静かな寝息と共に聞こえて来る。時計は七時を指し示していた。
「……くぁ……。」
欠伸して背伸びして、ベッドから降りた。ちなみに俺が上の段で、ヘルスティアが下の段だ。どうも高いところが得意ではないらしい。
今日は祝電に書かれていた通り、喫茶店フェアシュテックに向かうつもりだ。ヘルスティアには申し訳ないが……色々と面倒臭いことになりかねないので、一人で外出せねばならない。
「……書き置きぐらいは残しとくか。」
"散歩してくる。夕方までには戻る。"……まあ、こんなもんでいいだろ。適当な紙に書いて机の上に置いておく。俺はヘルスティアを起こさないように、ポーチとナイフを持って静かに部屋を出た。
食堂で軽く朝食を摂った後、寮の外へと出る。まだどこか白い空を時折見上げながら、俺は街を歩いていた。
「……静かだなぁ……。」
普段は喧騒に溢れている街だが、今日はかなり人通りが少なかった。まだみんな寝ているか、あるいは家でのんびりとしているからだろう。俺もそうしていたいが……きっと昼まで寝過ごしてしまって、この機会を逃してしまうに違いなかった。
「……。」
しかし、本当にいい朝だ。鳥のさえずりと柔らかくて暖かい太陽の光、そして閑静な街が春の穏やかさを象徴しているようでいて実に心地よい。……うん、これだと俺間違いなく昼まで寝過ごしてたな。
……さて、時間潰しついでに王都をよく見ておくか。まだ来て日が浅いし、色々知っておいて越したことはないだろう。
どこからか漂って来る焼きたてのパンの匂いに引き寄せられたり、雑貨店のショーケース越しに、なにやら面白そうなボードゲームに釘付けになったり。そんなことをしながら俺は街を散策していた。
「……ふぅ。」
少々歩き疲れて、広場の噴水に腰掛けた。太陽の傾きを見るに時刻は大体十時ぐらいだろうか。流石に人も増えてきて、街はいつもの喧騒を取り戻している。広場の端っこでは子供達がボール遊びに興じているのが見えた。
そういや、ヴェアティに初めて出会ったのも大体これぐらいの時間帯だったっけか。こんな感じで座ってたら、あいつから話しかけてきたんだよな……。……思わず自分の髪の毛を確認したが、そもそも今はだいぶ短くなっているのを思い出した。まあ、暫くはあんなこと起きないだろう。
「あっ、危ない!」
そんな言葉が聞こえてきた。はっとして前を見た瞬間、顔面にとんでもない衝撃が走る。
「へぶっ?!」
視界が一瞬真っ暗になったかと思えば、気が付けば真っ青な空を見上げていた。襟から流れ込んでくる冷たい感覚に、ヒリヒリと痛む顔面。……前言撤回、そんなことが起きたわ。なんならあれ以上のことが。
思わず唖然としていると、複数の走る音が耳に入った。
「もう、だから気を付けてって言ったのに!」
「だ、だってまさかあんな飛ぶって思わねぇじゃん……すみません、大丈夫ですか?」
そんな甲高い子供の声と共に、自身の腕が引っ張り上げられた。服の隙間や濡れた髪の毛から水が流れ落ち、改めて肌を濡らしていく。目を開けると、そこに少年と少女がいた。どちらも髪は灰色で瞳は紺色、顔は実にそっくりだ。年齢は明らかに俺よりも低い……無論俺の肉体年齢と比べて、だ。
「ほら、私火やるから!」
「お、おう。」
二人が何かを小さく唱えると同時に、目の前に小さな炎が現れた。ゆらゆらと蠢いたかと思うと、少しして顔に熱風が当たる。割と熱い。
「ごめんねお姉ちゃん、ヘラーのバカのせいで……。」
「はぁ?! そもそもヘレンがやろうって言ったんじゃんか!」
「でも変な方向にボール飛ばしたのはヘラーでしょ?!」
そんなこんなで目の前の二人は急に喧嘩し始めた。炎と風のコントロールが不安定になりはじめる。
「お、おい……。」
喧嘩を止めようとして、声をかける。二人の意識がこっちに向いたその瞬間、右往左往していた火が胸に飛び込んできた。
「あっづぅ!?」
そんな変な声をあげながら、俺はまた噴水に倒れ込んだ。最近ツイてねぇな、俺……。
あれから十数分ほどして。ヘレンと呼ばれた少女とヘラーと呼ばれた少年が、並んで俺の前に正座していた。時折向けられる周囲からの視線が痛く、なんだか恥ずかしい。
「……いや、別に怒ってねぇから。そんな改まんなよ。」
彼らも悪気があってボールや火をぶつけたわけではないし。すぐに謝って服や髪を乾かそうとしてくれたのだから別にそこまで怒りはなかった。実際、すでにどちらも乾いているし。
「で、でも……危うく怪我させるところでしたし……。」
「風邪とか……引かせちゃったらさ……。」
歳不相応なくらいにはちゃんと相手のこと考えられてるなこの子たち……。にしてもこの顔、どこかで見たことがあるような……。
「良いって別に……ほれ、ボール。もう蹴り間違えんなよ?」
足元に転がっていた、革製のボールを彼らに手渡す。二人はそれを受け取って、頭を下げた。
「次から気を付けます……。」
「おう、そうしてくれ。……そうだ、せっかくだし自己紹介でもしようぜ? 俺はハナ・シークス。」
こうなったのも何か縁がある故かもしれないしと思い、彼らにそう問いかける。
「私はヘレン・マギア。こっちはヘラーで、見ての通り双子だよ。」
「僕が一応兄で、ヘレンが妹です。」
「ヘレンとヘラーな、覚えた。」
一瞬、マギアという名字が引っかかった。どこかで聞いたような気がするんだが……。……と、そろそろ向かわないと時間に間に合わないな。
「……んじゃ、俺はここらで。またどっかで会ったらそん時はよろしくな。」
「はい、お気を付けて。」
「ばいばーい!」
俺に向かって、二人は手を振る。軽く手を挙げて返事し、そのまま俺は広場を後にした。
……数分ほど歩いたところで思い出した。そういえばヘルスティアの名字って確かマギアだったよな。あの二人、彼女と見た目が似ていた気がする。……帰ったら聞いてみるか。
時刻はおそらく十二時頃だろうか。少し遠くの方に水色の看板が見えてきた。同類……ほぼ間違いなく宰相から指定された喫茶店であるフェアシュテックのもので違いない。遠くの方には寮が見える。
「……臨時休業、ねぇ。」
店の扉の前にはそんなことが書かれた看板が吊るされていた。理由は店主の急な体調不良……とはあるが、まあ十中八九嘘だろう。外から覗かれないように、窓は内側から布で塞がれていた。とりあえず中に入るために、取っ手に手をかける。
しかしここで、ふと疑問が浮かぶ。なぜ転生者を探すような真似をわざわざしているのだろうか……どうにもうまく理由が思いつかない。まさか転生者による国家転覆……一番ないな、だとしたら宰相という立場を最大限に活かすはずだ。
「……。」
周囲の人目が怖い。臨時休業と書かれている店に入るのはあまりにも気が引ける。地球であればほぼ確実に不法侵入とかで捕まるだろうし……。でも、これはまたとない機会かもしれないのだ。ここの店員とは会おうと思えば会えるわけだが……他の同類と会える機会が今後何回あるかだなんて分からないのだ。貴重かもしれないチャンスを、そうみすみす見逃すわけには行かなかった。
「……お邪魔しまーす……。」
人気が少ないタイミングを見計らい、静かに店の扉を開ける。
「あ、やっぱりきたんすね。」
例の金と黒の混じった髪の店員が、軽い様子で出迎えてくれる。そこから聞こえてくる言葉は明らかな日本語。
「では、まずはこちらのお席へどうぞ。」
そう言って彼は、端の方の席へと俺を誘導する。そこにいたのは、白髪の多い髪が目立つ中年の男性。この人には見覚えがあった。
「……ハナ・シークスさん、でしたか。初めまして。」
優しく微笑んでいる彼の、その口から聞こえてくるのは明確な日本語。なぜかは分からないが、俺の名前を知っているらしい。緊張しながらも、俺も久しぶりの日本語を使って挨拶を返す。
「……ええ。初めまして、フィエルド宰相。」
そう、彼はこの王国の宰相であり……そして今、俺の同類であるのが明確になった人物。
アイン・フィエルドだった。
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