26 アーマリア視点
不安な気持ちを押し殺しながら、試験会場へと足を踏み入れる。試験まで少し時間があるためか、まだ騒がしかった。
「……席、離れてますね。」
入り口の近くにあった座席表を見ながら、呟く。私が一番前なのに対して、シークス様は一番後ろ。すぐ近くに知り合いがいないというだけで、不安を抑え込んでいた蓋が押し上げられそうになる。
「そんな顔すんなって。俺がいようがいまいが、お前なら絶対にできるさ。」
彼女はそう言って、私の頭を撫でてくる。この人の手は柔らかくて優しくて、本当心地よい……。
「って、ちょっと!」
自分の顔が熱くなる感覚を覚えながら、私は彼女に小声で抗議した。騎士たちの前でも街中でも、この人はさも当然かのように頭を撫でてくる。
「ははっ、すまん。」
そう謝りながらも、彼女が悪びれているような様子は全くない。……別に、撫でられるのは嫌ではないのだけど。大勢の前でやられると結構恥ずかしい。
「……さて、そろそろ試験が始まるみたいだ。早く席に着くぞ。」
シークス様はそう言うと、私の肩を軽く叩き、自分の先に向かっていった。頑張れ、ってことかな。時計を見てみると、試験開始まで残り五分もなかった。
試験開始数分前になってもまだ騒がしかった教室が、試験監督の入室で一気に静まり返った。眼鏡をかけた、聡明そうな男の人だ。歳は四十代くらいに見える。分厚い紙束を抱えていた。
「それでは、問題用紙及び解答用紙を配布します。不正行為と見做されますので、試験開始の合図が出るまで決して問題用紙は開かないように。」
彼は全員に釘を刺した後、先頭に紙束を渡し始めた。端の方から渡されていき、その途中で当然ながら私にも渡される。自分の分を取り、残りを後ろへと回した。
「科目は国語・数学・理科・社会の四科目、試験時間は四時間です。どの教科から解いても構いません。不正行為は発覚次第即退室、及び〇点として扱われますので、くれぐれも行わないように。」
全員に用紙が行き渡ったのを確認した試験監督は、試験の詳細について軽く話す。学園から送られてきた書類に書いてあったことと同じだけど、念のためということなのだろう。
そして、試験開始まで後数十秒になった。目の前に置かれている鉛筆三本と消しパンを、私はじーっと見つめていた。
「……では、試験を開始してください。採点不能になり〇点として扱われますので、名前の記入を忘れないように。それでは、健闘を祈ります。」
彼の言葉が終わってすぐに、紙をめくる音が試験会場に一斉に響いた。
「えぇ……?」
一時間弱経った頃。そんな誰かの声が、どこからか聞こえてきた。一瞬試験監督が反応したけど、不正行為ではないと判断したみたいですぐに見回りに戻っていた。
国語を解き終え、数学に到達する。大問一は小問集合なので、むしろ解けないとまずいだろう。
「……へっ?」
大問二を見て、思わず声が漏れる。ああ、そういうことなんだ。誰かが声を漏らしたのも、これが原因。大問三から五も見ておこうと、ページをめくっていく。
「……うそ。」
ごちゃっとした数式や文章に、面食らうようなことが書かれた小問。少し見ただけでは絶対にその意味を理解できない。思わず、また声が漏れた。自分の顔が青ざめていくのを感じる。……数学は、捨てるしかない。すぐにページをめくり、理科の問題に手をつける。
……でも、もしも自分が分からないだけで他の人たちがわかっていたら。みんなここで点数を取っていて、その差で不合格になったら。シークス様たちと別れることになったら。どうしよう、どうしよう、どうしよう。今までなんとか抑え込んでいた不安が、一気に噴き出してきた。
あちこちから聞こえてくる鉛筆の音。その中に、数学のものがどれだけ紛れているのかは分からない。でも、間違いなく一人以上はいる。全員数学なんて可能性もあり得る。そう思うと息が荒くなり、手が震え、変な汗が出てくる。
「はぁ……?」
「無理でしょ、こんなの……。」
ふと、そんな声があちこちから聞こえてきた。どれも小さなもので、試験監督も特に咎める様子はない。……その声に少し安心してしまった自分がいた。自分と同じく分からない人がいる。自分だけではない。きっとその中に一人は数学をやっている人がいるはず。その事実と望みが、私の心を少しだけ軽くした。
『自分を信じろって言ったのは、どこのどいつだ?』
『お前なら絶対にできるって俺は信じてるから。』
心の余裕が少しだけ復活したおかげだろうか。ふと、シークス様の言葉を思い出す。……そうだ、自分を信じなくちゃダメなんだ。…‥私は、絶対に合格できる。いや、する。そう自分に言い聞かせる。段々と呼吸が落ち着いてきた。息も整ってきた。
よし、理社を解いて、余った時間で数学をやろう。ちゃんと取れるところで取らないと、合格できるものもできなくなってしまうから。取れるだけ取れれば、合格にグッと近づくから。
「……そこまで。鉛筆を置いてください。一番後ろの方は解答用紙の回収をお願いします。」
試験監督の言葉と共に、カタンという音があちこちから響く。自身の名前が書かれているかを確認し、後ろから来た人に紙を渡した。
……結局、数学は全部は解けなかった。小問一でさえもあんまり自信がない。でも、やれるだけのことはやった。あとは祈るしかない。
「……はぁ……。」
「うぅ……くそ……。」
試験監督が退出すると同時に、教室に張り巡らされていた緊張の糸が弾け飛んだ。みんなのため息や呻き声が聞こえ、少しして会話も聞こえてくる。ここの答えはどうなったとか、そんな感じの会話だ。
「……よっ、お疲れ。」
後ろから、シークス様が声をかけてきた。
「その、数学は全部解けましたか?」
「ん? ああ、まあな。」
ケロッと、嘘偽りもないと分かる顔で彼女は返答する。……シークス様は数学が得意だから分かる。でも、解けたというのを聞くと、他の人も解けたのではないかと思ってしまう。
「でも、まあ普通に難しかったなぁ……。流石に俺も少し自信がないぞ。」
続いた彼女の言葉に、思わず目を見開いた。数学が得意なシークス様が「難しかった」と、「自信がない」と言ったのが、少し信じられない。…‥でも同時に、なんだかすごく安心した。
「……ですよね?! ちょっと文章量とか酷かったですよね?!」
テスト中の緊張の反動か、彼女に詰め寄るような感じになってしまった。
「お、おう。流石に読むのに苦労するぞ、あれ。しかも直前で国語の文章題やってるからなぁ……。」
少し苦笑しながらも、シークス様が同意してくれる。テストの問題用紙を抱え、彼女と話しながら教室を出た。
互いに問題の答えを確認し合ったり、教え合ったりしながら合流地点へと向かった。
「あ! おーい!」
向こうから、ヴェアティ様が手を振っているのが見える。横ではマギア様がげっそりとした表情を浮かべていた。
「お二人とも、お疲れ様です!」
「なんか久しぶりに会った感覚がするな。」
「まあ、四時間ぶっ通しだったからねぇ。二人もお疲れ様。」
と、そんなことを話す。マギア様はその間、一言も発することはなかった。
「……なあ、ヘルスティア。もしかしてだけど……。
聞き辛そうにしながら、シークス様が尋ねる。
「ああ、いや。多分ではあるが、テスト自体は解けたのだ……。」
質問の内容を察したマギア様が答える。
「ただ、その……。あまりの文章の多さに辟易してしまって……。」
彼女の言葉に、思わず三人同時に頷いた。
「ほんっとうにわかる! 数学で国語やってる気分だったもん!」
ヴェアティ様にとっても、結構面倒くさいものだったらしい。
「……そうだ、せっかくですから四人でお食事にでも行きませんか?」
そう私は提案する。今はおおよそ十三時、昼食にはちょうどいい時間だ。
「え、あ、い、いいんですか?! その、えと、朝そんなに食べてなくて……。」
マギア様が少し嬉しそうにしながら、確認してくる。まだ少し距離は感じるけど、段々と縮まっている気がした。
「「……。」」
一方、シークス様とヴェアティ様はなんだか微妙な表情を浮かべている。
「嫌でしたか……?」
「そういうわけじゃあ無いんだがな……。」
「ねー……。」
彼女たちはマギア様をチラリと見る。彼女は不思議そうな顔をしていた。
「……まあ、洗礼だね。よし行こうか!」
「……だな。」
諦めたような表情を浮かべて、彼女たちも私の提案を受け入れてくれた。財布程度なら持ち込み可と聞いてはいたので、一応持ってきていたのが功を奏した。
このあと、いつもみたいに食事をしていたらマギア様がかなりすぐにギブアップしてしまったのはまた別のお話。その横でシークス様とヴェアティ様が苦笑していたのをよく覚えている。……マギア様も、食べる量少ないんですね?
作品が気に入って頂けましたら、評価やブックマークをして頂けると幸いです。




