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エッセイ集

だから私は『なろう』をやめられない

作者: 花野未季

 なぜ私はここにいるのか?

 こことは、ココ『小説家になろう』である。

『小説家になろう』さん(以下、なろうと呼ばせていただく)に間借りするようになって四年過ぎた。登録したのが2018年の初秋だった(と思う)ので、昨秋五年目を迎えた。


 WEB投稿を始めたのは、その前年2017年12月だったが、恐ろしいこと(?)に、私はつい先日まで10万字を超える物語を書いたことがなかった。

 いや、別に10万字超えの作品を書けなくても、なんの問題もないんだけど。でも『小説家になろう』なんて言うからには、それをクリアしなくてはならない、とずーっと思っていた。しかし、小説の書き方を知らない上に飽きっぽい私は、1万字すら中々超えられない壁だったの。


 先月、『エブリスタ』さんのほうで細々と書き続けている作品が、ようやく10万字を超えることが出来て感無量。

 しかし、目標クリアしたものの、今度は違う問題勃発。話の落とし所に苦慮している。


 プロットらしきもの、登場人物の履歴書みたいなもの、結末も決めて書き始めたものの、書いているうちに当初予定していた話から全然違う物語になっちゃってる。

 やはり、一ヶ月くらいで書き終えないとダメなんだな、と痛感した次第(←今ココ)。

 物事は勢いとスピードが大事ですね(←他人事?)。


 ダラダラ意味不明な文章を書いているが、さて、そろそろ本題に戻ろう。

 なぜ、私はなろうで書いているのだろう?

 はて? わかりませぬ。

 なろうといえば、転スラに代表されるような転生モノ、もしくは悪役令嬢モノでなければ、まず読まれない。それは知ってる。


 なろうに登録する前だが、私は『蜘蛛ですが、なにか?』を読んでいて(最後までは読めていません、すみません)、「すごいなぁ、こんな目から鱗の面白い物語をよく書けるなあ。ま、私には無理」と思っていた。

 悲しいかな、その気持ちは今も変わらず。


 なろうの人気作の作者の先生方は、作者になる前は読者だったはず。私も、なろうがスタートした頃に、WEB小説というものを知っていたら、熱心な読者たりえたかもしれない。しかし、子供の頃から読書が趣味である私の心の本棚には『追放』や『溺愛』を置く場所(スペース)はもう無いのじゃよ……。


 なろうの王道ジャンルから外れた古臭い小説しか書けない私の部屋には、当然だがお客様が来て下さるはずもなく。でも、特にそれを残念とか寂しいとか思ったことはないの、底辺作者として生きる! と最初から決意してるから(←大声で決意表明することではなかろうて)。


 しかし、(たま)に迷い鳥のように、(だま)されたか何かで読みに来て下さる読者さんもいらして、中にはポイントまで入れて下さる奇特な方もいらっしゃる。

 話が横道に逸れるが、『奇特』って褒め言葉なんすか? なんとなく上目線で言ってる感じを受けるのだが。「あなたは奇特な方だ」って褒められたら、「お、おう」ってなっちゃうのは私だけであろうか。でも、他にいい言葉が思いつかないので、とりあえず使ってみた。


 それはともかく。

 読者さんが来て下さる、これは奇跡のような出来事だと常々考えています! だって、この世には面白い小説や漫画が溢れている。TikTokやYouTubeといった動画配信もある。そんな中で、私みたく素人の世迷言のような文章を、無料とはいえ貴重な時間を割いて読みに来て下さる。こんな凄いことがあるだろうか?


 さて、ここからが本題中の本題。

 コロナが蔓延し始めた2020年。社会不安からか、私は居ても立ってもいられない気分になっていた。

 ちょうどその頃、子どもが独立したり病気になったりで落ち着かない日々を過ごしていたこともあるけれど。早い話、少々メンタルがやられた(病気というほどではないです)ってことかな。


 小説なんて書いてる場合ジャネーヤ、ってなった私は、一旦エブリスタのほうは退会(結局ひと月後に、すごすごと戻ったんだけど)。

 なろうのほうは、エブリスタほど熱心に活動していなかったので、そのまま籍を置いていた。


 同じ頃、私はタロット占いを始めて、『占い師になろう!』なんて思い始めていたのだ。

 自分で言うのもナンだが、私は霊感のようなものはあるのだ、幽霊を見たことはないけれど(←は?)

 だから、私は自分が引くカードには絶対の信頼を寄せているし、占いはまぁ当たると思っている。


 しかし、占いを始めて、なろうでも『占ってみた』を投稿した頃、やはり小説を書きたい自分がいるなあ、と思った。いや、書かねばならぬという強迫観念めいたものもあった。


 その理由のひとつに、エブリスタで毎月開催されている妄想コンテストに毎回真剣にチャレンジしているが、入賞したことは無いことが挙げられる。はい、私は掠りもしません。当たり前だ。面白くないんだもん。


 妄想コンテストの入賞作品は面白いだけでなく素晴らしい小説ばかりで、読んでいてドキドキしたり感動したり、素敵な時間を過ごさせてもらえる。そういう作品群を読んでいると、自分に才能がないことを思い知らされるのだ。


 だが、私はお年寄りだし(!)、子供の頃から読書が趣味だし。高校時代に国語の先生から「花野にはもう教えることは何もない」とお墨付きを貰ったこともあるしで、そこそこ読める文章は書けると思っている。こういうのを根拠の無い自信というのだが。

 しかし、小説に最も必要なもの、「発想力」が欠けている。


 こればかりは努力で身に付くものでもないよなあ、と諦めの境地だったのだが、ここ何ヶ月かなろうにどっぷり浸かっているうちに、私はアイデアを思いつく、ということは練習で身に付けられるものかもしれない、と思い始めた。

 何がどう作用して、とは説明出来ないが、なろうで色んな作品をチラ読みさせてもらってるうちに、エンタメってこういう物じゃね? と何かが降りてきたのだ。ちょっと上手く説明出来ない、すまぬ。


 四年前、なろうに参加した時の私も、『小説を書く』ということに煮詰まっていた。その時も妄想コンテストが関係している。掠りもしねー! チクショー的なw

 そこで新天地を求めて、なろうにたどり着いたわけで。

 思えば、その頃の私は今よりずっと真剣に創作していたし、ある種のガツガツした貪欲さもあった気がする。



 なろうでは、終生忘れられない出会いがいくつもあった。私の下手な小説に、いつも感想やポイントを寄せて励まして下さる作家さん、そしてYoutubeで朗読したいと声かけして下さったYouTuberさん。

 そういった出会いが幸運を呼び寄せてくれたのか、なろうに登録した半年後に私の未熟な作品を短編収録したい、と竹書房さんから言っていただけた。全て『望外の喜び』である。


 なろうに集う全ての作家さん、読者さん、運営さん、皆様ありがとう。

 一日一回は「この出来事、クッソ腹立つ」と怒っている私(←根性が腐ってるセンシティブ婆w)だが、そんな私でも、なろうに対する感謝は忘れない。


 なろうは私にいつも勇気と幸運をくれる。そして希望なのだ。

 だから私は『なろう』をやめられない。

最後までお読み下さり、ありがとうございました♪

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