歪んだ神隠し〜1〜
Intro
ガタンゴトンと心地良い揺れが眠気を誘う。後ろに迷惑がかからない程度に座りご心地のいい角度に椅子を倒し、万全の睡眠態勢に入る。洸は窓側の席だった。その窓から差し込んでくる太陽の光がまぶしかったので幕を下ろして、それを遮断。少しまだ眩しいがこれくらいなら大丈夫だと判断し、人工の明かりを最後に見てゆっくりと目を閉じていく。
「……はぁー」
自然に零れる溜息。それは困った時などに出る溜息とは違い、安らぎを感じた時に出る溜息である。
そう、彼は事実かなり疲れていた。つい昨日、訓練が終わったのだ。その内容とは、口にも出せないほど、いや、表現すれば精神がイカレテしまうくらいの内容だった。それが三年間ほど続き、解放されたかと思うと早速仕事だ。休む暇も無く任務の場所へと赴かせられる。まったくたまったもんじゃないと今度こそ困惑の溜息をついた。
人間にも限界というものがあり、過度な疲労が溜まると過労死というものもある。あまりにもハードな仕事や出来事が続くと、精神的にも肉体的にも疲れがたまっていき、やがては脳出血や心臓麻痺などで突然死してしまう。それを分かってさせてるのかね、まったく。
しかも、死んだとしても、それに伴った罰が下される事はない。金を支払ってそれで終わり。その金額は場合によって変わったりするが、三十万程度だという。これでは死んだ人は救われないというもの。自分の命が、たかだか三十万で無かった事にされるのだからふざけた話だ。
それを分かって指示を下してるのかね、うちの奴等は…………もしかして、分かってやってるんじゃないか? うん、こっちの世界の奴等ならありえる。奴等は血も涙も無い鬼だ。人の事を考えない極悪非道で、まさに悪の権化。そうだ、そうに違いない。分かっててやってるんだ。畜生、このままじゃ俺の命が危ない。なんとかしなければ、俺は働かされ続けて、奴等の掌の上で踊らされて続けて殺されてしまう! 逃げなくちゃ。そうなる前に! さぁ、早くその翼を広げて自由という名の大海原へ…………まぁ、それは人間だったら話なんだけど。俺鬼だし。
訳も分からない妄想を垂れ流して、またもや大きな溜息を一つ。いや、これで気が済んだと言わんばかりに少しシートに深く座りこむ。足を狭いながらに、スペースを考えて組んで首を横に垂れる。腕も組んで片方は支えに置いて、これで準備はまさに万端。隙など一切存在せず、そこはまさに洸の夢を見る為のベッドへと華麗なる変貌を遂げたのだった。
準備は整った。後は、眠るだけだ。何も考えないで、という前提で。
頭の中を真っ暗にして数秒後、意識がまどろみ始めて身体が宙に浮いている感じがしてきた。気持ちがいい。更には『神隠し』やら『うぶうつし』やら少女の子守唄まで聞こえてきた。このまま一気に夢の世界へとゆっくりと降りていきたい。そして、意識が闇に沈んで――――。
「トランプやろう!」
大地震。いや、もうこれはかつてない程の大地震で震度八。いや、九? マグニチュード十はいってんじゃね? と適当な事を頭の中で考えて何が起きたのかを洸は整理する。けれど、それも一瞬。面倒になってきたので、夢の中で考える事にした栢鵺はもう一度闇の世界へと意識を沈める。が。
「トランプやろうよ!」
次は大地震プラス頭に衝撃。頭を押さえて体起こした洸はこの現状未だ理解できずに。
「あれ、寝床に家具なんてあったか?」
なんて、夢の世界を未だ旅をしているらしかった。だが、現実は容赦なく彼を引き戻そうと更なる大地震が洸を揺らす。
「せっっっかくトランプ持ってきたんだから洸もやろうよー、ねー」
と震源が笑顔で洸に誘いをかける。栢鵺の目の前には、笑顔の天使がいるようにしか見えなかった。事実、その顔はすごく綺麗だ。女性のように肌は綺麗で、整った顔立ち、声は中性的な声だ。それを寝ぼけ状態で聞いたら誰もが天使だと思ってしまうだろう。そして、洸は、
「そうか、俺は。……あっけなかったなぁ」
といった具合に勘違い、黄泉(夢)の世界へまたもや旅立った。
「もう、また目閉じちゃったよ。よく寝るなぁ、洸は」
そして、そこで天女という形だけの悪魔が天使の隣に貫禄たっぷりに座っていた。読んでいた本をパタリと閉じたと思うと、真正面を見据えたまま、少年に話しかける。
「入来、そんなんじゃ洸は起きないわよ」
「へぇ、じゃ神流、どうするの?」
「ふふ……こうするのよっ」
こちらも顔立ちは整っている。まだあどけなさの残る顔だが、それでも美少女の類には確実に分類されるだろう。だがその性格はというと、髪の様にしなやかで美しい黒とは違い、どす黒い漆黒であった。
そして、どこから取り出されたのか分からない洗濯バサミがその手に握られていた。神流(悪魔)は、通路側からそれをそーっと洸の頬へと持っていきその洗濯バサミを挟んだ。
「う……ん」
それでも起きないという洸のこの強靭ッぷりには入来は少し感心した。しかし、神流(悪魔)はそれも分かっていたかのようにニヤリと妖しく微笑んだ。そして、手を洗濯バサミへ持っていき、肉をつまんでいる先端を摘む。
入来から冷や汗が垂れる。自分が体験している訳ではないのだが、これから行われる行為が理解でき、その苦痛を無意識に想像してしまったために直視できない。多分、洸は夢の世界から帰ってこれないんじゃないか。不安で胸が重くなる。あぁ、惨劇が。と入来から声が漏れた。表情はなんとも楽しそうだが。
「成敗……ってやーーーーっっ!」
そして、神流が先端を強く摘まんだあと、一気にそれを引き抜いた。
「いっでぇぇぇぇええええええ!!!!」
電車の中に悲痛な叫び声が響く。周りにとってはまったくもって迷惑な話。