第一話
背中がズキズキと痛み、思わず目を見開いた。
闇の中から急に引き摺り出されたせいで目の前が点滅している。
「お目覚めですか」
ベッドの横の水差しを取り替えていたであろう人物が私が目を開いていることを見ると、安心したように笑い、「旦那様を呼んで参りますね」と言ってコップに水を少し注いで出て行った。
ぼんやりと壁に立てられた蝋燭を見つめ、これが現世か死後の世界かを考える。
実は牢獄のような場所で生涯を閉じ,それを憐れんだ神々が私が長く望んできた生活を夢として与えているのではないか。
毛布の下に隠れていた手を出し、握ったり開いたりを繰り返す。
手首まである服を肘まで上げてみれば今までの旅で負傷した箇所に傷が残っていた。
起き上がって足を触り、足首まで覆う布を引き上げてこれはもしかしたら現実かもしれないと認識する。
最後に頬をつねり、確信する。
「失礼しますね」
まくっていた袖を下ろしている最中、部屋のドアがノックされた。
開け放たれたドアを叩き,こちらを除いている人物に体を強張らせる。
「あなたは」
転移でいきなり現れた私をこうやってベッドに寝かしつけてくれた人だ、きっと悪い人ではないだろうが今までの経験で人をすぐに信用することが出来なくなっていた。
「私はエーセン・フェフダー。簡単に言えばここの屋敷の主、です」
翡翠の瞳に見つめられて強張っていた体から力が抜ける。
安心し切った体が後ろに倒れてベッドに倒れ込んだ。
「私のような者を助けて下さり、ありがとうございます」
体の筋肉が落ちていたのか、ほっとしたからか、ベッドに体を委ねてしまった。
きっと、寝たままで家主に礼を言うのは失礼に当たるだろうが、体が起きないのだ。大目に見て欲しい。
「いいえ、当然のことですよ。血だらけの剣と満身創痍の体で倒れている人を助けるのは当然のことですから」
エーセンはそう言って手に持っていた、彼の体には大きすぎるものを私の横に置く。
「こちら、勝手ながらメンテナンスに出してしまいました。刃こぼれが激しかったので」
綺麗になった愛剣を渡されて驚きで目を限界まで見開く。
私の記憶に残るどれよりも綺麗になった大剣。きっと、メンテナンス費用はとても高かったのだろう。
「すみません、私の手持ちで足りるかどうか」
金はあの集落の長に預けてしまった。いまは一銭も持っていない。
それに、もしかしたらあの金はもうないかもしれないのだ。
「構いませんよ。これは私の好意からの行動です。メンテナンス費用は私が払います」
「そんな」
見ず知らずの人に好意で金を払うなど。
「いいえ、良いのです。それに見たところあなたは旅をしながら各地に幸せをもたらす種族の方のように感じましたので。過去に無償で命を助けてもらったことがあるのです。だから、その恩返しを」
「それは私ではなく、違う方ですし、私はただの孤児ですよ」
ただの孤児だが、運良く私に金銭面で支援してくれる人を見つけ、ここまで成長できたのだ。
それに、私は幸運ではなく不運を人々に運んでいるように感じる。
「それでも、どうか、私の自己満足に付き合っていただけませんか」
ここで同意以外の答えを口に出すことはできなかった。
「分かりました」
良かった、とエーセンは笑い、戸惑いがちに声をかける。
「それで、体の方はどうですか。許可なしに服を脱がせるのは同性とはいえ褒められたものではないと思い,脱臼及び複雑骨折を起こしていた手首のみを治療しましたが」
「はい、とても動きが滑らかで骨折したなどと思わないほど痛くありません。感謝します。治療費は後程お払いします。今手持ちがなくて」
そこまで言って、エーセンの言葉に入っていた違和感に言葉を止める。
「同性、ということは、エーセンさんはまさか女なのですか」
エーセンは目をぱちくりさせて私を凝視した。
「あなたは、男ではないのですか」
私は自分に目を落とす。たしかに男物の服を身につけて切るタイミングを逃していた髪は頑丈な植物の蔓で括っており、体格も旅のおかげで細身の男性と思えるほど曲線はないが。
「私は女です」
声で分かるものではないだろうか。
訪れる静寂。
さああ、とエーセンの顔から血の気が失せた。
「無礼なことを言ってしまいましたね。すみません」
頭を下げて謝るエーセンに私は恐縮した。
「いいえ、エーセンさんが謝ることではありません。私の方こそ,突然現れてしまって申し訳ない気持ちです」
「背中の怪我を勝手にみていなくて良かったです」
エーセンは深く息を吐いて頭をわしわしとかいた。
言いづらそうに口を小さく開き、躊躇いがちに言う。
「昨日の夜、地下の監獄から轟音が鳴り響き、行ってみればあなたがいた。監獄唯一の入り口には鍵がかかり、それは外側からかけるものだった。つまり、あなたは監獄の内側から入ったことになります。もし、差し支えなければどのような経緯でここの来ることになったのか教えて貰えませんか」
ようやく聞いてきた。
しかし、馬鹿正直に今まであったことを話しても良いものか。
私のことを助けてはくれたが、百パーセント信用しても大丈夫な理由にはならない。
考え込んでいると、エーセンは苦笑した。
「言いづらいようですね」
「すみません」
エーセンは、背中の傷を治すために姉を呼んでくる、と言って部屋から出て行った。
その心遣いがとてもむず痒く、しかし心がぽかぽかと暖かくなった。