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46・ジルの恋

 





 仕事を終えたジルは、セギュール邸のある貴族街の方ではなく平民街へ向かっていた。姉のキトリーと共にセギュール家の養子になる前に世話になっていた家の娘、ニノンに会う為だ。

 ジルは養子になってからも、ニノンと月に二度は会っていた。初めは本を借りていたが、今はジルが本を貸している。


「こんばんは、お久しぶりです。今日はタルトを作ってきました」


 一階は雑貨屋になっており、その扉を開けるとジルは笑顔で袋を片手を上げて見せた。それを見た女店主はすぐに破顔する。


「あらぁ~ジルちゃん!いつもありがとう!ジルちゃんの作るお菓子、いつも美味しくてねぇ~。皆大喜びで食べてるのよ!」


「そうなんですか、嬉しいです」


 こちらも思わず笑顔になってしまいそうな笑顔で、ニノンの母はジルからタルトの箱を受け取った。ジルもにっこりと微笑み返す。


「ジルちゃん、会う度に男前になるわねぇ~。貴族様の舞踏会で、引き手数多なんじゃない?」


「いや、僕は舞踏会とかは行かないんです。セギュール家は姉が継ぎますし、僕は平民に戻るつもりなので……」


 今年でジルは十八になった。騎士団の食堂でも、調理師として様々な仕事を任せられている。


「あら、そうなの?まぁ、ジルちゃん立派に仕事してるしねぇ!ニノンは……」


「あ!お母さん!ジルが来たら教えてって言ったじゃない!また長話してジルを困らせてたんじゃないでしょうね?」


「ああ、ニノン。ジルちゃん今日はタルトを作って来てくれたのよ!今からジルちゃんと出掛けるんでしょ?タルト分、お腹空けときなさいね!」


 突然入って来たニノンが怒った顔をして見せたが、ニノンの母はどこ吹く風と笑顔でタルトの箱を見せた。ニノンは仕方なさそうにため息をつく。


「はぁい。ジル、タルトありがとう!ジルのタルト、美味しいから大好きなの!さ、行きましょ」


「うん。おばさん、お邪魔しました。遅くならないようにしますので」


「いいのよ!ジルちゃんなら安心して任せられるから!気を付けて行ってらっしゃい」


 二人はニノンの母に見送られ店の外に出た。ニノンは早速本をジルに渡す。


「面白かったわ!キトリーが主人公の本、結構出てるのね~。キトリーは嫌がりそうだけど」


「そうそう。この本を姉さんの前で読んだらすっごい怒られるからね」


 二人は恥ずかしいあまりに顔を真っ赤にして怒るキトリーを想像し、声を出して笑った。


「本、置いてくるからちょっと待ってて」


 ジルは住居入口に入って行くニノンの後ろ姿を見送りながら、未だ叶わぬ初恋を思った。ニノンを好きになってから、七年が経つ。ニノンに恋人が居る事も知っているし、そろそろ結婚……という話が出てもおかしくない。


「お待たせ!さ、行きましょ!」


 いつもより明るく振る舞うニノンに、ジルは笑顔を作り頷いた。




「わぁ~!美味しそうね!ジルのもすっごい美味しそう!少し交換して食べましょ!」


「うん、いいよ。本当に美味しそうだ」


 小レストランで運ばれてきた料理に目を輝かせているニノンに、ジルは微笑み承諾する。二人は切り分けた料理を互いの皿に移すと、美味しそうに食べ始めた。

 今日のニノンは明るく元気に振舞っているが、ジルには何か無理をしているように見える。笑顔が固いように感じていた。


「ニノン、最近姉さんには会った?リュカとルネ、本当に可愛くてさ。ルネは最近よく喋るようになったんだ。何言ってるのか分からないけどね」


 リュカとルネは、キトリーとエリクの子供達だ。小さな甥と姪を、ジルはとても可愛がっている。


「会ってないわ……会いたいけど、やっぱり貴族街に行くのはね~。ちょっと抵抗あるもの」


 少し遠い目をしたニノンは気落ちしたようにため息をつき、切なそうに目を伏せた。


「……良いわよね、キトリーは。ずーっと愛してくれる、素敵な旦那さんが居て。私……また振られちゃった」


 ジルはニノンに感じていた違和感に、やっと気が付いた。無理して笑って明るく振舞っていたのだ、と。


「そりゃ、私にはキトリーみたいな能力も無いし、英雄じゃないし、努力家でも無いし……運命の王子様を夢見たって仕方ないけど……でも、私だって、好きな人に愛されたいわ……」


 涙声でそう話すニノンに、ジルは手を伸ばした。ニノンのふわふわな明るい金髪を撫でる。


「……ごめん……こんな事……振られたのが悲しくて、キトリーが羨ましくなっちゃった……」


 涙を拭ったニノンは、鼻を赤くして笑った。ジルの胸がきゅっと締め付けられる。


「ニノンさ、俺の事、どう思ってる……?」


 ジルは静かに問いかけた。ニノンは目を瞬かせて首を傾げた。


「ジル?ジルは弟みたいな感じかしら。最近、カッコ良くなったわよね」


 ニノンがにっこり微笑むと、ジルは髪を撫でていた手をニノンの手に重ねた。


「あのさ、俺の事、異性として見れない……かな?弟じゃなくて、ニノンの恋人になりたいんだけど……」


 重ねられた温かい手と、自分を見つめる真剣な瞳。そしてジルの言葉の意味が理解出来たニノンは、頬を染め驚いた。


「え?ジル、い、いつから……?」


「俺達がセギュール家の養子になる少し前から。沢山会いに来てたし、一応意識して貰おうと頑張ってたんだけどさ」


 ジルがそう言うと、ニノンは困ったように眉尻を下げた。


「え~?そうなの?そしたら私、色んな人と付き合ってきたけど、ジルはその度に嫌な気持ちになってたんじゃない……?」


 ジルの事を心配してくれるニノンに、ジルは安心させるように笑顔を見せた。


「大丈夫。ニノンが幸せそうな時は、その姿を見てるだけで良かったから。でも、今みたいに別れて泣いてる時は、俺だったらそんな顔させないのに……っていつも思ってた。でも俺、まだ独り立ち出来てなかったから、告白なんて出来なくて、ずっとモヤモヤしてた」


 ニノンの目の前のジルは、ニノンの家の貸部屋に居た頃の小さかったジルとは違う。背も伸びて体も大きくなり、ニノンの母が会う度にカッコ良くなったと言っている。ニノンも、母と同意見だ。

 ジルから思いを告げられ、ニノンは目の前の弟みたいだと思っていた相手を意識し始めていた。ジルに見つめられ、ニノンの頬は赤く染まっている。


「ニノン、今度休みが合う時にさ、デートしようよ。姉さんと義兄さんが毎年行ってるクルテュールって町。今の季節は花が沢山咲いてて綺麗なんだって。町並みも可愛くて、カヌーに乗るのも楽しいらしいよ」


「そ、そうなんだ……行った事ないから、楽しみ……」


「うん。俺も」


 ニノンとデートの予定が決まり嬉しいジルは、ニノンの手を取り指先にキスをした。エリクがキトリーによくしているその仕草を、ジルも自然にしてしまっていた。

 そんな事は知らないニノンは、今まで異性にそのような事をされた事が無く更に頬を赤く染めた。




 元々仲が良い二人が付き合うまでに、そう時間はかからなかった。そして付き合ってから半年後に、二人は結婚を決めた。


 この日ジル達はニノンの両親に、結婚の許しを貰う為の挨拶をしていた。ニノンの両親はジルとの結婚に喜んでいたが、相手が貴族令息だという事に不安も感じていた。


「……私達は君が素晴らしい青年だと知っているが、ニノンは平民だ。身分の差で苦しむような事にならないだろうか……」


「その事なのですが、私は元々平民です。貴族の身分に拘りはありません。どうか、私を婿として受け入れて頂けませんでしょうか……?」


「それは勿論、私達は大歓迎だ。だが……そちらの家の方は何と……?」


 真剣な表情で婿入りを願い出たジルに、ニノンの両親は顔を見合わせ心配そうに眉を寄せた。


「大丈夫です。養子になった時から、ずっと平民に戻る事は言ってきました。きっと、許可してくれると思います」


「そうか……私達は反対はしないよ。ジルの事はよく知っている。そちらの家族が良いと言うなら、是非うちにお婿に来ておくれ」


「ありがとうございます!」


「ありがとう、お父さん、お母さん」


 ジルは頭を下げて礼を言うと、ニノンも安心したように微笑んだ。ニノンの両親も二人を祝福するように優しく微笑んでおり、ジルは歓迎されていると実感出来た。




 ニノンの両親から許可を貰うと、前セギュール伯爵夫妻、現セギュール伯爵ライアン、キトリー、エリクに報告をする為に時間を作って貰った。セギュール伯爵邸で、二人は緊張しながら報告をしている。


「私たち、ジル・セギュールとニノンは、結婚の約束をしました。ニノンは以前暮らしていた貸部屋の家主の娘さんで、良くして頂いてました。どうか、結婚の許しを下さい」


「ジルちゃん!おめでとう!ジルちゃんずっと言っていたものね。平民に戻るって。ニノンちゃんとの事を考えて……だったのねぇ」


「ジルおめでとう!……思いが通じて、良かったな」


「ええ!?ジルとニノンが!?うそ!?えええ?おめでとう~!」


 ライアンとエリクは大いに喜んだ。この報告まで何も察していなかったキトリーは、とても驚いていたが、涙を流して喜んだ。

 ジルは気恥ずかしそうに笑っていたが、ニノンはキトリーと一緒に泣いていた。


「ジル、婿養子に入るという事だが、君が私たちの孫だという事は変わらないよ。だから、いつでも会いに来て欲しい。おじい様が寂しがり屋だと、知っているだろう?」


「そうですよ、ジル。長い休みが取れた時は、きっと領地に遊びに来なさいね」


「はい。ありがとうございます……おじい様、おばあ様」


 前セギュール伯爵夫妻はジルをそれはそれは可愛がっていた。キトリーは爵位を継ぐ為厳しく勉強させられたが、二人はジルにはかなり甘かったと記憶している程だ。

 祝福されながら二人は、頬を染め微笑み合っていた。

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