39・我儘なお嬢様
「俺は、二人で、出掛ける予定だったんだが……」
指で目頭を押し顔を顰めているエリクは、目の前で困惑した笑顔を見せるキトリーに苦々しく弁解した。
キトリーは、嬉しそうな笑顔を見せるオリアンヌに腕を絡め取られている。
「私だって、キトリー様とお出掛けしたいですわ。お忙しいキトリー様とお出掛けする機会は少ないのでございましょう?私も連れて行って下さいませ」
縋るような表情でキトリーを見上げたオリアンヌだったが、キトリーは返事に困ってしまった。今日エリクと出掛ける先は、クルテュールの町。以前エリクとキトリーが二人で訪れた町で、今日も街歩きをする予定だ。
オリアンヌは一目見て貴族だと分かるドレスを身にまとっており、街歩きには向かない。
眉尻を下げたキトリーがエリクを見ると、扉がノックされた。入って来たのはセギュール夫人。次女達がワンピースを幾つか手に持ち、セギュール夫人に続いた。
「ジラール侯爵令嬢様。本日、キトリーとエリク様は街歩きをなさるそうですの。そのお姿では、目立ちますので、もしよろしければお着替えなさいませんか?」
「まぁ、そうでしたの……セギュール夫人。ありがとうございます。是非お願い致します!」
オリアンヌが夫人の申し出に笑顔で応じると、夫人とオリアンヌは侍女が用意したパーテーションの奥に消えた。二人を見送ったエリクがキトリーに向き直る。
「キトリー、すまない……出掛ける予定をオリアンヌに聞かれてしまい……」
「いいえ!オリアンヌ様と一緒にお出掛け出来るのも嬉しいです!オリアンヌ様と仲良くなりたいと思っておりましたので……!」
謝るエリクに何も気にしていないと笑顔で首を振ったキトリーの手を、エリクはギュッと握った。
「二人きりでいたいと思ったのは、俺だけだった?」
「え、いえ……」
エリクに拗ねた表情で顔を覗き込まれたキトリーは、その初めて見る表情にたじろいだ。いつもは美しく格好良いエリクが可愛く見え、キトリーの胸はときめいてドキドキしている。
真っ赤になったキトリーが何も答えられずに目を泳がせているのを見たエリクは、愛しそうに目を細めてキトリーの手に口付けを落とした。
更に真っ赤になったキトリーを見て、エリクが目尻を下げていると、着替えを終えたオリアンヌがパーテーションの奥から現れた。
「キトリー様、お兄様、どうかしら?」
白いブラウスに、水色のリボンが付いたスカートが爽やかな、先程のドレス姿よりは街歩きに向いた服装だ。オリアンヌは少し照れたように微笑みキトリーの反応を伺っている。
「オリアンヌ様!すごく可愛いです。何でもお似合いになるのですね!」
キトリーが嬉しそうに目を見開き驚いた顔をした。そんなキトリーに褒められたオリアンヌは、嬉しそうに頬を染めながら照れたように笑った。
「実は、髪飾りのリボンはキトリー様とお揃いにして貰ったんです」
「あっ!うふふ。お揃い、何だか嬉しいです」
オリアンヌの金色の髪は、キトリーと同様緩く編まれた三つ編みに結われていて、同じ水色のリボンが三つ編みに編み込まれている。
キトリーが笑顔で答えた事で、オリアンヌはホッとしたように微笑んだ。急に距離を縮めた事を不快に思われたのではないかと、少し不安に思っていたからだ。
馬車の中でもオリアンヌはキトリーの隣に座り、嬉しそうに話をしていた。キトリーも楽しそうに笑っている。エリクはそんな二人を、微笑み眺めていた。
夏のクルテュールの町は、花が美しく咲き、鮮やかな木々の緑が太陽に照らされ輝いていた。馬車から降りたキトリーとオリアンヌが手を繋ぎ楽しそうに歩いているのを、後ろから苦笑混じりに見ているエリクはまるで、二人の兄のようだ。
「私、クルテュールに来るのは初めてなのですが、建物が可愛らしいのですね」
「ふふ。歩いているだけでも、楽しく感じますね!川の方に行ってみますか?以前来た時は、白鳥が居たんですよ」
町並みを眺めながら感動しているオリアンヌに、キトリーはニコニコと笑顔で同意した。キトリーがこう言うと、オリアンヌはキトリーの腕を少し引き顔を近付けた。キトリーの耳元で、内緒話をするように小声でオリアンヌは囁く。
「キトリー様、川へはお兄様とお二人で行って下さいませ。私、お昼を頂きましたら、先に帰りますので」
「え?」
不思議そうに目を見開いたキトリーに、オリアンヌは眉尻を下げて笑い返す。
「流石に一日中、お二人のお邪魔をする訳にはいきませんもの……あら、午前中も邪魔をなさいますな、とは仰らないで下さいまし。私、休暇中ずっとキトリー様にお会いしたくて堪らなかったのですから」
可愛い事を言うオリアンヌに、そんな事を言える訳がない。それに、エリクは兎も角キトリーはオリアンヌを邪魔などと思ってはいなかった。
「オリアンヌ様、邪魔だなんて、思っておりませんよ。私も久しぶりにオリアンヌ様にお会い出来て嬉しいのですから。お元気そうで良かったです」
「うふふ。ありがとうございます。午前中は、しっかりお邪魔させて頂きますわ!」
オリアンヌはそう言うと、キトリーの腕に自身の腕を絡ませてクルテュールの道を歩いた。キトリー達の後ろには、ジラール家の侍女と護衛が着いて来ている。
キトリーは出掛ける際に侍女を伴うのは慣れておらず、今日の街歩きにも連れてはいなかった。
誘拐事件が起こった後なのだから、とキトリーは思ったが、オリアンヌが外出する際はいつもこうである。
小ぢんまりとしたレストランに入ると、アミューズブージュとしてクレームブリュレと冷製スープが出てきた。暑い日差しの中歩いて来た三人には、この口の中に広がるひんやりとした感覚が気持ちいい。
「キトリーはいつも、幸せそうに食べるな。クレームブリュレ、好きだっただろう?食後にも頼もうか?」
見ているだけで幸せだとでも言うように目を細めているエリクに、キトリーは眉尻を下げて答えた。
「クレームブリュレは大好きですが……アールグレイとキャラメルのどちらにするか迷ってしまいます」
「ははっ。では二つ頼んで分けよう。どちらも美味しそうだ」
笑顔で追加注文を決めたエリクに、キトリーが嬉しそうに頷いた。
「キトリー様はクレームブリュレがお好きなのですね。嫌いな物はございますの?」
「嫌いな物はありませんね。何でも美味しく頂けます。特にお肉とお菓子が好きです」
オリアンヌの問に答えるキトリーを見ながら、エリクは美味しそうに食事をするキトリーを思い出していた。クエスト中に食べた昼食も、そのクエストで獲た肉料理も、食事に誘った時も、いつもキトリーは幸せそうに食事をしていた。
今もキトリーは、薄いパンの上にチーズ、薄くスライスした玉ねぎ、細切りベーコンを乗せて焼いたタルトフランベを美味しそうに食べている。なめらかでさっぱりとしたフレッシュチーズと、細切りベーコンの塩味が絶妙で、キトリーの顔も蕩けている。
「お兄様もキトリー様も、沢山召し上がられますのね……私、もうお腹いっぱいですわ」
食後のデザートに運ばれてきたクレームブリュレを前にした二人に、お腹に手を当てたオリアンヌが唖然とした表情で言った。
「騎士団の食堂出でる食事の量が、もう、すごいんです!入団した時は三分の一しか食べられなかったのですが、今は半分位食べられるようになってしまいました」
キトリーは照れながら苦笑いを浮かべオリアンヌに説明した。オリアンヌが感心した表情で、そんなキトリーを見つめている。
「厨房のカウンターで、量の注文が出来るのではないか?」
「ジルもそう言っていたのですが、ベルナールとレジス先輩が足りないから欲しいと言ってくれるんです。なので、丁度いいかなぁ、と、そのままにしています」
「そうか……それなら、良かったな……」
こちらに笑顔を向けるキトリーに、歯切れ悪くエリクは返した。班員同士仲が良いのは結構な事ではあるが、エリクの胸中には嫉妬の靄が小さく生まれた。
そんなエリクの顔を、オリアンヌは目を丸くして見ている。だがすぐに笑みを浮かべて話を変えた。
「美味しゅうございましたわ。お兄様、キトリー様、私、そろそろお暇致します。素敵な時間をお過ごし下さいませ」
「え、オリアンヌ様……」
本当に行ってしまうのか、と戸惑うキトリーに、オリアンヌは小さな悪戯をした子供のように唇を尖らせ言い訳をする。
「今日はこれから作法の先生がいらっしゃる予定なのです。ですので、本当に残念なのですが、帰らなければなりませんの」
「……そうなのですか。オリアンヌ様、ご一緒出来て楽しかったです。お気を付けて、お帰り下さい」
残念そうに別れの挨拶をするキトリーと静かに戸惑っているエリクに、立ち上がったオリアンヌは綺麗なカテーシーをした。
「オリアンヌ、気を付けて。叔父上叔母上、セヴランに、また伺わせて頂きますと伝えてくれ」
「分かりましたわ。それではごきげんよう」
オリアンヌは侍女を伴い店を出た。侍女は斜め後ろからオリアンヌの顔を見ている。
本当ならば、もっと長く二人と時間を共にしたかったであろう筈なのに、オリアンヌは薄く微笑んでいる。実は今日、作法の先生がジラール邸に来る予定も無い。
オリアンヌは自分の気持ちを優先させずに身を引いた。以前のオリアンヌであれば、一日中彼等にくっ付いていただろう。
あの我儘放題だったお嬢様が……。長くオリアンヌの傍で働いていた侍女は、驚くと同時にオリアンヌの成長に目を細めた。
オリアンヌと別れたキトリーとエリクは、クルテュールの町を川岸に向かって歩いていた。寒くはないが、自然と二人は手を繋いで歩いている。
「お二人さん、ゴンドラに乗っていかない?」
「はい!お願いします!」
陽気なゴンドラの漕ぎ手に声を掛けられ、二人はゴンドラに乗り込んだ。水色と白の縞柄のクッションの置かれた座席にゆっくりと腰掛ける。
キトリーとエリクが座るのを確認した漕ぎ手は、ゆっくりと船を漕ぎ出した。
狭い水路を囲む家々の窓辺にはウィンドウボックスが備えられ、色とりどりの花が植えられている。夏の明るい日差しを浴びた鮮やかな花々は美しく、川から眺めるクルテュールの町も、可愛らしく洗練されて見えた。
「冬に来た時よりも、花が多いですね」
「そうだな。春に来られなかったのは残念だったが、今の時期も綺麗だな」
穏やかに微笑み合いながら景色を眺めていると、ゆっくりと進むゴンドラは市街地を抜け森に出た。カッコウの鳴き声が聞こえてくる。他の鳥の鳴き声も聞こえ、以前来た時は静かだった森が、今では賑やかだ。
涼やかな森から市街地へ戻る水路で、一台のゴンドラとすれ違った。すれ違いざま、ゴンドラの漕ぎ手は互いに手を挙げ挨拶を交わす。
ああ。あの時の二人じゃないか。やっぱり上手くいったんだな。と、キトリー達とすれ違ったゴンドラの漕ぎ手は微笑ましげにそう思った。
キトリーとエリクは睦まじげに手を繋ぎ、穏やかに微笑み合っている。あの時はこんなに二人の距離は近くなかったし、二人の間にあった独特の緊張感は今は無い。この事に気を良くした漕ぎ手は、歌を歌い始めた。明るい森の中、ゆっくり進むゴンドラの上で低く響く明るい歌声は、乗客を楽しませた。
ゴンドラでの水上散歩を終え、二人はまた手を繋ぎ歩き出した。オリアンヌと別れてからずっと、キトリーの手はエリクの大きくて温かい手に優しく握られている。嬉しくもあり恥ずかしくもあり、キトリーの胸はこそばゆかった。
「今度出掛ける時は、レザンに乗って何処かに行かないか?」
「えっ?レザンに乗せて頂けるんですか?」
キトリーは目を丸くしてエリクを見返した。
レザンはエリクが騎獣のカナガルにつけた名前だ。捕まえてそれ程時間が経っていないというのに、レザンはもうエリク以外の者を乗せて飛べる程に人に慣れたのだろうか。
「ああ。よく指示を聞くようになった。俺の言葉も少しは理解しているらしい」
嬉しそうに話すエリクの顔を見て、キトリーも嬉しくなり頬が緩んだ。そんなキトリーの頬を、エリクの指が優しく撫でる。
「従者を伴わないで、二人きりで過ごしたいと思ったんだ」
甘い言葉に甘い瞳、キトリーは柔らかく微笑むエリクの顔を直視出来ずに下を向いた。視線を逸らしても感じるエリクの甘い視線と優しく触れる指に、キトリーの顔は赤く染まる。
穏やかにこの日を過ごした二人は、次のデートを楽しみにしていた。だがその日を前にして、突如災いがこの国に降り掛かる事となる――。




