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32・決意

 





 昼食の時間となり、食堂に案内されたキトリーとジルは、セギュール夫妻とテーブルを囲んでいた。

 セギュール夫妻は目尻を下げて、美味しそうに食事をしている二人を見ている。


「本当にキトリーは美味しそうに食べるわねぇ。何だか何時もよりも美味しく感じるわ」


 上品な笑みを浮かべた夫人に、キトリーは口の中のハンバーグをしっかり味わってから答えた。


「このハンバーグ、本当に美味しいです。でもおばあ様、ジルのハンバーグも美味しいんですよ」


 キトリーにおばあ様と呼ばれた夫人は嬉しそうに笑いジルを見た。夫人は、セギュール伯爵が二人におじい様と呼ばれているのを聞き、自分もおばあ様と呼んで欲しいと言ったのだった。

 全く血の繋がりの無い二人を、この夫妻は大切な家族のように扱ってくれている。


「うふふふ。そうねぇ。ジルは料理人見習いですものね。この間のパイも美味しかったもの。……ねぇジル?貴方、本当に学校へは行かなくて良いの?学校を卒業してから料理人になるのでも良いのではなくて?」


 ジルを心配し夫人はこう言ったが、ジルは首を横に振った。


「いいえ、おばあ様。私は将来料理人として生計を立てていくつもりです。今働かせて貰っている騎士団の食堂には、尊敬する先輩方に料理長が居ます。ここで、学びながら料理人としての腕を磨き、働いていきたいんです」


 ジルは微笑みながらも、意志を感じさせる力強い瞳で夫人を見て答えた。夫人は残念そうに眉尻を下げたが、養子になる前からジルはこう言っていた為に、それ以上学校を勧める事はしなかった。




 その日の夜、仕事を終えたライアンは上機嫌で帰って来た。夕食の席で、ライアンはキトリーに嬉しそうな笑みを向けた。


「キトリー、副団長が次の休みにいらっしゃるわよ。婚約の申し出をしに、ね」


 チャーミングにウインクをキトリーに送りながらライアンが言うと、キトリーは頬を赤らめながらも眉尻を下げた。


「ほ、本当に婚約するんですか……?私で大丈夫なのでしょうか?副団長でしたら、他にお似合いの方が沢山いらっしゃるでしょうに……」


「そりゃそうでしょうよ」


 不安そうな顔をするキトリーに、ライアンはピシャリと言った。


「アンタは元平民で、そのスキルが無ければ副団長と出会う事も無かったわ。で、副団長は伯爵家の三男坊。あの美しい見た目に、若くして騎士団の副団長を務めるエリートよ。だから、貴族令嬢の憧れの的になっているわね。縁談も多いらしいわよ。でも、副団長が選んだのはアンタなの。キトリー」


 力強い笑みを浮かべ、ライアンはキトリーを見る。この娘は、エリクにあんなにも求められているというのに、まだ自信が無いらしい。

 しかしライアンは、キトリーに自信が無いのも理解は出来た。長年孤児として生活して来て、騎士となり半年で貴族の養子になったのだ。更には貴族令息からの婚約の打診。戸惑うのも無理は無いだろう。


 キトリーは困ったようでいて、少し嬉しそうでもあった。キトリーはエリクに恋心を抱いている。身分差によって、この恋を諦めようとしていた所に降って湧いた養子縁組と婚約を、素直に喜んで良いのか分からないのだろう。


「うふふ。英雄になる素質を持つ子供を養子に迎えられただけじゃなく、副団長が婿入りする事になるなんてね。アタシってば、色んな意味でツイてるわぁ~」


 ライアンは楽しそうに笑っているが、セギュール夫妻もキトリーとジルも笑わなかった。もしも今ここにサミ魔術部隊長が居れば、大笑いしていただろう。

 一人笑っていたライアンは、表情を引き締めてセギュール伯爵を見た。


「跡取りを見付ける事が出来ましたので、私は騎士職を辞職して爵位を継ぐ準備をしたいと思います。父上、母上、これまで自由にさせて下さり、ありがとうございました」


 ライアンは両親や公の場では、自分の事を私、と言う。一応の礼儀として弁えているらしい。科を作らないライアンは、精悍な男性に見える。


「では辞職後に社交に出て貰うぞ。騎士として培った人脈もあるだろう。お前の仕事に感謝状を送ってくれた貴族達も居たから、余り難しく考えなくて良い」


 セギュール伯爵の言葉は、決定事項を告げる固さを感じさせたが、その言葉にはライアンを心配する優しさがあった。ライアンはセギュール伯爵の心遣いに、困ったように笑った。


「父上、私はもう子供ではありません。心無い言葉を受け流す事が出来るようになりました」


 ライアンは口元を微笑ませたまま目を伏せた。過去に受けた傷、両親の優しさを思い出しているのだろう。瞳には悲しげな、懐かしむような色が浮かんでいる。


「父上、母上、こんな私を受け入れてくれ、後継者が見つかるまでお待ち下さりありがとうございます」


「……私達はお前が苦しんでいる時に、見ている事しか出来なかったからね……不甲斐ない私達に出来る事は、待つ事だけだったんだよ」


 セギュール伯爵は悲しく微笑んだ。そんな父親に、ライアンは首を横に振る。


「父上と母上に拒絶されなかった事が、私にとってはこの上ない救いでした。本当に感謝しております。私が爵位を継いだ後は、ゆっくりと領地で過ごしてくだ……」


「勘違いして貰っては困ります」


 ライアンの言葉を、セギュール夫人が遮った。その声色は厳しく、セギュール夫人の表情も固いものだった。


「貴方の個性を、拒絶するような事は、私も夫も考えた事はありませんよ。大切なのは、貴方が幸せである事。領民が生活出来る事。私達の願いはそれだけです」


 夫人はピシャリと言ったかと思うと、不敵な笑みを浮かべた。


「そして、私は孫娘が立派な女伯爵になれるよう、教育する為に残ります。領地へはお二人でお帰り下さい」



 夫人の言った通り、翌日も休みだったキトリーは今までよりも厳しく夫人に教育を施された。

 そしてキトリーの休暇も終わり半月後の事。エリクとキトリーの休みが合う今日は、キトリーは朝から入念な準備を施されていた。

 髪は艶やかに梳かされ、肌は磨かれマッサージを受けた。気持ちの良いマッサージだったのだが、途中ゴリゴリと痛みを感じキトリーは度々呻き声を洩らした。


「あら、とても良く似合っているわよ。きっと、副団長様も惚れ直してしまうわね」


 ドレスに着替えさせられたキトリーを見て、セギュール夫人は満足そうに微笑み頷いた。

 キトリーは、鏡に映った見慣れないドレス姿の自分を、まじまじと見つめている。クリーム色のレース地には、絹糸で細かい葉模様が縫われている。清楚で美しいドレスだ。

 キラキラと輝く葉模様に、キトリーはつい見惚れてしまった。



 エリクの来訪を告げられ、キトリーは微笑むセギュール夫人と共に廊下へ出た。セギュール伯爵の部屋から出てきたセギュール伯爵とライアン、ジルと共に、エリクの待つ部屋へ向かう。

 キトリーは背筋を伸ばして、夫妻とライアンの後ろをドキドキしながら歩いた。休暇明けに何度かエリクには会ったが、キトリーはあまりにも緊張してしまっていて、まともにエリクの顔を見る事が出来なかった。

 今もキトリーは、緊張はしているし心臓はドキドキと音を立てている。


「エリク・フランドル殿。お待たせして申し訳ございません」


 部屋に入ったセギュール伯爵がエリクに詫びると、エリクは微笑み立ち上がった。


「いいえ。本日はお時間を頂きありがとうございます」


 双方挨拶を済ませると、セギュール夫人がキトリーの背中をそっと押した。キトリーが一歩前に出ると、エリクはキトリーの前で膝を付き手を取った。キトリーの手の甲に唇を落とすと、エリクはキトリーの目をじっと見つめた。


「キトリー嬢。既にお伺いかと存じますが、この度は貴女に改めてお願いに参りました。私と、結婚して下さい」


 エリクの上品な眼差しに見つめられ、キトリーは喉の奥が塞がれたような気持ちになった。喜びと不安、様々な葛藤が胸の内で渦を巻いている。

 しかしキトリーは心の中にあった葛藤を、すぐさま振り払った。もう自分は貴族になったのだから、何があっても乗り越えてやると心に決めた。


「はい、エリク様。喜んでお受け致します」


 キトリーが嬉しそうな微笑みを浮かべ答えると、エリクもまた嬉しそうに口元を綻ばせた。






「うふふ。次の舞踏会は荒れるわねぇ」


 ライアンが面白そうに笑っている。キトリーはエリクに舞踏会に誘われていた。その舞踏会には、ライアンもセギュール夫妻も参加予定だ。


「どうして荒れるんですか?」


 ドレスを脱ぎコルセットを外し楽な服装になったキトリーは、ゆったりと首を傾げた。そんなキトリーに、ライアンは呆れたように笑い返す。


「もぅ、本当に鈍いわねぇ。その中心はアンタよ、キトリー」


「ええ?私ですか?どうし……あ……」


 疑問を口にしている最中に、その理由に気付いたキトリーは口を押さえた。

 ライアンはエリクを「貴族令嬢の憧れの的」だと言っていた。縁談の打診も多いと。そんなエリクがキトリーを伴い舞踏会に参加をするのだから、注目を集めるのは想像に容易い。


「アタシも父も母も参加するから、そう難しく考えなくても良いわ。アンタは騎士として働き続けるんだし。でもまぁ、お友達が出来ると良いとは思うけど……」


 貴族としての経験が全く無いキトリーには難しいだろう。貴族としての矜恃の高い令嬢達から色々と言われるかも知れない。嫌がらせをされるかも知れない。

 だがライアンには、何故かその事で傷付くキトリーは想像出来なかった。


「とりあえず、ダンスの練習しときなさいな!アタシの足は良いけど、副団長の足を踏む訳にはいかないでしょ!」


 にっかりと笑顔で言ったライアンに手を引かれ、キトリーはダンスの練習に立ち上がった。

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