30・パーティー翌日、騎士のチャーム
キトリーは、ふかふかの温かいベッドの中で目を覚ました。ぼんやりと見える天井は、いつもの自室のものとは違う。綺麗に塗られた天井に、証明も細工が美しく豪華なものだ。
部屋も、自分の部屋よりもかなり広い。現実味のない光景に二度寝をしたくなるが、キトリーはゆっくりと起き上がった。
二度寝する訳にはいかない。ここはセギュール家の屋敷だ。貴族の屋敷でダラダラと過ごせる程、キトリーの神経は太く出来ていない。
扉を叩かれ返事をすると、ジルが入って来た。ジルもキトリーと同じだったのかも知れない。身支度をしっかり済ませている。
「ああ、良かった。ちゃんと起きてた。おはよう、お姉ちゃん」
「おはよう、ジル。よく眠れた?」
ベッドから降りながらキトリーが聞くと、ジルは小さく頷いた。
「初めは緊張してたけど、ベッドが気持ち良すぎて寝ちゃった」
「あはは!私も~。布団も柔らかくて軽くて温かいの。やっぱり、うちのとは全然違うわね」
キトリーが着替えを終えると、また扉を叩かれた。返事をすると、オリーヴが入って来た。
「おはようございます。キトリー様。ジル様もこちらにいらしてたんですね。新年のパイ、ありがとうございました。とても美味しかったです。因みに、チャームは料理長が手に入れておりましたよ。あの料理長の喜び様、ジル様にもお見せしたかったです」
「おはようございます、オリーヴさん。食べて貰えて良かったです。ふふっ。流石料理長ですね!」
オリーヴがジルに微笑み礼を言うと、ジルも笑顔で答えた。それに対して笑顔を深めて答えると、オリーヴは恭しく二人に礼をする。
「朝食のご用意が出来ましたので、食堂までお願いします」
「オリーヴ、おはようございます。あの、部屋の片付けがまだ……」
「それは私共の仕事ですので、キトリー様はお気になさらないで下さい。さあ、旦那様と奥様がお待ちですから!」
オリーヴは丁寧な口調で、とっとと行けと身振りで急かす。気安い侍女に、キトリーとジルは笑顔で礼を言うと食堂へ向かった。
二人は食堂へ入ると、侍女に席へ案内される。席に座ると、キトリーはセギュール伯爵と伯爵夫人に頭を下げた。
「おはようございます。泊めて頂きまして、ありがとうございました」
「キトリー、畏まる事はない。何時だって遊びに来ても良いんだ。二人共、よく眠れたかな?」
キトリーに微笑みかけたセギュール伯爵は、優しそうに目尻を下げた。柔らかい栗色の髪には白髪が多く混じり、細かい皺も多く刻まれている。
セギュール伯爵は、キトリーとジルに対して、いつも孫のように優しく接してくれていた。
「はい。とっても良く眠れました」
「そうか。それは良かった。いつでも泊まれるようにしておくからね。今日も泊まっていくかい?」
笑顔でジルが答えると、セギュール伯爵がニコニコと笑いながら言った。その言葉に、ジルは笑顔のまま固まってしまう。
「ジルが困っていますよ。でも、私達はいつでも待っているから、遠慮なく来てちょうだいね」
助け舟を出した夫人も、結局はセギュール伯爵と同じ事を言っている。にっこりと凄味を感じさせる笑顔で見られたキトリーとジルは、笑顔を貼り付けて頷くしか出来なかった。
「そうだわ!ジル、新年のパイをありがとう。あんなに小さなパイを見たのは初めてだったわ。可愛くて、食べるのが勿体ないと感じた程よ。チャームが出なかったのは、残念だったけれど……」
夫人がこう言うと、セギュール伯爵は得意気に口角を上げ、不敵に笑った。夫人はそれを、悔しそうに横目で睨む。
「可愛い騎士のチャームを手にしたのは、私だったのさ。あのチャームは、私の書斎に飾ってあるよ。今年はきっと、いい事がある」
セギュール夫妻は、小さなパイを二人で分けたので、チャームを手にする確率は半々だった。だが、セギュール伯爵は嬉しそうで、夫人は悔しそうだ。
「私達は、二人共駄目でした。でも、ライちゃん様はチャームに選ばれていましたよ!あと、エリク様とサミちゃん様も!」
ジルは夫妻の前では自分の事を、私と言う。夫人にそう教育をされたからなのだが、恥ずかしいのか夫妻の前以外では、俺と言っている。
「まあ!副団長様に魔術部隊長様も?流石ねぇ~。幸運を引き寄せる力も持っているのね!」
「幸運を引き寄せる力なら、私だって持っているさ」
色めきだった夫人に、セギュール伯爵が自慢げに笑う。目を細めてセギュール伯爵を見た夫人は、一瞬の間を置いて面白そうに笑った。
昨夜は新年のパイからチャームを出したのは、ライアン、エリク、サミ、ケヴィン、ライアンの班員の一人だった。
キトリーとジルは、パイを食べ終えてから客室へ案内され眠りについたので、その後どのようにパーティーが進んだのか分からない。
明け方までパーティーを楽しんでいたライアンは、今はベッドで眠っている。
朝食を終えた二人は、セギュール伯爵と夫人に挨拶をして屋敷を後にした。ライアンに挨拶は出来なかったが、これ以上滞在するのは憚られた。
「パーティー楽しかったね」
「うん。綺麗なドレスを着させて貰って、美味しい食事にダンス……今までの生活からは、考えられない事だったわね」
夢のようだったな。キトリーは昨夜の出来事を思い出しながら、目を閉じ口角を上げた。そんなキトリーの隣で、ジルは疑問を口にする。
「お姉ちゃん、エリク様とテラスで何話してたの?」
キトリーはギクリと肩を震わせた。諦めるつもりでいる恋だから、ジルに話す事は無いとキトリーは思った。
「別に……世間話……?」
動揺して視線をさ迷わせながらキトリーは答えると、ジルはふぅんと、それ以上追求はしなかった。
翌日からキトリーもジルも仕事が始まり数日が過ぎた。キトリーはエリクと会う事も無く、寂しさや恋しさはあれど、心を乱される事は無かった。
何故かセギュール夫人から屋敷に招待される事が増え、休みの合わないキトリーとジルは別々に赴く事が多かった。二人はそれぞれ、セギュール邸で楽しく過ごしつつも様々な教育を施されていた。
ある日騎士団本部の食堂から出ると、キトリーはエリクと鉢合わせてしまった。キトリーが扉から出ると、扉を開こうとしたエリクが目の前に立っていたのだ。
「あ!申し訳ございません!」
キトリーが慌てて道を空けると、エリクは食堂に入りキトリーの瞳を見つめた。
「いや、こちらこそ、すまなかった。久しぶりだな。キトリー」
エリクの甘い瞳と声に、キトリーの心臓は音を立て始めた。先程まで静かに動いていたのに今ではその存在を、これでもかと主張している。
「……また長らく会えなくなる。戻る頃には、今取得中の機能も取得出来ている事だろう。戻ったら私の部屋に来て欲しい」
「あ、はい。分かりました!」
瞳の奥に切ない思いを滲ませたエリクに、キトリーは深々と頭を下げてから食堂を出た。
エリクの言っていた通り、十一班はまた遠征に出る事になり、海辺の町へ向けて出発した。魔物の討伐自体は、キトリーのパワードスーツの機能のお陰ですんなりと終了した。だが、遠方という事もあり、十一班の帰還は出発してから一月後になった。
エリクが書類に目を通していると、扉を叩く硬い音が響いた。顔を上げて返事をすると、キトリーが緊張した面持ちで部屋に入って来た。
キトリーはエリクを目が合うと、頬をピンク色に染めて目を逸らし、床を見ながらエリクの前まで歩を進めた。
可愛いな。エリクはそんな様子のキトリーを見て、目尻を下げた。
「キトリー、よく戻った。君の活躍は聞いているよ。パワードスーツのお陰で、魔物も海賊達も討伐出来たと」
「ありがとうございます。それで、パワードスーツの機能なのですが、討伐に魔力を多く使った為、取得出来るのが二日後となります。次に取得する機能は、どれに致しましょう?」
キトリーが固い表情でそう言うと、エリクは小さく頷いた後に小首を傾げた。少し考えているその仕草が可愛らしく映り、キトリーは目を逸らした。
「そうだな……。収納機能を取得して貰おうと思っている。その収納機能は、どの位の物を収納出来るんだ?」
「確認します」
キトリーはいつもの通り、頭装備を装着し説明しように質問をした。兜の中で説明しようの声が響く。
『説明しよう!収納機能は取得段階では、キトリー、君が膝を抱えて座った位の大きさまで収納出来る。その後、魔力を捧げる事で広げる事が可能だ。注意事項としては、生きているものを収納する事は出来ない』
頭装備を解除したキトリーから説明されたエリクは、キトリーを見つめたまま小さく頷いた。
「では、収納機能を取得してくれ。ここからは仕事の話から離れるが、十一班は明日から一週間休みだろう?良かったら、また何処かに出掛けないか?」
エリクが甘く微笑みキトリーを誘った。キトリーは、そのエリクの微笑みを見て、奥歯を噛み締める。ぐっと目を閉じると、ゆっくりと目を開き答えた。
「副団長、申し訳ございません……。私、副団長とお付き合いする事は出来ません。だから、一緒に出掛ける事も、出来ません……」
少し声が震えてしまった。断っているのは自分の方なのに……。
「申し訳ございません!」
泣きそうな顔を見られてはいけないと、キトリーは頭を深々と下げると踵を返し部屋から出て行った。
残されたエリクは、時が止まってしまったかのように動く事が出来なかった。




