27・初めてのコルセット
この国では、年末年始に連休をとるという事は一般的ではない。国民は元旦だけ休日とする者が多い。騎士達もそうで、大晦日である今日もキトリーは働いていた。
元旦に騎士達の全員が休日と言う訳ではないので、元旦に働く騎士も勿論居るが、十一班は元旦は休みだった。
ライアンに年越しのパーティーに呼ばれていたキトリーは、仕事が終わると着替えてから、一人セギュール邸へ向かった。
仕事が休みだったジルはというと、セギュール邸の料理人達と新年のパイを作っていた為、既にセギュール邸で待っている。
貴族の屋敷で行われるパーティーだが、招待されているのは騎士ばかり。なのでキトリーも緊張せずに、持っている中で一番上品に見えるワンピースを選んできた。
セギュール邸の門前まで来ると、初めてここに訪れた時に立っていた警備兵がキトリーに気付いた。
「ようこそおいでくださいました、キトリー様。奥様がお待ちでいらっしゃいますよ」
「お疲れ様です!奥様が……?」
疑問に思いつつもキトリーは警備兵にペコペコと頭を下げながら門を通り、屋敷へ向かった。
キトリーはセギュール夫人と約束をしていた記憶は無い。何故セギュール夫人がキトリーを待っているのか見当が付かなかった。
「キトリー様!奥様がお待ちですよ!こちらです!」
屋敷に入ると、キトリーと歳が近い赤髪の侍女が迎え入れてくれ、早足でキトリーを先導した。
「ね、ねぇオリーヴ。私、奥様と何か約束してたかしら……?ごめんなさい覚えてなくて……」
「あははは!違いますよ~!奥様、今日のパーティーにキトリー様が来るって聞いて、着せたいドレスがあるって楽しみになさっていたんです。因みに、ジル様は既にお着替えがお済みですよ!」
「あ、あはは……」
キトリーから乾いた笑いが漏れ、オリーヴはそれを聞き苦笑いをしながらもキトリーを急き立てた。
オリーヴに連れられ入ったのは、客室の一間。部屋に入ると、セギュール夫人がゆっくりと立ち上がった。
「キトリー。今日こそは、ドレスを着るわよね?」
有無を言わせない、力強ささえ感じさせる笑みを浮かべたセギュール夫人に、気圧されたキトリーはぎこちなく口角を上げ頷いた。
そしてセギュール夫人の傍にあるのは、薄い水色のAラインドレスだった。ウエストから広がるスカートは、光沢のあるシフォンが幾重にも重なり、コンパクトな上半身はベージュの生地に美しい刺繍が施されている。
「綺麗……」
キトリーがドレスに見惚れて他人事のように呟くと、セギュール夫人は口元を扇で隠した。目元を見れば笑っているのが見て取れるが、キトリーはドレスに釘付けで気付かなかった。
セギュール夫人は侍女達に手を上げて指示を出すと、侍女達は動き出す。
「ぐっ……!あんまり締めないでください……!ご馳走が食べられなくな……ぁあ!もう、それくらい、それくらいにしてください……!」
キトリーは侍女に囲まれ、あれよあれよという間にドレスに着替えさせられ化粧も髪型も整えられた。
途中キトリーから苦しそうな声で要望が飛び出し、侍女達はコルセットを緩めに着けてくれた。だがコルセットを着けるのが初めてなキトリーには、緩めでも苦しいようで眼間に変に力が入っている。
「すぐに慣れるわよ。ほら、こちらに来て。鏡をご覧なさい。凄く綺麗よ!」
セギュール夫人の言葉に、腰が曲がらないので肩だけを落としていたキトリーは、顔を上げて姿見の中の自分を見た。
淡い茶色の髪は緩く巻かれ、ハーフアップにされている。編み込まれた部分に飾られた髪飾りが動く度に煌めく。
薄く施された化粧は、嬉しくも恥ずかしくもあった。瞼は輝き、唇は鮮やかに潤っている。キトリーは今まで化粧をした事が無い。化粧品を購入した事すら無かった。
鏡の中で自分と同じ動きをしているのは、いつもの自分とは違う綺麗な女性。
「信じられない……夢……?」
「こら、キトリー。頬を抓るのはおよしなさい。作法を覚えてるかしら?以前教えましたね?」
セギュール夫人はニッコリと微笑みながらキトリーに問い掛けた。その微笑みは、優しさとは違うものが込められているとキトリーは感じつつも、首肯する事が出来ない。
キトリーは返事の代わりに首を竦めてセギュール夫人を上目遣いで見つめた。そんなキトリーを、セギュール夫人は微笑みつつ溜息をついた。
「まぁ……そうだろうとは思いました……。作法はこれから何度もやって覚えたら良いわ。今日は楽しんでいらして」
「あ、ありがとうございます。ご招待頂いた事も、ドレスの事も……」
おずおずと礼を言ったキトリーに、セギュール夫人は扇の下で悪戯っぽく笑った。
「あら、ドレスは私が着せたかったのよ?うふふ。やっぱり似合っているわねぇ。今度はどんなドレスにしようかしら~?」
「こ、今度?」
「さぁキトリー。行ってらっしゃいな。ジルも可愛く仕上がってるわよ」
セギュール夫人は笑顔でキトリーを部屋から追い出した。
今度があるのか?来年のパーティーの事だろうか、と考えながらキトリーは侍女の後ろを、慣れないヒールで歩き追い掛ける。
屋敷の中は凍える外の空気を全く感じさせない暖かさだ。部屋の中だけでなく、廊下にまで空調魔石を使用しているらしい。
キトリーの家では、広いとは言えないリビングダイニングでだけ空調魔石を使用している。対して貴族の屋敷では、全部屋、更には廊下にも使用するらしい。空調魔石だけで一月幾らかかるのだろうか。キトリーは、平民と貴族の違いを痛感した。
大広間に通されたキトリーは、高い天井から幾つものシャンデリアが煌めくのを目を見開き見た。美しく輝くシャンデリアに、光沢のある磨かれた床、大きな窓にはボルドー色のベルベットのカーテンが掛けられている。
豪華で美しい大広間に目を奪われていたキトリーだったが、現れたキトリーもまた、集まっていた騎士達の注目を集めていた。
「お前、キトリーか?」
「あ、ラウル先輩!お疲れ様です!」
眉を顰め、確信が持てないという表情で、ラウルが近付いて来た。ラウルに気が付いたキトリーは破顔して小さく礼をする。
そんなキトリーを見て、ラウルは目を見開いて驚いた。
「マジかよ!すげぇ~!いつものパワードスーツからは考えらんねぇ位見違えたな!」
「……それ、褒めてます?」
「あははは!ドレス似合ってるって事!可愛い可愛い!」
今度はキトリーが眉を顰める番だった。そんなキトリーに、ラウルがフォローするように褒め言葉を口にするが、キトリーは半目でラウルを見つめている。
「キトリー!可愛いじゃない!似合ってるわよ~!」
ライアンが大きな声でキトリーを褒めながらキトリーに近付くと、他の騎士達もキトリーの周りに集まり出した。騎士達も皆、いつもの鎧とは違う服装で来ていた。流石に貴族が着るような服装でいるのは、ライアンと、セギュール夫人に着替えさせられたジルだけだったが。
「お姉ちゃん!すごい綺麗だよ!」
「あ!ありがとう~。ジルも似合ってるね!セギュール様とお揃いなの?可愛い~!」
ジルはライアンと色違いのコートを身に付けている。二人のコートは金糸の刺繍が美しく、ジルは青い生地のコートで可愛らしいが凛々しさを感じさせた。
ライアンはワインレッドの生地で男らしさと艶やかな色気を放っている。そんなライアンは、嬉しそうに頬の横で手を組み科を作って見せた。
「でしょぉ~?兄弟みたいじゃない?親子かしら?」
「ライちゃん様はお若く見えますから、兄弟に見えるんじゃないですか?」
ニコニコと笑顔でライアンを見上げて言うジルに、ライアンもこれまたニコニコと目尻を下げた笑顔を向ける。
「あらぁ~ジルちゃんったら!嬉しい事言ってくれちゃって~!」
「本当ですよ!ライちゃん様とても三十代には、モゴ……!」
ジルの言葉はライアンの大きな手によって遮られた。ライアンは眉を顰めながらも笑顔でジルに言含める。
「ジルちゃん駄目よぉ。年齢を秘密にしておきたい人も居るんだから」
「まい。ぼめんまはい……」
ジルはライアンに口を塞がれたまま謝ると、ライアンは手を離しジルの頭を優しく撫でた。
「いきなりごめんなさいね。吃驚したわよね~」
「いえ。俺の考えが足りなかったせいです。ごめんなさい」
「ジルちゃんは悪くないわよ~。だってジルちゃん、アタシが年齢の事を気にしてるなんて知らなかったでしょ?気にする女性は多いけどね。アタシはこんなんで、あやふやだから」
少ししょんぼりしてしまったジルを気遣うように、ライアンはおどけて見せた。そしてライアンはジルに小声で耳打ちをする。
「後でダンスをしましょう。どの位踊れるようになっているのか、見せて頂戴ね」
「え?ライちゃん様、俺と踊ってくれるんですか?」
「ええ!アタシ、女性パートも踊れるのよ~!キトリーとも踊りたいけど……ま、様子見て踊れそうなら踊りましょ!じゃ、パーティーを楽しんでね~」
ライアンはキトリーとジルにウインクを送ると、他の来客の方へと歩いて行った。
残ったキトリーとジルに、来ていた十一班の班員達が笑顔を向けた。ラウルはニヤリと笑うとご馳走の並ぶテーブルを指差す。
「キトリーはまだ食べてないだろ?大好きな肉が沢山あったぞ」
「そう!お腹空いてるんですよ~!でも、沢山は無理かも知れないです……」
キトリーの言葉を聞き、ジルと班員達は不思議そうな表情を浮かべた。キトリーはそんな皆の顔を見て、眉尻を下げて力無く微笑んだ。
「コルセット、緩めに着けて貰ったんですけど、やっぱり苦しいんですよ~……」
ジルと班員達は一瞬の間を置いてから、面白そうな声を上げて笑った。




