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25・キトリーの混乱

 





 キトリーとエリクは、クルテュールの町を手を繋いで歩いている。キトリーの買った物を、エリクが持ってくれているのがキトリーには不思議でならない。

 キトリーは、エリクに持って貰うなんてとんでもない、と断ったのだが、エリクに輝く笑顔で押し切られてしまった。


 家全体と、扉や窓などの周りを木で骨組みする、木骨組みの家々が並ぶ街並み。パステルカラーで塗られた外壁と、濃い茶色の木骨組みの色合いは可愛らしく、キトリーは感嘆の声を漏らしている。

 細い路地を抜けると、運河のほとりに出た。細い運河は町中を流れている。その運河を巡る事が出来るゴンドラ乗り場に到着したらしい。


「お二人さん!乗って行かない?」


 体格の良いゴンドラの漕ぎ手が、真夏の太陽のような眩しい笑顔を向けた。エリクはその漕ぎ手に近付いて行く。

 ゴンドラに乗るのかしら?まだ副団長は何も買っていないのだけど、ゴンドラでその店まで行くのかな?と、疑問に思いつつエリクに手を引かれた。


「お嬢ちゃん、ほら」


 漕ぎ手がキトリーの手を取り、ゴンドラに乗せてくれる。キトリーがゴンドラに乗り込むとゴンドラはぐらんと揺れ、キトリーはドキリとした。


「奥の席にどうぞ。ゆっくりね」


 漕ぎ手に促され、細長いゴンドラに備え付けられた二人掛けの座席に座った。黒色のクッションが置かれた座席は、座り心地はそれ程良くない。キトリーの隣にエリクが座り、また手を繋がれた。

 漕ぎ手がキトリー達の後ろに立ち、ゴンドラはゆっくりと進み始めた。クルテュールの運河は、明るくて細い。運河の両脇に並ぶ建物は可愛らしく、更には色とりどりの花が植えられていた。


「エリク様の言っていた通り、可愛らしい街並みですね。花が沢山咲いてます」


 キトリーが建物を見上げながら言うと、漕ぎ手が明るい声で答えた。


「今は冬で花も少ないけど、春からはもっと沢山の花を咲かせるよ。それにしても、君達仲良いねぇ。ずっと手を繋いで!」


 冷やかされてしまったキトリーは、慌てて漕ぎ手の方を振り向いた。漕ぎ手はニコニコと笑顔でキトリー達を見ている。


「違うんですよ!手を繋いでると、温かいんです」


「はははは!それはそれは。当てられちゃったな~」


 違う意味で伝わってしまい、キトリーは赤くなって前に向き直った。その様子を、エリクが温かい眼差しで見つめている。


 確かにずっと手を繋いでいるが、恋人同士の距離感とは違う。体が触れ合わないように座っている。だが、きっとそれも時間の問題なのだろう、と漕ぎ手は微笑ましく思った。


「あははっ。可愛いですよ!ね、エリク様」


 キトリーの声に、エリクがキトリーの指差す先を見ると、ゴンドラの横を一羽の白鳥が並んで泳いでいる。


「はは!本当だ。可愛いな」


 エリクは体を傾けて白鳥を見た。白鳥は、船体を嘴でつつきながらゴンドラを追いかけている。その様子を見たキトリーが、笑いながらエリクを見上げると、至近距離に顔があり、目が合った。


「す、すまない」


 エリクは真っ赤になり近付いていた体を離す。キトリーも、耳まで真っ赤になりながら顔を背けた。だが手は繋いだままだ。

 帽子を被っていて良かった、耳まで赤くなってしまっているなんて恥ずかしすぎる。と、キトリーは胸を撫で下ろすが、頬が染まっている事はエリクに気付かれてしまっていた。


 初々しいな~。俺も妻とあんな頃があったな~。と胸中で思いながら、顔中を弛めた漕ぎ手は静かにゴンドラを漕いだ。


 可愛い街並みを抜け、橋の下を通ると緑豊かな森に出た。静かで陽の光がキラキラしている。気持ちの良い自然に、キトリーは心が洗われるような気がした。

 ゴンドラは森の中をゆっくりと通り過ぎ、また町中の運河を通って出発地点へ戻ってきた。



「ありがとうございました」


 ゴンドラから降りる時も、漕ぎ手の大きく固い手がキトリーの手を取り支えてくれた。キトリーが礼を言うと、漕ぎ手はまた太陽のような笑顔を見せる。


「ありがとうございました。今度は、花が沢山咲いてる春頃に、またおいで」


「はい!」


 キトリーは笑顔で頷き、エリクと広場へ向かった。ゆっくりとした歩調で狭い路地を歩いている。


「春になったら、またゴンドラに乗りに来ないか?」


「ふふっ。良いですねぇ。でも春にはあの白鳥も北に飛んで行ってしまうんで、きっと会えませんね」


 キトリーは先程の可愛らしい白鳥を思い出して言った。そして、その後のエリクの顔が目の前にあった事を思い出した。鼻先が付きそうな程に近かった。それを思い出した事で、耳まで熱くなり、キトリーは話題を変える事にした。


「そういえば、エリク様は何も買っていませんよね?何か欲しい物があってクルテュールに来たのではないのですか?」


「いや、特に欲しい物があった訳ではない。君と、親しくなりたいと思って……」


 キトリーはエリクの言葉に吃驚して、エリクの顔を見上げた。エリクはキトリーとは反対方向を見ており、キトリーから見えたのは、赤く染まった耳と頬だけだった。

 流石のキトリーも、この状況でその意味を曲解する事は無かった。だが、頭の中は大混乱に陥った。


 何で私と?副団長は、副団長で、貴族なのに?私、平民なのに?いや、違う意味かも知れない。だけど副団長顔真っ赤……。いやもう何で?あぁぁ……よし。


 キトリーはギュッと目を閉じて、これ以上考えるのを止めた。真っ赤になったまま手を繋いでいると、美味しい香りに鼻をくすぐられ顔を上げる。


「エリク様!ソーセージの匂いがしますよ!」


 キトリーが頬を染めたまま、キラキラとした目でエリクを見上げると、エリクは苦笑して答えた。


「良い香りだな。他に食べたい物は無いか?」


 キトリーとエリクは、ソーセージのバゲットサンドとワッフル、マシュマロをチョコレートでコーティングしたお菓子を買った。

 キトリーは、バゲットサンドを店員に半分に切って貰い、更にはワッフルを食べる際のフォークも二本用意して貰った。一つのフォークで交互に食べる事を、恥ずかしく感じてしまった為だ。


 キトリーとエリクは椅子に向かい合って座り、バゲットサンドにかぶりつくと、薪で焼いたソーセージの良い香りと肉汁が口の中に広がった。ジューシーなソーセージと甘酸っぱいケチャップは相性抜群でとても美味しい。エリクはマスタードもかけていた。

 ワッフルには生クリームがこんもりと絞られていて、苺とチョコレートソースがトッピングされている。マシュマロチョコレートは、とにかく甘かった。


 食べ終えた二人は、馬車に乗り込み王都へ向かった。

 心地良い揺れと、歩き回った疲れの為に、キトリーはウトウトと微睡んでいる。しかし、エリクの前で寝てしまうなんて失態は避けねばならぬと、目に力を入れて耐えていた。


「キトリー、眠いのだろう?着いたら起こしてやるから、寝ても良いぞ」


「いえ……!大丈夫です……!」



 キトリーは耐えていた。頑張った。だが、気が付いた時には、既にレストランの前に馬車が停車していた。しかも、目の前に座っていたはずのエリクが、キトリーの隣に居る。

 あろう事か、キトリーはエリクに寄りかかって眠ってしまっていた。現状を把握したキトリーは、慌ててエリクから体を離す。


「副団長!申し訳ございませんでした!」


 いくらエリクが良いと言ったとはいえ、上官の肩にもたれかかって眠るなどあってはならない。キトリーはエリクの向かい側に移動して頭を下げた。


「キトリー」


 エリクの固い声にキトリーは緊張し、叱責を受ける心の準備をする。キトリーの肩にエリクの手が置かれ、キトリーは頭を上げた。エリクの困ったような笑顔がそこにはあった。


「今日は、名で呼んでくれるのでは無かったか?」


「え?」


 エリクが寂しそうな声で言うものだから、キトリーは間抜けな声が出てしまった。


「ははは。キトリー、謝る事はないよ。起きてくれて助かった。気持ち良さそうに寝ていたからね。起こすのは忍びないし、可愛い寝顔をもっと見ていたい気持ちもあったんだが……。ずっとここに馬車を停めていて店に入らないのは迷惑だと、だがもう少しこの寝顔を見ていたいと、葛藤していて、起こせなかったんだ」


 キトリーはエリクの顔を見る事が出来ずに、揃えた自身の膝を見ていた。エリクの言葉は、キトリーに恥ずかしい気持ちと共に、嬉しい気持ちをもたらすものだった。


 レストランの食事は美味しかった。だが、キトリーは家へ向かう馬車の中で、その味を思い出せなかった。食事中の、こちらを見つめるエリクの優しく甘い眼差しばかりを思い出してしまう。


「また、一緒に出掛けたい。デートに誘っても良いかな?」


 向かいに座ったエリクがキトリーの手を取り問いかける。深緑色の瞳が、キトリーを覗き込んでいる。


「はい……私で、よろしければ……」


 キトリーは頬の熱を感じながら小さく頷いた。キトリーの返事に嬉しそうに顔を微笑ませたエリクは、触れていたキトリーの手を持ち上げて、その甲に口付けを落とした。


「ありがとう。何処か行きたい所があれば、教えて貰えると嬉しい」


 エリクの美しい微笑みと手の甲へのキスに、キトリーは声が出せずに真っ赤になってコクコクと頷く。キトリーを部屋の前まで送ると、エリクは少し寂しそうに笑った。


「今日は楽しかった。ありがとう。では、また……」


「はい、私も楽しかったです。エリク様、ありがとうございました」


 エリクとキトリーは、繋いでいた手を離した。名残惜しい気持ちが、キトリーの心の底にある。もう少し一緒に居たかったという思いが、ひんやりとした空気と一緒に感じられた。


 去っていくエリクの背中を見送り部屋に戻ると、ジルはニノン達と夕食を食べているという書き置きを見付けた。ジルを迎えに行き、ニノンの母親にお土産を渡すと、ニノンがニヤニヤと笑いながらこちらを見ていた。


「キトリー、聞かせてよ。今日の事~」


「ごめん、ニノン……。私もよく分かんないの。ドキドキして、恥ずかしくて、大変だったぁ……」


 キトリーは赤くなっているのを隠すように、両手で頬に触れている。眉尻は下がり元気は無く、本当に困惑しているようだ。

 こんな状態のキトリーを見るのが初めてだったジルとニノンは、目を丸くして視線を交わした。

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