24・副団長とお出掛け
ニノンが寝ぼけ眼で朝食を摂っていると、店の前を掃除していた母親がバタバタと階段を上がって来た。三階にあるこの部屋まで一気に駆け登って来るとは、何とも元気な事である。おしゃべりなこの母親は、今日も朝から騒がしい。
「ニノン!ニノン!店の前に馬車が止まったと思ったら!すごい男前が出てきてね!うちの二階に上がって行ったんだよ!誰かを迎えに来たんじゃない?キトリーかしら?他に若い娘なんて居ないもんねぇ!」
ニノンはパチリと目を覚まし、通りが見える側の窓を開けた。大きく開かれた窓から、冷たい朝の空気が入って来る。ニノンはそんな事はお構い無しに外を見ると、確かに家の前に馬車が停まっている。
上から見下ろしているので、細かい所までは見えないが、かなり上等な馬車なのは理解出来た。駅馬車とは全く違う代物だ。馬の毛並みもツヤツヤと輝いて見える。
「前にも馬車がここに停まったんだよ。あの時は暗くてよく見えなかったんだけどね。同じ馬車だと思うけどねぇ」
母親の言葉を横で聞きながら、ニノンは馬車の主が出て来るのを待った。
少しすると、二人の人影が建物から出て来るのが見えた。背の高い金髪の男性と、帽子と同じ色のマフラーを身につけた女性。あの帽子とマフラーは、キトリーが下の店で買った物と同じ物だ。
「やっぱり、キトリーかしら……?」
「お母さんもそう思う!ああ、下で見てれば良かったわ~!ニノンに知らせなきゃって思って来ちゃったけど」
ニノンは朝食を済ませ、手早く支度をすると部屋を出た。階下のキトリーとジルの部屋の扉をノックする。
「はーい?ニノン?朝からどうしたの?お姉ちゃんならもう出掛けたよ?」
扉を開けたジルは、ニノンを見るとこう言った。しかしニノンが用があったのは、ジルの方だった。
「おはよう、ジル。今日仕事よね?途中まで一緒に行こうと思ったの。どうかしら?」
「あ、うん!直ぐに準備するから、待ってて!」
パタパタと準備をし終えたジルは、ニノンと一緒に部屋を出た。
「朝、キトリーが馬車に乗ったのを見掛けたの」
「ああ、今日はエリク様と何処かに出掛けるんだって」
ニノンはジルの言葉に目を輝かせた。その顔はとても嬉しそうだ。
「やっぱり!キトリーに好い人が居るなんて知らなかったわよ!しかもあんな上等な馬車に乗れる人!」
「いや、ニノン、エリク様はお姉ちゃんの好い人じゃないんだよ」
「ええ~?違うのぉ?」
ニノンの顔から輝きが失われ、不満の色が広まった。そんな顔をされても、ジルは困ってしまう。
「うーん……お姉ちゃんから直接聞いた方が良いよ」
「うん。そうするわ。ジル、今日、夕食うちで食べない?」
悪戯っぽい表情を浮かべたニノンがジルを誘った。ニノンの魂胆が丸分かりのジルは、吹き出して笑う。
「あははっ。俺は嬉しいし良いけど、良いの?」
「ええ。お母さんに言っとく。迎えに来たキトリーから話を聞くって寸法よ」
ニノンが得意気に顔を上げて言うと、ジルはまた面白そうに声を上げて笑った。
「今日はどちらへ行くんですか?」
キトリーは、目の前に座ったエリクに質問をした。以前も座ったこの馬車の座席は、やはり座り心地が良い。
エリクは柔らかく微笑みキトリーを見た。頬が少し赤いのは、暑いからなのだろうか。馬車に乗り込む際に手を支えてくれたが、エリクの手は確かに温かかった。
「クルテュールに行く。今、クルテュールの広場では新年祭の準備の為の屋台が出ているんだ。建物も可愛らしいものだし、町を流れる運河はゴンドラで巡る事も出来るそうだよ」
「では、今日は新年祭の準備をしにクルテュールへ向かうんですね?」
「ああ。色々な屋台が出ているから、食べ歩きも出来るし……。キトリーはクルテュールに行った事は?」
エリクはジルから得た、キトリーが食べ歩きが好きだという情報を、今日のデートで活かす事にしたようだ。
「私は行った事ありません。副団長はありますか?」
「俺は何度か行ったが、観光目的で行くのは初めてだな」
キトリーは、エリクのこの言葉から、今日の目的は新年祭の準備と観光なのだと理解した。だが同行者に自分が選ばれた理由が予想した通りなのか、分からないままだった。
話題も尽きてしまい、キトリーは馬車の外を眺める事にした。無言の時間を気まずく感じるかと思ったが、案外気にならないものだ。ウトウトとし始めた所で、目的地に着いたらしく馬車が停車した。
危なかった。上官であるエリクの前で寝てしまう所だったと、エリクの方を盗み見ると、エリクは優しい瞳でキトリーを見ていた。
キトリーは何だか恥ずかしさを覚え、慌てて目を逸らした。
馬車を降りる際も、エリクはキトリーの手を取り支えてくれた。そのように扱われる事に慣れていないキトリーは、馬車を降りると直ぐにエリクの手を離す。途端に冬の寒さを感じ首を竦めた。
そっとエリクに手を握られる。すると直ぐに、キトリーは温かい空気に包まれた。
「え?」
キトリーがエリクの顔を見上げると、美しい顔が優しく微笑んでいた。
「温かくなるだろう?寒さを感じなくなる魔法で、手を繋いでいる相手も寒さを感じなくなるんだ。だから今日は、手を繋いで歩こう」
「あ、ありがとうございます……。副団長、色んな魔法を使えるんですね……」
有難いやら恥ずかしいやら、キトリーは頬を染めながら礼を言った。そんなキトリーを覗き込むように見つめながら、エリクは言った。
「今日は私的に出掛けているのだから、副団長と呼ぶのは止めないか?エリク、と呼んで欲しいのだが」
「いいっ!?そんなの無理です。恐れ多いですよ!副団長をお名前でお呼びするなんて!」
目を剥いて慌てるキトリーに、エリクは眉尻を下げて苦笑した。
「嫌でなければ、名前で呼んで欲しいんだが、無理だろうか……」
「嫌では、ない、です、けど……」
慣れない。全くもって、慣れない状況である。異性、しかもこんなに美しい男性と手を繋いでいる事も。鍛練時は魔王のようで、常に堂々としているエリクが、おずおずとキトリーの反応を伺っている事も。
「エリク様……?」
キトリーが小さくエリクの名を呼ぶと、エリクは嬉しそうな笑みを咲かせた。キトリーは慌ててエリクから顔を背けて、その笑顔を見ないようにした。
危なかった。直撃は危険だ。手を繋いでいるだけでも心臓がドキドキと煩いのに、こんな間近でエリクの笑顔を見てしまったら、心臓が危ない。破裂してしまう。
「よし。じゃあ、行こう」
キトリーはエリクに手を引かれ歩き始めた。エリクが馬車の中で話していた通り、広場には屋台が並んでいる。客足も多く賑わっていた。
故郷のお祭りを思い出したキトリーは、目を輝かせた。孤児だったあの時は、見て回るだけだったが、今は屋台で買い物が出来る。新年祭の物も買いたいが、食べ物の屋台にも目が行った。
「何か食べようか?スープの屋台があるぞ」
「あ!良いですね~!私、オニオンスープにします!」
エリクは屋台でオニオンスープとかぼちゃスープを頼んだ。キトリーが料金を支払おうとするが、エリクが先に出してしまった。
トレーを受け取り屋台の前に並んだテーブルに向かうエリクを、キトリーは慌てて追いかけた。
「あの、ふくだ……エリク様。私、自分で出します」
「いや。俺が誘ったんだから。ほら、キトリー。温かい内に頂こう。美味そうだぞ」
「はい……。エリク様、ありがとうございます」
キトリーは椅子に座り礼を言うと、オニオンスープを一口飲んだ。薄切りのバゲットを浮かべチーズをたっぷり入れたスープは、玉ねぎの甘みの中に胡椒の辛みがアクセントになっている。
「んー、美味しい……。温まりますね」
キトリーがふにゃりと笑うと、エリクも頷き微笑む。エリクの飲んでいるかぼちゃスープも、たっぷりのチーズが乗っていて美味しそうだ。
手を離してから感じていた寒さも、スープを飲んだ今は少し和らいでいる。
スープを飲み終え、エリクはまたキトリーの手を取り歩き出した。
キトリーは、新年を迎える際に窓辺に飾る、フクロウの瞳を扱う店に立ち寄った。フクロウの瞳は厚い円形の色ガラスに、中心から黒色とオレンジ色の着色で瞳が描かれている。ガラスの色は様々で、キトリーは濃い緑色のガラスのフクロウの瞳を買った。
更に、新年のパイに入れる、小さい陶器製のチャームを選んでいると、エリクがキトリーに問いかけた。
「年越しは、ジルと二人で過ごすのか?」
色々な種類のチャームを前に、どれを選ぼうか迷っていたキトリーは、エリクを見上げて答える。
「いえ、セギュール様にお誘い頂いたので、セギュール様のお屋敷で過ごす予定です。新年のパイを作るんだって、ジルが張り切ってるんですよ」
キトリーの笑顔が楽しみだと物語っていて、エリクは胸に小さな痛みを感じた。
キトリーがチャームを選び終えると、エリクはラクレットチーズとハムのバゲットサンド、キトリーがタルティフレットを手に座った。
タルティフレットは茹でたじゃがいもと細切りベーコン、甘く炒めた玉ねぎに、とろけたチーズを絡めてある料理だ。
ぽってりと装われたタルティフレットをスプーンで掬って口に入れる。ホクホクのじゃがいも、玉ねぎの甘みと、ベーコンとチーズの塩味が絶妙で、キトリーはその美味しさに目尻を下げた。
タルティフレットがまだ半分も残っているのに、エリクはバゲットサンドをもう食べ終えたらしい。美味しそうに食べているキトリーを、微笑ましげに見つめていた。
それに気付いたキトリーは、タルティフレットを乗せたスプーンをエリクに向ける。
「エリク様、もう食べ終わったんですか?タルティフレットも美味しいですよ!」
エリクはまたしても、ドギマギしながら差し出されたスプーンを口に入れた。
「うん。美味いな」
「ですよね!量が多いので、一緒に食べませんか?」
キトリーもタルティフレットを一口食べると、無邪気な笑顔をエリクへと向ける。その申し出は、エリクにとっては嬉しいものだったが、同時に恥ずかしさも覚えた。そして、以前キトリーがベルナールと出掛けた際も、このように一つのスプーンで二人が何かを食べたのか、と考えた。
締め付けられるような小さな胸の痛みを感じながらも、それを表に出さずに、エリクはキトリーに頷いて見せる。それを見たキトリーは、明るい笑顔でエリクにスプーンを差し出した。
そしてエリクとキトリーは、残りのタルティフレットを、一つしか無いスプーンで交互に食べた。




