19・副団長の自覚
エリクは軽い足取りで鍛錬場に向かった。心も軽く弾んでいる。
鍛錬場に繋がる扉を開くと、空を見上げて笑っている騎士達が目に入ってきた。エリクも騎士達の視線の先に目を向ける。その光景にエリクは目を見張った。
「高!足が竦む!離すなよ!!落とすなよ!!!」
「まだ三階位の高さだよ?あと、言われなくても落とさないから~!」
見上げた上空に、楽しそうに言い合いをしているキトリーとベルナールが居た。ベルナールは肩を組むようにキトリーの肩に腕を回し、キトリーはベルナールの腰を片手で支え浮いている。
「キトリー!ベルナール!降りて来なさい!」
唐突な怒声に驚いたキトリーとベルナールは声の主を見て、悪戯が見つかった子供のようにギョッと目を見開いた。先程とは打って変わって、しおしおと小さくなった二人は地面に降り立つと、緊張しながらも背筋を伸ばしエリクの前に立った。
「悪ふざけであの様な事をして、落ちて怪我をしたらどうする。以後気を付けるように」
「はい!申し訳ございませんでした!」
二人はエリクに深々と頭を下げ謝罪した。エリクは浮かない顔で再度「気をつけるように」と言うと、こちらを見ていたラリマーの方へと向かった。
「ベルナール、ごめん」
「いやいや。俺が飛んでみたいって言ったから、俺こそごめん」
エリクが離れると、キトリーとベルナールは小声で謝り合う。
「でも面白かった。ちょっと怖かったけどな。ありがとう」
「さっきは浮いただけだけどね。飛ぶのは気持ち良いよ~。ラウル先輩は速すぎるのは嫌だったって言ってたけど」
「音が凄くて、すげぇ怖かったからな!隼に変身して急降下した時より速かったし!」
すかさずラウルがキトリーに突っ込むと、ベルナールはやっぱり、と楽しそうに笑った。
キトリーは不服そうに顔を顰め、今日エリクから注意されるのは二回目だったなと、エリクの方をちらりと見る。一瞬目が合い、すぐに逸らされた。
今日はまだ朝なのに二回も注意されてしまった。もう注意されないように気を付けようと気を引き締め、キトリーは鍛錬に励もうと心に決めた。
少し早いが、キトリーはラリマーとエリクの元へ向かった。面白そうな笑みを浮かべたラリマーが、キトリーに片手を挙げる。
「おはようございます。本日も、よろしくお願いします」
「おう。透明化出来るようになったんだってな。見せてくれるか?」
「はい!」
ラリマーに促され、キトリーは透明化機能を使用した。途端にキトリーの姿は見えなくなり、エリクとラリマーは感心したように息を吐く。
「すごいな、これは。本当に何も見えん。んじゃキトリー、ここから十歩移動だ。音と気配を消してな」
ラリマーの指示通り、キトリーは十歩移動した。微かに金属音を立ててしまい、更にはそれに動揺した為気配を上手く消す事も出来なかった。
キトリーが十歩歩き立ち止まると、ラリマーはすぐに無表情でキトリーに近付き見えない肩を叩いた。
「よし。今日も元気に訓練するぞ」
「はいぃ……」
キトリーは項垂れた姿を現し、力無く答えた。
窓の外は既に暗く、黒い夜空に沢山の星がゆらゆらと瞬いている。エリクが副団長室で書類に目を通していると、扉を叩く音が聞こえた。
「副団長、ラリマーです。本日の報告に参りました」
「入ってくれ」
部屋に入ったラリマーは、早速キトリーの訓練の報告をする。まだ足音を消せない事、気配を消す事も出来ない事、三日前と差程変わらない報告だった。
「報告は以上です。エリク坊ちゃん、キトリーがお気に入りで?」
下げた頭から顔だけを上げ、ラリマーはニヤリと笑った。エリクは目を丸くして言葉を失う。
……お気に入り?確かに彼女のへにゃちょこぶりに黙っていられずに指導を買って出たが、気に入ったからという理由ではない。
だがラリマーの言葉にエリクは頬が熱くなった。羞恥心と動揺で、心が騒めく。
「モテ男の坊ちゃんに言うのも何ですが、あの娘の場合、もうちょっと分かり易く口説いた方が良いと思いますよ。……さぁて、爺は帰って酒でも飲みます。お先に失礼致します」
「ああ。ご苦労……」
困惑したままエリクは閉まる扉を眺めていた。
口説く?キトリーを?何故俺が彼女を口説かねばならない。分かり易くとはどうやって?いやまず、俺がキトリーを口説く目的は?理由は?
ぐるぐると混乱したままエリクは考えを巡らせる。
キトリーの顔が脳裏に浮かんだ。
早朝、彼女に会えた事が嬉しかった事。
ベルナールと出掛けた理由を秘密にされ、気持ちが落ち込んだ事。
ベルナールと仲良さげに浮いていたのを見て、あんなにくっついて、と怒りを覚えた事。
羞恥心が込み上げ、顔の熱が更に上がった気がした。耳までもが熱い。
嫉妬していたのだ。キトリーと仲の良いベルナールに。
自分は、キトリーに異性としての好意を感じていたのだ。
エリクは自分の想いを自覚して、誰も居ない部屋で真っ赤な顔を手で隠した。
エリクは扉を叩く音で現実に引き戻され、続いて聞こえてきた声に心臓がドキリと跳ねた。
「副団長、キトリーです。パワードスーツの機能の事で参りました」
「……ああ。入ってくれ」
心臓の音がうるさい気がするが、気にしないように努め平静を装い、エリクはキトリーを招いた。部屋に入ったキトリーはエリクの前まで進む。
「次に取得する機能の相談をさせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」
「ああ。朝伝えておけば良かったな。次は……」
エリクはキトリーの書いた紙を取り出し、次に取得すると良いであろう機能を幾つか提案した。
無事に機能を選び終えると、キトリーは深々と礼をした。
「ありがとうございました。取得しましたら、また報告致します。では、失礼致します」
部屋を出ようと背中を向けたキトリーに、エリクは立ち上がり呼び止めた。
「キトリー。良かったら今度、食事に行かないか?」
振り向いたキトリーは不思議そうにエリクを見返すと、嬉しそうな笑顔を見せた。しかしその後すぐに、眉を寄せて困ったようにエリクを見上げた。
「貴族様が利用するお店は困りますよ……?私もジルも、テーブルマナーを習っておりませんし、そのような店に入れる服も持っていませんので……」
エリクは一瞬目を丸くしたが、すぐに微笑む。
「ああ、分かった。だが、何故そんな心配を?」
「この間、セギュール様にお誘い頂いたお店がそうで……ドレスアップもして頂けると仰られたんですが、とても無理ですと竜熊亭に変えて貰ったんです」
「ライアン卿と?」
まさかキトリーがライアンと食事に行く程仲が良かったとは。ライアンは男色ではなかったのか?エリクは動揺し眉を歪めた。
「そうなんです。ジルも私もそれは必死に抵抗しまして。ふふっ。セギュール様の母上様まで残念がっていたんですよ」
キトリーは困ったように思い出し笑いをした。あの時ライアンの母は、キトリーとジルを着飾りたかったと、ため息混じりに食事に送り出したのだった。
ライアンと二人きりの食事でなかった事に安堵したエリクは、柔らかく微笑みキトリーを見た。
「キトリーは、どんな店で食べるのが好きだ?」
「外食自体そんなにしないので……竜熊亭とマミドリ亭と、あとはカフェでお茶をした位です」
「そうか。では、考えておこう。休み明けの鍛錬日……四日後で良いか?」
「はい。では失礼致します」
キトリーはにっこりと笑い頷き、部屋を出て行った。キトリーの後ろ姿を見送り、浮ついた心につい口元が緩む。
楽しみな気持ちに心を弾ませ、エリクは残りの仕事を片付けた。
「ジル。四日後の夕食なんだけど、副団長に食事に誘われたの。予定、空けておいてね」
家に帰ったキトリーが、ジルにエリクとの食事の予定を伝えると、ジルは少し困ったような顔をした。
「お姉ちゃん、それ、本当に俺も呼ばれてる?」
「え?勿論よ。副団長とは私よりもジルの方が親しいでしょ?むしろ私が居て良いのかって話だけど……副団長は鍛錬中でなければ優しい方だから、私も呼んでくれたのよ」
服を着てくると、キトリーの部屋に向かった姉の後ろ姿を見送りながら、ジルはため息をついた。
伝わってない。お姉ちゃんに全く伝わってないよお兄ちゃん……。
エリクの気持ちを何となく察しているジルは、きっとエリクは二人での食事のつもりで誘ったのだろうと推測した。だが以前のライアンの食事の誘いがジルも一緒に、との事だった事で、キトリーは勘違いしたのだろう。
ああ、これじゃあデートのお邪魔虫だ。
エリクがそんな事を思わない事は分かっているのだが、ジルがそう考えてしまうのはエリクの気持ちを知っているから。自分が居てはエリクもキトリーを口説けないだろうと予想出来るから。
キトリーとジルと食事に出掛ける事を楽しみにしているエリク。
エリクの選ぶ店の料理は、きっと美味しいに違いないと期待を膨らませるキトリー。
二人の事は好きだが、今回は少し遠慮したい気持ちでいるジル。
三人それぞれ違う気持ちで、約束の日を思い描いていた。




