17・ヴィオ二村
「ただいま~」
夕方、疲れた様子の、だが嬉しそうな笑顔でジルが帰って来た。早く話を聞きたい気持ちではあったが、キトリーは穏やかにジルを迎えた。
「ジルおかえり。お腹はすいてる?夕食にしても良いかな?」
「うん。手伝うよ。手、洗ってくる」
パタパタと手を洗いに行ったジルに、キトリーは聞こえるように少し大きめの声で言う。
「え~?疲れてるでしょ~?座って待ってて良いのよ~?」
「ん、でもお姉ちゃんだって、いつも仕事終わってから一緒に料理してるじゃん。だから俺も、ちゃんとやる」
俺。唐突にジルが自分の事を俺と言い始めた。キトリーはふふっと笑みを零し、二人で夕食を作り始めた。
「初仕事はどうだった?」
「朝から野菜の下ごしらえを沢山したんだ。あんなに沢山皮剥きしたの初めてだよ!あと、今日はパスタだったから、騎士様達がお昼に来てからずっと麺を茹でてた。それに、食器洗いもすごい量だったよ~」
ジルはそう言いながら玉ねぎの皮を剥き、薄く切り始めた。仕事中と変わらず野菜を切っている。
「あはは!お疲れ様~。本部だから騎士の人数も多いもんね。食堂の人達は、いつも美味しい料理を作ってくれて、本当に有難いんだよ~」
「うん。お昼ご飯すっごい美味しかった!あとね、リックさんがお姉ちゃんがアグドオスを一人で担いで来た話をしてくれたよ」
キトリーはリックさんが誰なのか分からなかったが、きっとあの時厨房に居た料理人の一人なのだろう。あれは二ヶ月程前の事ではなかったか。やはり自分のパワードスーツは印象に残りやすいのだと、改めて実感した。
夕食中も、ジルは仕事中の話をキトリーに聞かせてくれた。ジルは明日からも頑張ると意欲的な姿勢を見せ、キトリーを安心させた。
翌朝、無事に起きる事が出来たキトリーは、温かい服装に編み上げのブーツを履き家を出た。ニット帽を被り耳まで温かい。大きめの肩掛けの鞄を身に付けているが、中身はあまり入っていない。万が一パワードスーツに変身した時に衣類を入れる為の物だからだ。
キトリーとジルが家を出るとすぐに、走っていたエリクに会った。
「副団長、おはようございます」
「ああ、おはよう、キトリー、ジル。キトリーとこの時間に会うのは二回目か。珍しいな」
キトリーが軽く頭を下げ挨拶をすると、エリクはいつもはいないキトリーに笑顔を向けた。
「今日は、ベルナールとヴィオ二村に行くので、早起きしたんです」
「ベルナールと、ヴィオ二村に」
キトリーはエリクの笑顔が固まった事に気付く事無く頷き、笑顔で続けた。
「はい。美味しいものがあるそうで!食べに行って来ます」
「そうか。君は本当に食べるのが好きなんだな」
ぎこちなく微笑みながらエリクが言うと、キトリーは「そんな事は……」とごにょごにょと否定した。
向かう方向が違う為、キトリーと別れたエリクとジルは並んで朝市へ向かう。ジルはいつもと違う、少しうわの空のエリクを気にしながら買い物をした。
エリクは、別れ際のジルの気遣うような表情の理由が分からなかったが、安心させるようにジルに微笑みかけ別れを告げた。
「はぁ……お姉ちゃん……」
エリクを見送ったジルは、深い溜息を吐き出し部屋に入って行った。
キトリーは、町の門前で既に待っているベルナールの元へ小走りに近付いた。
「おはよう、ベルナール。お待たせ!」
「おう、キトリー。おはよ。いよいよアレを食べられるのかと思うと楽しみで、早起きしちまった」
ニカッと歯を見せて笑ったベルナールは、長剣を下げ盾を背負った冒険者風の装備をしている。義足もいつもとは違う形のもので、両足共ブーツを履いていた。
「そんなに美味しいの?」
「いや、俺は食った事無いけど、情報誌で読んでからずっと食べたかったんだ」
ベルナールとキトリーは駅馬車の乗降所へ話をしながら向かった。駅馬車でヴィオ二村近くの町まで向かい、そこからヴィオ二村までは歩いた。
駅馬車が通る道は石畳が敷かれ整えられているが、村までの道は整備されていない土の道だった。土と砂利を踏み歩いていると、白茶色の石壁に赤茶色の屋根の家々が見えてきた。
ヴィオ二村に入りメイン通りを少し歩くと、ベルナールお目当ての店に辿り着いた。他の建物と同じ白茶色の壁に、黄色い扉が可愛らしいお菓子屋さんだ。扉上部にある看板にも、可愛らしい絵が描かれている。
「もう開店してるみたいだな」
ベルナールは嬉しそうな顔で扉を開け、キトリーを先に通した。中に入るとガラスケースに並んだ可愛らしいケーキが並び、他の台にはヴィエノワズリーや焼き菓子が並んでいる。
キトリーは、ガラスケース内のケーキに目を輝かせた。ベルナールが店員に店内で食べる事を伝えると、喫茶スペースに案内された。
「この店で食べたかったのが、ミルフィーユなんだ。キトリーは何頼む?」
「じゃあ、私もそれにする」
ベルナールは店員を呼びミルフィーユと飲み物を注文すると、先に紅茶のポットとカップが運ばれてきた。一緒に砂時計が置かれ、キトリーは砂が落ちるのをぼんやりと眺めていた。
砂が落ちきり、早速白いカップに褐色のオレンジ色をした液体を注ぐ。湯気と共に、ふわりと爽やかなブドウの香りが立ち上った。
キトリーがカップを持ち上げ一口飲むと、口の中に甘味と渋味がまろやかに感じられる。飲んだ後に広がるブドウの香りの上品さに感動していると、ミルフィーユがテーブルに置かれた。
葉の形をしたサクサクのパイ生地はとても薄く繊細で、カスタードクリームが挟んである。粉雪のようにかけられた粉糖も、ミルフィーユの繊細な美しさを演出している様だった。
ベルナールは早速フォークを入れ、ミルフィーユを口に含む。濃厚なカスタードクリームは甘すぎず、パリパリなパイ生地との食感が絶妙な美味しさだった。
「美味しい~」
一緒に食べているキトリーは、一口目で既に目元も口元も蕩けている。ベルナールはそれを見て嬉しそうな笑顔になった。
「だろ?これ、ずっと食べたかったんだよ。だけど、この店、俺が入るには可愛すぎるだろ?このミルフィーユは持ち帰りが出来ないみたいでさ。キトリーが来てくれて、やっと食べられた」
「そうかな?あぁ~……確かに可愛いお店だけど、別にベルナールが来ても変じゃないと思うよ?」
キトリーはベルナールの言葉を受け店内を見渡した。所々に花が飾られ小物が置かれ、確かに内装はとても可愛らしい。建物の外観も可愛らしかった。
だがキトリーは、この可愛いお店にベルナールが来る事をそれ程変だとは感じていない。当のベルナールは、キトリーの言葉に眉を寄せ否定した。
「お客さんだって女性が多いし、こんなむさ苦しい男が一人でとか、男同士でとか……。何か恥ずかしいんだよな。あと、ここに誘える男の友達もいないし。あ、キトリー。今回の事、秘密だぞ」
「え?何で?」
目を丸くして聞き返したキトリーに、ベルナールは決まりが悪そうに頬をかいた。
「俺が甘い物好きだっての、バレたくない。だって、変だろ?」
「あははは!それじゃ、いつまで経っても一緒にお菓子屋さんに行く友達が増えないじゃない!あ、私は喜んで同行するわよ!」
明るく笑い飛ばされたベルナールは、少し恥ずかしそうに笑うと小さく頷いた。
「ああ。また頼む」
二人はミルフィーユと紅茶を楽しむと席を立った。店を出る前にヴィエノワズリーと焼き菓子を購入した。店を出て歩きながら、ベルナールは揶揄うような口調で言った。
「焼き菓子、買いすぎじゃね?」
「あ、これは孤児院に持って行こうと思って。時々お菓子とか食材を寄付してるの」
ベルナールは意外だと目を見開き、キトリーを見た。
「へぇ。偉いな」
「ん~。私孤児院で育ったから、恩返しみたいなものよ。別に偉くはないかな」
ベルナールはキトリーの発言に内心驚いていた。悩みも苦労も無さそうな、のほほんとして見えるキトリーが孤児院出身だったなんて。
「そうなのか……。俺も、何か寄付しようかな」
「あはは!無理しなくても良いんだよ~!でも、少しの寄付でもすごい有難いのよ。私は明日、故郷のアラルゼ村の孤児院に行こうと思ってるんだ~」
キトリーは両手に持った、焼き菓子が大量に入った袋を持ち上げ笑った。それを見たベルナールは、決意をしたように表情を引き締めた。
「よし!じゃあ俺もそのアラルゼ村の孤児院に寄付するよ。そんなに多くはないけど、今回の遠征で特別手当出たしな」
「ええ?本当に良いの?」
キトリーが驚いてベルナールを見上げると、ベルナールはキトリーの頭にポンと手を置いた。
「まぁ、そんなに沢山は寄付出来ないし……。キトリーに預けるから、よろしく頼むな」
「うん。任せて。ベルナール、ありがとう」
「気を付けて行ってこいよ。パワードスーツで飛んで行くんだから、そこまで危険は無いんだろうけど」
キトリーを案ずるようにベルナールが言うと、キトリーは難しい顔をして首を横に振った。
「アラルゼ村まで飛ばして行くと、片道で魔力が空になっちゃうの。だから帰りの為に、魔力ポーションを買って行かなきゃなんだ。私、魔力多く無いから」
「へ~。そうなのか。何か今日は、キトリーの事で知らなかった事を色々知れたな」
「それは私もだよ~。まさかベルナールが甘い物好きだなんてね~」
今度はキトリーが揶揄うように言った。ベルナールは楽しそうに歯を見せて笑いキトリーを見返すと、片手でキトリーの頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でた。




