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16・隣のりんご

 





 ジルはキトリーに連れられて、騎士団の食堂にやって来ていた。料理人になる為の面接に緊張しているようで、少し表情が固い。

 厨房に声を掛けると、料理人の一人が気付きこちらに来てくれた。


「あれ?キトリー?何だその格好……女装?」


「お疲れ様です。どうして皆さんこの格好をしても私が女だって気付かないのか不思議なんですが……。私は女性なんですよ~、女装じゃないんですよ~」


 不可解だと唇を尖らせ半目で語るキトリーに、料理人は目を丸くすると大笑いした。


「悪い悪い。そうかキトリーは女だったのか。セギュール班長とサミ部隊長の影響で、ついな。勘違いをな」


 料理人は苦笑いを浮かべながら言い訳をした。サミ部隊長は魔術師部隊の部隊長で、綺麗に化粧をした背の高く体格の良い男性だ。

 キトリーはサミ部隊長を遠目にしか見た事がなかったが、この言葉を聞いて、皆がキトリーの私服姿を見て女装癖があるのだと勘違いをする理由を理解した。

 確かにインパクトのある彼等の影響は強い。誤解されてしまうのも無理は無い、のかも知れない……。

 キトリーが難しい顔で唸っていると、料理長が現れた。優しい笑顔でジルを見ると、ジルだけが面接にと厨房に通された。


 キトリーは食堂の椅子に座り待たせて貰っていると、先程の料理人がお茶と茶菓子を持って来てくれた。


「ありがとうございます」


「いやいや。さっきは勘違いして悪かったな。弟くん、受かると良いな」


「はい」


 キトリーが笑顔で頷くのを見て、料理人もにっこり笑い頷き厨房へ戻って行った。

 キトリーはお茶を一口飲むと、お茶の温かさが胸にじんわり広がるのを感じた。さっくりと焼かれたクッキーは絶妙な甘さで、このクッキーは誰に出す為に作っているのだろうかと疑問に思った。

 団長かなぁ。団長がクッキーを食べている光景を思い浮かべて、その不釣り合いさに思わず顔がニヤける。


「美味いか?」


 面白そうな響きを湛えた声に顔を上げると、エリクが声に含まれたものと同じ表情でこちらを見ていた。





 エリクがジルに近付いたのは、キトリーという人物を知る為だった。

 団長から渡されたキトリーの入団志願書に書かれた家族構成には、たった一人、弟の名前だけが書かれていた。そこでエリクはキトリーとジルの事を調べ、ジルがよく一人で朝市に向かう事を知り近付いた。


 人懐こいジルと仲良くなるのは、そう時間のかかるものではなかった。ジルは騎士団に入ったキトリーを誇りに思っており、彼女を支えたいと思っている事がよく分かった。

 ジルと接していても、キトリーと接していても、この姉弟が善良な者である事は疑いようもなかった。彼等が悪しき人物と関わる様子は微塵も無い。一応十一班がバジリスク討伐に出ている間にキトリーの故郷アラルゼ村まで赴き聞き込みをしてから、団長に報告をした。


 その後もエリクは朝のランニングを続け、ジルとの仲を深めていた。もう調査は必要無いのだが、エリクはジルとの買い物を楽しんでいた。無意識の内に、この姉弟を気に入っていたのだろう。


 そして十一班がレッドキャップ討伐に向かった。エリクはランニングのついでにジルの様子を伺いに孤児院に行くと、ジルは仕事を探していると言ったのだった。

 エリクはその日の内に騎士団の食堂の料理長に話をつけ、キトリーが戻り次第面接の予定を取り付けた。





 そして今、エリクとキトリーは向かい合ってクッキーを食べながらジルを待っている。


「この食堂で、クッキーまで食べられるなんて知りませんでした」


「団長がよく部屋に持って行くのを見るな。他の分団長や隊長達も食べているらしい」


 エリクはそう言いクッキーを口に含む。キトリーの方を見ると、エリクの言葉に頷きながらもクッキーの味に目尻を下げていた。エリクは思わず笑みが零れる。


「君は本当に美味しそうに食べるな。ジルも料理のしがいがあるんだろうな」


「うっ……。そうですか、ね……」


 ニコニコと微笑みキトリーを見つめるエリク。キトリーは何だか恥ずかしくなり、クッキーを飲み込むとそれ以上食べられなくなってしまった。それなのにエリクは「確かに美味しいな」とクッキーを食べ続けている。


 エリクが来てから少し経った頃に、料理長とジルが食堂に戻って来た。ジルの嬉しそうな表情が、結果を物語っている。

 キトリーはそのジルの表情を見て嬉しい気持ちになりながらも、料理長の言葉を待った。料理長はにこやかに微笑みながら話し始める。


「ジル君には、明後日から来て貰う事になりました。ジル君はまだ小さいですので、日中の仕事をお願いします。それではジル君、明後日からよろしくお願いしますね」


「はい!よろしくお願いいたします。ありがとうございました」


 ジルは深々と頭を下げた。キトリーも一緒に頭を下げる。料理長が厨房に戻るのを見送ると、ジルはエリクの方を向いた。


「エリク様、お陰で雇って貰えました。本当にありがとうございました」


「ジルにとって良い結果になって良かった。ジルの料理を食堂で食べる日を楽しみにしているよ」


「はい!僕、頑張ります!」


 やる気を漲らせてジルは宣言した。優しく微笑んだエリクは、まだ仕事が残っているらしく副団長室へ戻って行った。エリクを見送った二人は顔を見合わせ喜び合い、足取り軽く帰路に着いた。



 翌々日、ジルはキトリーに見送られ、元気よく仕事へ向かった。少し緊張もしているようだったが、それよりも期待の方が上回っているらしく笑顔が弾けていた。

 キトリーはレッドキャップ討伐後、一週間の休みを貰っていたので、この日も休みだった。

 キトリーは、学校が休みだったニノンと共に観光をしようとシイテ大聖堂に向かった。


 一階の礼拝堂は、市民が礼拝に訪れる事が出来る礼拝堂だ。濃い青色の天井はドーム状で、黄色い星が描かれている。壁には彫刻が施されていて、その美しさ、荘厳さは、流石は王都の礼拝堂である。

 二階の礼拝堂は王家の礼拝堂で、一般公開もされている。チケットを買い入ってみると、壁一面に見事に輝くステンドグラスが並んでいた。そそり立つ柱とステンドグラスに支えられた天井は、一階の礼拝堂と同じくドーム状で、輝く星が描かれていた。

 キトリーは、神々と天使達を多彩色で描いた輝くステンドグラスに、息を飲み感激している。

 二人は一枚一枚のステンドグラスを、ゆっくり見ながら小声で感想を言い合った。そして一階の礼拝堂で祈りを捧げ、大聖堂を後にした。


 シイテ大聖堂は、王都を流れる川の中洲に建っている。お腹が空いている二人は、橋を渡りカフェへ向かった。学校の友達から聞いたというそのカフェは、若い女性客が多い。アフタヌーンティーを頼み、二人は会話と軽食を楽しんでいる。


「ジル、今頃大忙しかな?」


「うふふ。そうだね~。お昼前から騎士の人達がひっきりなしに来るからね~。今何やってるのかな~?」


 キトリーは忙しいであろうジルを想像し微笑みながら、ケーキスタンドの一番下の段のサンドイッチに手を伸ばした。


「偉いよねージル。なんか、四歳も下のジルに先を越された感あるな~。キトリーも騎士団で働いてるし~」


「何言ってるのよ。ニノンは学校行ってるじゃない。それに、卒業したらお店で働くんでしょ?今だって手伝ってるし」


 ニノンはキトリーの住む集合住宅の一階の、ニノンの母が経営している雑貨屋で時々手伝いをしている。一人っ子であるニノンは、将来集合住宅の大家と雑貨屋を継ぐ予定だ。

 だが当のニノンは複雑な表情でサンドイッチを口に含み、もぐもぐと食べている。


「何かさ、良いなって思っちゃうんだよね。自分で切り開いてるって感じが。私が恵まれてるのは分かってるんだけどさ~。塀の向こう側のりんごが一番甘い、だなぁ……」


「ああ~、分かる分かる。ニノンの食べてる卵サンドが一番美味しい、だね」


 沈んだ表情を浮かべていたニノンは、キトリーの言葉に思わず吹き出した。キトリーは既にサンドイッチを食べ終え、ニノンの手にある卵サンドを見ている。


「もう!キトリーったら!サンドイッチが無ければスコーンを食べれば良いのよ!」


「そうね。目の前のスコーンが一番美味しい!」


「あははは!キトリーは幸せね~」


 クロテッドクリームを塗ったスコーンを美味しそうに食べるキトリーを見て、ニノンは面白そうに笑った。



 食事を終えた二人は店を出て、特に予定も無くブラブラと歩いていた。


「キトリー」


 聞き慣れた声に振り向くと、ベルナールが立っていた。


「あ、ベルナール。買い物?」


「ああ。夜腹が減るから夜食用に。……お友達?」


 軽く手に持った袋を持ち上げると、ベルナールはニノンの方を見た。ニノンは少し照れたように下を向く。


「うん。私が借りてる部屋の大家さんの娘さんのニノンよ。ニノン、騎士団の同期のベルナールよ。」


 キトリーの紹介に、ベルナールは爽やかな笑顔をニノンに向けた。


「ニノンちゃんか。よろしく」


「はい、よろしくお願いします。ベルナール様」


 更に照れてしまったニノンは、頬を赤らめ肩を縮こませている。ベルナールはふと思い付いたようにキトリーに顔を向けた。


「なぁキトリー、明日暇か?」


「え?うん。暇だよ」


「ヴィオ二村に行かないか?」


 ベルナールは期待を込めた顔でキトリーに聞いた。暇を持て余していたキトリーに、断る理由は無い。


「良いけど、何しに行くの?」


「そこでしか食えない物があるんだ。開店前には着きたいし、早めに出るぞ。七時に町の門に集合しようぜ」


「わかった……」


 早起きが苦手なキトリーは、起きれるのかという不安を感じながら頷いた。ベルナールはにこやかに手を振り、軽い足取りで去って行った。

 難しい顔をしているキトリーを、ニノンはキラキラした瞳で見上げている。


「キトリー、やるぅ~!デートでしょ?」


「いや、違う。それは無い。本当に」


 キトリーが真剣な声色で否定すると、これは本当に違うのだとニノンは悟った。今日も今までもキトリーから浮ついた話は聞いた事がない。その上、キトリーは恋愛小説を好まない。

 ニノンはキトリーとは恋バナの一つもした事がなかった。ニノンには学校に想い人がいるが、キトリーには彼の話が出来ないでいた。それはキトリーが恋愛に興味が無かったから、ニノンは言い出せずにいた。ニノンはそれを、少しだけ残念に思った。

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