#1 長いお別れと再会と
#1.長いお別れと再会と
『300メートル先、分岐を直進方向です。』
上空を右から左に全日空のジャンボジェットは通り過ぎ、大阪国際空港(伊丹空港)へ着陸体勢を整える。
大阪市街地を一周して北に抜ける阪神高速池田線、淀川を越えて豊中から先に広がるその風景は、今も昔も大きく変わらない。
自転車・ベアリング・・看板が少し変わることはあっても、住宅街と工業団地との境目がイマイチ分かりにくいその変わらない景色を横目に、車は速度上限60kmを「なんとなく」守りながら北に進む。
2020年1月11日
姉からの連絡は父方の祖母の他界だった。
画面が一瞬フリーズするように、心の時間が一時停止するのを感じた。
16年前を最後に会っていなかった人。
曇り空から徐々に晴れ間が見え始めた普通の土曜日、13時14分。
聞きなれたチャットアプリの着信音が、物静かな部屋に響いた。
(今朝、加茂のおばあちゃんが亡くなりました。)
(明日18時からお通夜、明後日10時からお葬式です。どうしますか?)
姉兄3人だけで共有する会話画面に届いたメッセージの内容に、年齢的に仕方ないと思いつつ、両親以外の親族とは疎遠な状況だったこともあり、自分の中に突如湧いて出た複雑な心模様が目に見える様だった。
(お通夜に行く。葬式は申し訳ない。)
間髪入れずに兄からのメッセージが返信された。あまりに多忙の兄らしい回答だったが、そのクイックレスポンスに少し驚いた。
(自分も通夜に行きます。ちなみに父と母は行くのでしょうか。)
ある時から両親は、それぞれの実家に近寄らなくなって、正月も盆も、家族5人と愛犬だけで過ごすようになった。
姉の話では、父方の親族は考え方の違いで揉めたような説明だったが、当時二十歳を少し超えた程度の若輩者には容易に理解することが難しく、暫くしたら自分で確認してみようとぼんやりを思い耽った時期があったのを覚えている。
(当然。今朝から二人で加茂に行ってました。不思議と少し、すっきりしたようにも感じます。)
姉の家族が両親と二世帯住宅で暮らすようになったことは、弟二人にとっても安心できるもので、こんな緊急事態には特に感謝する。
(そうか)とだけの私の返信に既読のサインが付くのを見て画面を閉じた所に、さっきと同じ着信音が鳴った。
(兄も同じことを聞いてきました。明日は安心して来なさい。)
姉からの私だけへの連絡に、見た目も性格もあまり似ていない兄弟でもやはりどこかは共通するのだともう一段深く安心した。
『この先、川西小花方面、左方向です。』
・King Gnu 「白日」
・Officital髭男dism 「Pretender」
・菅田将暉 「まちがいさがし」
・back number 「HAPPY BIRTHDAY」
・米津玄師 「馬と鹿」
・あいみょん 「マリーゴールド」
BGMはいつも同じ演奏しかしないけど、いつも違う感情を与えてくれる。
大阪から中国地方に抜ける幹線を横断する今は新しくもない高速道路の支線。
すこしだけ時間を戻したとして、では一体どこまで戻せば心のアザと向き合えるのだろうか。
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≪花火大会、無くなるらしいよ≫
≪どうして?≫
≪高速道路ができるんだって。猪名川のこの上に高速道路が出来て、そしたら花火できなくなるんだって。≫
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小学校、中学校、高校、大学…
出来る事が少しずつ増えるたびに行動範囲を広げて、都会から少し離れた静かなベッドタウンの当たり前の景色に飽きては新しい感情を探して、また次の景色を探して。
行く先々での出会い、友情、恋愛・・・・社会からの逃避でしかない勘違いを人生の目標と呼んでみては、裏切りや気まぐれな刺激に手を出して、自分で作り上げたものまで壊して・・・
壊すたびに次の場所で居場所を作って、また壊しては次に・・・そうして結局行き場を失ったまま今を生きている。
ここ迄の人生とこれからの人生を見比べて、余計なことを考えてしまう。
(放っておいてくれ。)
何度考えても過去が大きくて重くて。歳を取る毎に前に進もうとする歩幅が小さくなるのがわかってしまう。
もう一度だけ向う見ずに走ってみたくても、自分宛のメッセージの送信ボタンを押せずに、少しだけ立ち止まって居るのだ。