78 覚悟と初めて
「こっち、ガウ。……そこ、足下根っこ、ガウ」
「マジ? サンキュ」
宴が行われている開けた場所とは異なり、離れた完全な森の中。
そんな真っ暗な森の中を木々の上で跳ねるミーラの指示に従って進んでいく。
「止まる、ガウ」
宴の席から、目算でおよそ零点三キロ。三百メートルほど離れた時、ミーラが動きを止めた。
真っ暗でほぼ見えないが、その場所に別段何か変わった様子はない。
だが、俺はこの先に待ち受けているもの……正確には者を知っている。
「ミーラ、クオン、来た、ガウ!」
ミーラがそう言えば、僅かばかし空気が変わった。意識していなければ気づかない、ただ肌寒い森の空気がほんのりと色を帯びたような、なんとも言葉には表しづらい変化だった。
ミーラが少し進み、ポケットから石を取り出して、俺に渡す。
石の名を魔灯石。魔力を込めると蝋燭よりも光量のない微かな光を灯す石。
一瞬変化した空気が再度戻ったことを確認してから、俺は握ったそれに魔力を込めて光を灯した。
それを翳しながら数歩歩き、見えてきたのは三つの人影。
「遅かったのぅ」
一人は、長老。
残り二人は--。
「くく、待ちくたびれましたよ」
「遅い」
ブラフとルナ。レアと俺を狙ったバウンティハンターだった。
*
戦闘不能になったブラフとルナを俺は長老にお願いして、拘束だけして殺さないでおいて貰ったのだ。
村の人達やレア達、ここにいるメンバー以外にはミーラが始末したことにして貰って。
「……捕まってるのにその態度は逆に凄いな」
身体を拘束されて、木にもたれかかった状態だというのに……豪胆と褒めるべきか?
「どうせ死ぬんです。怯えたところで何も変わりませんよ」
「さっさとして欲しい」
ブラフはニヤニヤと笑みを浮かべながら、ルナはブスッと不機嫌そうに言う。
「まっ、俺もやりやすくて助かるよ」
「くくっ、手が震えていますが大丈夫ですか?」
……余計なお世話だっつぅの。
これから殺されるというのに平坦な態度でいられるお前らがおかしいんだ。元の世界の価値観で生きている俺にとって人の生き死にはそんな簡単に割り切れる問題ではない。
「ミーラ、見張る、ガウ」
「うむ、頼むの、ミーラや」
長老の言葉に深く頷いて、その場からミーラが消える。
「まぁ、恐らく風来には気づかれているじゃろうがな。Aランクより上は人の領域に収まらんと言っても過言ではないからの」
「……でも何も言ってこないってことは」
「口出しはしないつもりなんじゃろ」
ありがたい。
そこにどんな理由があろうと、誰かが口を出して止めようとすれば、俺の覚悟は揺らぎを見せてしまう。
情けないが、まだ俺の覚悟はその程度でしかない。
だから俺の小さな覚悟を邪魔しないでくれて、ありがたい。
「ふむ、殺されるのはいいのですが、その前に知りたいことがあるのではないですか?」
「……」
正直、聞きたいことは山ほどあった。だから、その言葉を聞いて一瞬動きが止まった。
「ブラフ……言ってもいいの?」
「構いませんよ。私たちはどうせ死ぬ。それに彼を待ち受けるのは、私達以上の苦しみでしょうから。その手向けと言ったところでしょうかねぇ」
ブラフが俺を憐れむような目で……いや、ニヤリと笑って楽しそうに言う。
「これから貴方に訪れるのは、私達以上の苦しみと絶望です。そんな哀れな貴方にささやかなプレゼントですよ」
聞こえているのが分かっているくせに、わざわざ俺に目を向けて同じ内容を繰り返す。
「嫌な奴」
「くくっ、褒め言葉として受け取っておきますよ」
本当に嫌な奴だ。
「じゃあ聞くが、何故レアは狙われるんだ?」
教えてくれるというのなら、教えてもらうべきだ。それを信じるか信じないかはさておいて。
「レア……魔導書のことですか。残念ながら知りませんねぇ。ですが、依頼で提示された方法は二つでした。それは生捕と処分です」
生捕? 何でだ?
「どちらも別の方からの依頼でしたがねぇ。生捕の方が報酬額が高額だったので、死んでくださいと言いつつ、私たちはなるべく殺さない方向で動いていました。……そのせいで負けた側面もある、というのは言い訳ですかねぇ」
苦笑するブラフに、俺は何も語ることが出来ない。コイツも俺の言葉なんぞ欲しがっていないだろう。
それにしても……。
「どちらも別の人物……あいつらも一枚岩じゃないってことか……?」
派閥が違う? 穏健派と過激派のような……いやだが、レアの話を聞いた限り、そんなことは……。
レアが知らないだけで他にも、天使の名を冠する者に匹敵する奴がいるのか?
分からないことを知ろうとして、分からないことが増えた。意味が分からない。
「推測は出来ますが……そこまでする義理はないですねぇ。他に聞きたいことは? あと一つくらいなら答えてあげますよ」
「……」
何を聞くべきだ。
「……ねぇ」
俺が何を聞くべきか悩んでいると、それまで黙っていたルナが口を開いた。
「……妖精が不自然に移動したのって貴方がやったの?」
「……ああ。俺の、いや、俺たちの能力だ」
気絶から存外早く覚めた俺は、レアに促され、目が覚めたことに気づかれないように存在感を限りなく薄くし、戦況を見守っていた。
そうして危険が迫っていたフィアを、『呼出』により、緊急脱出させたのだ。ついでに言えば、アイヴィスがブラフの死角からの一撃を避けれたのは『伝心』の力で、俺が指示したからだ。てな感じで、時々俺も戦いに加わっていたわけだ
「……そう、あれが無ければ私の爪があの子を切り裂いてたと思う。あの子がいなければ私は他の二人に勝てた自信がある。……きっと貴方、戦況を見極める才能がある」
「……そか」
きっとそれは素直な賞賛だ。敵だったとは言え、褒められれば嬉しくないわけではない。可愛い女の子となれば尚更だ。それでも、喜びを表に出せば、情が移ってしまう気がしてそっけない返事をした。
それに気づいたのだろう。ルナはクスッと笑って……。
「……貴方が中途半端な善人じゃなくて良かった」
「ぁっ……」
拙い。決意が微かに揺らぐのを感じた。
このまま話していたらきっと俺は彼女を、彼女達を殺せなくなってしまう。
だから俺は矢継ぎ早に言葉を紡ぎ出す。
「ぁあ、そうだ。俺は善人じゃない。だから……殺す。もうそろそろ、互いに時間の無駄だろ。聞きたいことは聞けた。お喋りはやめにしようぜ」
ちゃんと内心を隠せただろうか。冷酷に、無慈悲に、残忍に、告げることが出来ただろうか。
情を抱くな。弱みを見せるな。
彼女の言う通り、この場に中途半端な善意なんて、優しさなんて不要だ。
そう言い聞かせて、腰から剣を抜き、真正面から二人を見据えた。
「ルナ」
そんな俺を見たブラフが鼻で笑い、彼女の名を呼んだ。ルナは眉をピクリと動かして、声の調子を変えずに返事をする。
「何? ブラフ」
「先に待っていてください」
俺に向けるニヤニヤとした笑みとは異なり、優しい表情でルナに向けて笑うブラフ。
それを見たルナは静かに目を閉じて、ほんの少し、口角を上げた。
「……うん。分かった。ブラフ、バイバイ」
「ええ、さようなら」
突如として、別れの挨拶をしだした二人。何か嫌な予感がした。
俺は警戒し、長老は……目を伏せていた。
ルナと俺の目が合い、目元が柔らかに歪んでーー。
次の瞬間、ルナの頬に不思議な紋様が浮かび上がり、一瞬青く発光した。
そして----ルナの口から血が溢れ、首をガクリと下げた。
「……は?」
俺の口から漏れ出たのは、そんな間の抜けた言葉だけ。それ以外はただ、目を見開くことしか出来なかった。
明らかにおかしな様子に近づいて、肩を揺するが彼女はピクリとも反応しない。それどころか、その反動で倒れ、血の気の消えた顔が露わになる。その顔はひどく満足げで……。
意味が分からなくて、長老に縋るように目をやった。しかし、長老は黙って首を振った。
「もう死んでますよ」
「何で……」
「ルナは十分に苦しみました。死ぬときぐらい、苦しまずに死なせてあげたかった。それだけですよ」
口の中に毒を含んでいたのだろうか。いや、死ぬ間際に頬が光っていたことから……魔法的な何かを仕込んでいたのだろう。
確かに彼女は死んでいた。
「私がこんなことを言える立場にないのは分かっていますが……彼女の死体は静かな場所で燃やしてあげてくれませんか。私の死体はどうしてくれても構いませんので」
「……うむ、了承じゃ」
「……くくっ、感謝しますよ」
言葉を紡げない俺の代わりに、長老が答えてくれた。
だが、それは長老や村の人が追うべき役目じゃない。
「……俺がやるよ」
その役目は、俺がやるべき、否、やらねばならない。
「……無理する必要はないんじゃよ、クオン」
「やらなきゃいけないだろ。最後まで、全部俺がやらなきゃ」
後始末を他人に任せてたら、何のための覚悟か。何のための責任か。
ただのカッコつけかもしれない。自己満足かもしれない。それでも、きっと、やらなきゃいけないことだ。
「勇者が言うところの死人に口なし。でしょうか。本当は貴方じゃ安心できないのですがねぇ」
「けっ、言ってろ。負けた癖によ」
「貴方一人に負けたわけではないのですがねぇ。ところでルナに蹴られて気を失っていましたが、調子はいかがです?」
互いに憎まれ口を叩き合う。
「……クオンは強い子じゃの」
長老がボソリと吐いた独白は、この静かな空間には大きすぎて、俺の耳にも届いてしまった。
強いわけない。そうすぐに否定したくなった。
でも、聞こえなかったことにしたくて、新たに出来た聞きたかったことをブラフに問いた。
「……なあ、なんで俺たちを狙おうと思ったんだ?」
「お喋りはやめるのではなかったのですかねぇ?」
「別に答えたくなきゃ答えなくていいよ。これは半ば俺の独り言だから」
心からの言葉だったと思う。別にそれを知る必要はなくて、知る意味も特にない。
「……深い理由なんてありませんよ。ただ……生きるため。お金が必要だった。それだけです」
「そか」
だからどうということもない。ただ気になったから聞いただけ。聞いたところで、何が変わるわけでもない。
それでも、聞くことに意味があるように感じた。それだけだった。
「……最後に……アドバイスをしてあげましょうかねぇ」
今までにない調子で目を逸らしながら、言う。その態度と内容に、俺が微かに目を見開いたのは当然と言えば当然だったのかもしれない。
「アドバイス?」
「殺した者の意思など背負う必要はありません。ただ一度受け止めればその後はどうしたって構わないのですよ。背負うのも勝手、投げ捨てるのも勝手です。せいぜい長く生きて、苦しんでください」
喋っているうちに調子を取り戻し、今まで通り、嫌味ったらしくニヤニヤと笑うブラフ。だけどそこには清々しさが感じられて。
「……なぁ、最後にもう一度、名前教えてくれないか?」
思わず、名前を聞いていた。
「……ブラフ。ブラフ・コルニコアですよ。そして彼女はルナ……性はありませんが、そうですね。……彼女の名は、ルナ・コルニコア、としておきましょうか」
「ブラフ・コルニコアとルナ・コルニコア……」
目の前の男と、隣に横たわる少女の名を反芻する。その名を忘れないように、自身の胸に刻み込むように。
「では、また地獄で会いましょう。冒険者クオン」
「……ああ、ゆっくり待っててくれ、ブラフ」
俺はゆっくりと剣を構えた。
俺の剣がブラフの心臓に突き刺さっていく。
嫌な感触だ。剣を握る手が震えている。
「コフッ……! く、くくっ、ほらやはり苦しませずには殺せないようですねぇ……」
笑うブラフの口からコフッと血が溢れた。もう既に剣は心臓を貫通して、開いた胸部からは止めどなく、血液が垂れ流しになっていた。
俺はただ、その光景を目に焼き付ける。
ブラフの視線が隣に横たわるルナの方を向いた。
「…………ルナ……また、いつか…………」
ブラフの目が虚ろになって、程なく最後にそう呟いてブラフは動きを止めた。
瞳孔は開ききっており、顔も血色が悪く青ざめていた。
それでもなお、血液は胸から溢れ出していた。
だからか、ブラフがそんな状態になっても俺は剣を握ったまま離せずにいた。
「……もう、死んでおるよ」
長老のその言葉でようやく俺の手が握っていた剣を離した。離したというより、離れたというのが正しかったけれど。
支えてくれるものを失った体から力が抜けて、地面に膝をつく。
身体は完全に脱力し、腕が無様に地面に垂れた。
「……くは、ははっ」
声にすらなっていないような掠れたか細い声で笑った。
「…………んだよ、思ったより楽勝じゃねぇか……」
誰に向かって吐かれた言葉だろうか。言った俺ですら分からなかった。でも、その言葉は恐らく、自分自身に向かって吐かれた言葉だろう。
自然と顔は何もないただ仄かに月明かり溢れる上を見つめていた。
「……御主は本に強い子じゃよ、クオン」
長老は、そう言って俺の肩にポンと手を置いた。




