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47 その後の商会

 


「ふんふん、ふふふーん」


「ご機嫌が宜しいようで」


 分かるかいと言う、自らの上司ルミナ・ベンデルーンに男はそれはもちろんと答えた。



 場所はつい先日、騒動があった場所でもあるベンデルーン商会、応接室。

 シンプルながらに上等品を揃えたその部屋は揃えたルミナ自身もお気に入りの一部屋であった。


 騒動、とは名ばかりの姉妹喧嘩によって多少荒れてしまったが、お気に入りの一部屋の一つには変わりなかった。



「姉君と和解されたようで何よりです」


「和解なんかじゃないよ。和んでもないし、解が出たわけでもないからね。ただ、溜まってたものを吐き出した、だから互いに鬱憤を発散したって言葉の方があってるんじゃないかな」


 やっぱりこの人めんどくさいなと思いつつも、自らの上司である彼女に言えるわけもない。


「それにしても、なんでも商会の規模を縮小なされるそうで」


「そうなんだよねー、地域密着型っていうのかな。そんな考え方のカミナ姉さんを支持する人が増えてさ。前まではそんなことなかったのに。まぁ僕も仕事が減るからいいけどね」


「街では評判ですよ、ベンデルーン商会がまた街に発展をもたらしてくれるって」


「ただの出戻りを、そう解釈するなんて人間は都合の良い頭してるよね。都合が良いのはこっちもなんだけどさ」


 自らの発言にくくっ、と笑うルミナ。その姿は嘘を言っているようにも、冗談を言っているようにも見えない。

 だが長く彼女に仕えてきた男は知っている。彼女は話術が得意だ。そしてそれと同じくらい、嘘を吐くのが上手なのだと。



「姉君は戻ってきて、且つ名声も評判も落とさずに規模を縮小させる。思い通りですか?」


 男は問いを投げる。


 ルミナが他所の街へと出店した支店は成功を収めてはいたが、元々根付いていた商人から酷い嫌がらせを受けていた。その街、ひいては国から許可を得ていたのにも関わらず、だ。


 商人同士の争いは非情で醜いものだ。金の為だったら良心すら、そして両親ですら投げ捨てる。


 男の上司であるルミナは悪魔のような女性だが、商人としては優しい方だ。部下にはそれなりの補償をしているし、金の為でも品性を売ったりはしない。


 加えて、市民とは世評を気にする生き物だ。質が悪くともが世評が良ければ客は呼ばなくとも来るし、質が良くとも世評が良くなければ客は来ない。


 例え、醜い嫌がらせの末に撤退したとしても、事情を知らない周囲は、争いに負け撤退した「敗北」の烙印を押すだろう。

 勝った商店と負けた商店、どちらを利用するか、答えは言わずとも分かる。


 他店の嫌がらせを受け、出戻りしたとなれば、ベンデルーン商会の面子に関わる。


 しかし、今回の騒動のおかげでベンデルーン商会としての面子は守ることが出来る。


 その質問にルミナは肩を竦めて眉を下げた。


「くくっ、どうかな」


 そして男は彼女が本性を表に出さないことも知っている。いや、察している。


「まぁ上司としての責任が一応あるのと、近々アレもあるし、姉さんには早く戻ってきてもらいたかったのは事実。今回のお陰で、色々と上手く行く可能性も出てきたし、諸々の監視も楽になるね。運が良いよ」


 一体この人は何通りの手を、そして何手先を想定しているのだろうか、男に想像出来ることなど誰にでも想像できることで、他とは違う彼女の瞳はその何手先も読んでいるのだろう。


「……それに、姉さんの気持ちも分からなくないしね。僕も父さんと母さんのことは嫌いじゃなかったから。まっ、僕個人の心情の方が大事だけど」


「そ、そうですか。嫌いじゃなかったですか」


「何か言いたげな目じゃないか、ええ?」


 男は知っている。偶然見てしまったのだ。

 彼女が昔の家族写真をしっかりと保存していることを。すなわち両親をしっかりと愛していたことを。そして写真の中では両親に抱きついていたことを。すなわちただの甘えんぼだったことを。


「い、いえ。そんなことは……」


「ふーん、まっ、いいけどね」


 ルミナの興味が失せる。

 なんとか難を逃れた男は心の中でホッと溜息をついた。


「それにしても、ただの喧嘩といえど側から観れば内紛だし、一人の人間を街から追い出したわけだから、僕個人としては勿論、商店としての評判も多少下がると思ったんだけどね」


 存外、父母の力は偉大だってことかね、とルミナは付け足して笑う。


 そう、商会は当然の如く、本来下がる筈だったルミナ個人の評判もそこまで落ちていないのだ。寧ろ、ルミナ個人の評判で言えば、上昇傾向にある。


 評判が下がることは想定していたルミナも、内心疑問に感じていた。


 そんなルミナに冷水を浴びせたのは、男であった。


「内紛とは思われていないようです。だからではないかと」


「へぇ、じゃあ何だと思われてるんだい?」


 男は一拍置いて、言う。



「ーー略奪愛だと」



「ぶっーーげほっ、げほっ、はぁあ!?」


 噴き出し咽せたルミナ。男はそんなルミナをはじめて見たからか、目を丸くしている。


「何がどうなったらそうなるんだいっ!?」


「さあ? ただ女性方、特に奥様方に人気の様子です。あと一部の男性からも」


「いらないよッ!? そんな人気ッ! ああ、あのバカ兵士どもが適当に状況を話したんだっ……。側から見れば男を奪い合ってるように見えなくも……いや見えないよ! あそこにいたみんな減給してやろうかな……」


 噴き出すルミナも当然ながら、取り乱すルミナを見るのなんて男が働き始めてから初めてのことだ。

 それにまさか、彼のルミナ・ベンデルーンがこのようなことで取り乱すなど思っても見なかった。


 ルミナ・ベンデルーンと言えば帝国内に限れば、商売人で知らぬ者はいないと言い切れるほどの女傑。彼女は仮面の商売人とも呼ばれ、どんな大きな取引にだって、どんな人物に会おうと取り乱すことはない。


 世界で最も大きな商会とされるフリーデン大商会の会長クロエ・フリーデンと会談をした時すら、その鉄仮面は動じることがなかった。


 そんな彼女がこんなにも取り乱す姿を見てしまえば、空いた口が塞がらないのも当然と言える。


「る、ルミナ様も世間体を気にされるのですね」


「人をまるで魔導兵のような扱いをするのはやめてほしいな。僕だって一応人族なんだから」


「い、一応……」


「そうさ、僕だって人間だ。だから、世間体も気にすれば、選択を誤ることだってある」


 目の前の女性、ルミナ・ベンデルーンが失敗するとは男には到底思えなかった。

 ただその瞳を見れば冗談の類でないことは分かる。もちろんそれも演技と言われれば仕方ないが。


「今回の選択はどっちなんだろうね」


 もうすっかり落ち着いた様子で、彼女は独り言のように語る。


「……どっちとは?」


「選択の良し悪しなんて一昼夜やそこらで決まるものでもないからさ。それこそ、最初は悔恨に苛まれるほど選択を誤ったと思うかもしれない。でもめぐりめぐってそれが後に絶え間ない幸福を与えてくれることだってあるかもしれない。でしょ?」


「確かにその通りかもしれません。私にも覚えがあります」


「へぇ、参考までに聞かせてよ」


 上司にそう言われれば、断る理由はない。


 自分の話に興味を示すことなど滅多にないルミナが、興味を示した。そのことに若干の驚愕と興奮を覚えつつ、男は話す。


「あれは十年以上も前、私がこの商会に雇ってもらう以前のお話です」


「うんうん」


 能書きが長いな、と思うも自分が話すよう勧めてしまったため、その感情を表には出さずルミナは続きを促す。


「父によるお見合いのセッティングを断れなかった私は後悔の念に囚われていました」


「……ん?」


「ですが、お見合い当日に出逢った女性は綺麗で優しくて、笑うと可愛く……最初は後悔していたのに、お見合いで出逢った女性が、今では妻です。そして子供も生まれ、幸せな家庭を築けています。まさにルミナ様の言う通り」


「かぁぁ……! どんな話かと思えばただの惚気じゃないかッ! ムカつくなッ! 今すぐその幸せな家庭に翳りを落としてあげようか!?」


「ひぃぃ! すみませんすみません! 惚気のつもりなど全くっ」


 ペコリペコリと頭を下げて謝罪する男に、くくっと笑うルミナ。


 目の前の心底幸せそうに家族について語る男を見ていると結婚もいいものなのではないかと思えてくる。


 ルミナは独り身だ、だが別に結婚願望などない。

 男嫌いというわけでも、女性が好きというわけでもなく、ただ結婚する必要を感じないのだ。


「結局、僕は今回、どっちに転ぶんだろうと思う?」


「……良い方向に転ぶことを願うばかりです」


「くくっ、まぁそれは彼次第だね。今回の選択でのキーマンは彼以外の誰でもないし、何でもないさ」


 彼、それはまごうことなく目の前の上司の策略に巻き込まれてしまった可哀想な青年のことだろう。


「今回、巻き込んでしまったクオンという名の青年ですか」


「巻き込むとは人聞きが悪い。ただ都合が良かったから、利用しただけだよ」


 男は、尚悪いのでは……と言いたがる口に封をして、黙ってルミナの顔を見た。言外に大丈夫なのですかという意図を込めて。


 その大丈夫には、クオンに恨まれないかという意味とクオンのこれからが大丈夫かという意味の二つが込められている。

 男は極度の善人ではない。だが、巻き込まれた可哀想な青年を心配しない程の悪人ではないのだ。


「大丈夫さ、察しの良い人間だったよ、彼は。全てとは言えないまでも、僕の意図に気づいていたからね。それにいくつかヒントも与えたから。感謝こそされど恨まれはしないんじゃないかな」


「ヒント、ですか」


「くくっ、存外僕は彼を評価しているのさ。あの胆力と判断力を、ね」


 頭にはてなマークを浮かべる事しかできない男。クオンという青年には確かに胆力があった。そして察する能力もあったのだろう。

 だが、判断力という点において彼が優れているような場面があっただろうか。影に隠れ、話を窺っていた男には心当たりがない。


「僕がここまで成功した理由、君に分かるかい?」


 いきなり、楽しそうに問いかけてくる上司。


「藪から棒ですね。……やはり話術ではないでしょうか」


「違う違う。僕が大事にしていることさ」


 そう言われても男に分かるわけもない。男は目の前の彼女と違って察しが良いわけでも、観察力があるわけでもないのだから。


「すみません、心当たりが……」


「……良く商人の間ではさ、最悪を想定するなんて言葉が使われるだろう?」


「ええ。最悪を想定して動くことで被害を最小限に抑える。商人だけじゃなく、冒険者なんかの間でも使われていますね」


「僕もそれには概ね同意さ。けど少し違う」


 ルミナが勿体ぶるように一拍置いた。それだけ、たったそれだけなのに男は引き込まれる。それが彼女の凄さなのだろう。話だけで人を惹きつける。誰にでも出来るものではない。


「ーー最悪だけじゃなく最高も想定するのさ」


 なんとも彼女らしいことだと男は思った。何手も先を読み商談を成功させ、商会を発展させてきた彼女、ルミナ・ベンデルーンらしい言葉だと。



「だから僕は彼が最高を掴ませてくれることを期待しているのさ。そのための布石はコスト最低で打った。あとは彼の伸び代次第」



 彼女の考える最高など男には想像付かない。だが目の前の雇い主がいうのならきっと悪いようにはならないのだろう。



「いずれわかる。平凡に見えて彼は非凡になれる器を持っている逸材だよ」



 ルミナが男に聞こえるか聞こえないか程度に小さく呟いた直後、勢いよくドアが開いた。



「おいルミナ! 飯行くぞ飯っ!」



 そして入ってきたのはルミナ・ベンデルーンの姉、バードニック。本名をカミナ・ベンデルーン。


「姉さん……ノックぐらいはしてほしいな……。それに扉をそんなに勢いよく」


「わぁーたよ! とりあえず飯食うぞ」


「……僕はまだ彼と話してる途中だから、先に食べていいよ」


 彼、とは男のことだ。カミナの視線が否が応にも男の方へ向く。

 一時期商会を離れていた彼女だが、元はルミナと二人で商会長を務めていた人物で、戻ってきた現在は商品開発のトップにいる。実質的なナンバー2だ。新しい商品を考える力は飛び抜けたものでないが、技術においてはピカイチ。天才的だ。

 しかも、立場だけでなく、腕力も強い。並の冒険者ぐらいだったら負けない実力を持つ男よりも多分普通に強い。



「何の話してたんだ?」


 彼女がこちらを振り返りながら言う。


 立場も実力も自分より上、そんな彼女の問いを彼が答えないはずもなく、


「クオンという名の男の話をしておりましたっ!」


「クオン? なんでルミナがクオンの話なんかしてんだ。また変なこと考えてんじゃないだろうな」


 詰め寄ってくる姉に、軽く溜息を吐くルミナ。


「考えてないさ、ただ彼の動向を話していただけだよ」


「ならいいけどよ。彼奴には悪いことしたからな、今度会ったら謝らねぇと。ルミナも土下座しろよ」


「くくっ、土下座は死んでもお断りだけど、会う機会があれば一言謝罪ぐらいはするかもね。謝罪というより感謝、かな。いやでも、逆にあっちが感謝するかも知れないけどね」


 その後に続けて、感謝はするけど、僕に利用されてくれてありがとうってね。と言おうとしたが、姉カミナの前で言うとめんどくさくなることは確定していたので、ルミナはそこで言葉を止めた。


 だが、それが災いしたのか、そんなルミナをカミナが奇妙なものを見るような目で見つめている。


「どうしたのさ、まるで魔物の求愛行動を見るような目をして」


「いや、そんな目はしてない。……お前が感謝なんて言うからビックリした……」


「……僕だって人並みに感謝ぐらいす」


「もしかしてクオンのこと、気に入ってんのか?」


「へっ?」


 予想だにしない言葉にルミナの時が止まる。


「そーいうことかよ。気に入った冒険者とウチが仲良くしてたからちょっかいかけたんだな」


「えっ? 全然ちが」


「アイツはウチのためによく働いてくれるし、ウチも結構気に入ってんだ。へっ、流石姉妹ってところか」


 鼻を擦り、照れ臭そうに頬を赤めるカミナに思わずルミナの手が出そうになる。手が出なかったのは純粋に距離が足りなかったから。もしそうじゃなかったら右の拳が出ていたことだろう。で、やり返されていただろう。そして男が巻き添えを喰らっていた。


「ね、姉さん。正直、僕は気にいるとかいらないとかそれ以前に彼とはそこまで関わりがーー」


「……ツンデレってやつか」


「姉さん、僕の話を聞くべきだよ。それとも鼓膜に穴でも空いてる? いい教会でも教えようか?」


「良い良い。言わなくても分かる。ウチは姉だから、さ」


 若干キメ顔でルミナに向かって笑顔を浮かべるカミナ。

 その状況を横で見ていた男には、仮面の商売人と呼ばれているはずのルミナのこめかみに怒りマークが浮かんだかのように見えた。


「じゃあ話終わったら飯食いに来いよ。それでウチにクオンのどんな話してたか聞かせてくれ」


 好き放題言って、荒らすだけ荒らして去っていくカミナには正しく台風や嵐といった言葉が似合うだろう。


「まったく……」


 はぁ、と大きく溜息を吐くルミナに男が小さくボソリと呟いた。



「これが略奪愛……」



「……職を失って路頭に迷いたいなら素直にそう言えば良いじゃないか、ねぇ?」


 脅しのような……ではなく完全に脅されているが、いつまでも雇い主に翻弄され、脅されるばかりの男ではない。


「奥様方に報告せねば……!」


 ルミナ・ベンデルーンは世評を気にする。ついさっき知ったその情報を利用した鮮やかで微かな抵抗だったはずなのだが、ルミナの目が細まった。


 そして告げられた言葉に絶望する。


「親族全員、路頭に迷おっか」


「いや、冗だ、いや、ちょっ」


 無慈悲に背中を押して部屋から追い出そうとするルミナ。その力は不思議と強く並の冒険者以上の実力を持つ男でも些細な抵抗しかできない。




「すみませんすみませんすみません!!!! 冗談ですッッッッ!!!!! 許してくださいぃぃッッ!!!!!」


 その日、太陽が最も高く上がる頃、商会中に男のそんな叫び声が響いたと言う。




 ちなみに商会前で三時間土下座してたら許してもらえた。





ルミナとカミナは今後登場予定ありなり。

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