46 過ち
白き者が逃げ始めて、つまり俺達が追い始めて十分ほどが経過した。
「どこ向かってるかは知らねぇが、逃すもんか」
もうすぐそこまで背中が近づいてきている。
とその時、白き者が俺達の方を一瞬振り向き進路を変えた。
今まではなんとか上空から視認可能な場所を走っていたのに、進路変更先は真ん中だけ木々の生えていないドーナツ状に鬱蒼と木々が茂る森の中。
面白いことに中央部の木々が生えていないエリアと木々が茂ったエリアの広さが同程度。それにまるで切り取ったかのように綺麗な円状、本当にドーナツみたいだ。
『これは……いえ、ですが……』
レアが何か考え込んでいるが、早く追わねば白き者の姿を見失ってしまう。
「落ちる瞬間、風魔法頼むぜ」
「ふぃ!」
ヒトヨの背中から飛び降り、すぐさま森の中に入り辺りを見渡すが、白き者がいない。
「見失ったか!?」
「チュン!」
雀モードに戻ったヒトヨが俺の肩に止まり鳴いた。彼女の視線の先には白き者ーー。
一瞬とらえたその背中を追って、駆ける。
俺のスピードでは本来追いつくことが出来るはずもなく、寧ろ距離を離されてしまうはずが、疲労なのか白き者のスピードが落ちている。
「ふぃ……」
「チュン……」
フィア達が声を上げ、気付く。身体が震えている。ミカを相手取ろうと震えていなかった二人の身体が震えている。
『ーーッッッ?』
アイヴィスもレアの中にいるというのに本能的なものだろうか、何か違和感を感じ取っている。
そしてそんな彼女達と相違なくーー俺も嫌な予感と違和感がしていた。
背中にじわじわと汗が浮かんできて、思考が何処かぼやける程の違和感。
このまま脚を止めて引き返したくなる。
だが、白き者を止めなければただでさえベリーハードモードを歩む俺達が、逃げることすら不可能なデスモードを歩むことになってしまう。
俺は踏み出すことを拒む脚を無理に従えて、白き者の背中を追った。
そして後を追っていると白き者が開けた空間で足を止めてこちらを振り向いた。その表情には相変わらず何も浮かべていない。
彼が足を止めた場所は何処かで見たことがあるような森の中に出来た開けた地。上空から見た中央部分だろう。
上空から見たとき以上にこの何も生えていない大地が広く感じる。距離にして三キロ以上あるだろうか。
「降参、してくれるかよ?」
俺が剣を構えても、白き者はその表情を変えることはなかった。
「知っているだろうか」
問い掛けを無視して、白き者が語り出した。
俺はフィアが魔法で攻撃しようとするのを止め、その話に耳を貸した。
「強き魔物によくある特性として縄張り意識というものがある」
彼の語り口は先ほどまでと同一人物かと判断に困るほどに饒舌だ。そしてその言葉には、明らかに感情が篭っている。
「多くの魔物が跡をつけ、匂いをつけ、縄張りを主張するが、その中でも極僅か『空白』を生み出す事で縄張りを主張する魔獣がいる」
その言葉でこの場所に見覚えがあった理由が分かった。
ーー同族喰らい。あの化け物がいた住処にしていたあの場所。
あの場所も森の中にこうして切り取ったかのような空地があった。違いといえば一本の巨木と岩があるかないか……そして広さ。
あちらが精々数十メートル程度だったのに対して、ここは、
「そしてその縄張りはーー広さによって大凡の強さが判断出来る」
ーー三キロ以上。
地面が揺れる。
「貴様は空を飛んでいて気付かなかったか? この辺りには人っ子一人存在しない。通りすらしない。何故か。何故なら此処は七大国が立入禁止区域に指定しているからだ」
揺れる地面、白き者の背後でその地面が隆起し始めた。
「知っていたか? それとも知らなかったか? 兎角居場所がバレるのは怖かったろう。知っていたとして追跡をやめていたら、私も潔く逃げ切らせてもらうつもりだった。そしてあの方にご報告していた」
大気が、地面だけではなく大気すら揺れている。
「後悔はしても無駄だ。貴様は私に見つかった時点で、災厄に巻き込まれることを逃れる術はなかったのだから」
それに気づいているだろうに、白き者は初めて表情を変え、清々しい笑顔で、
「ーーようこそ、災害指定魔獣アースビオレートの縄張りへーー」
そう宣言した。
[あ、ありえませんッ! 【蝕むモノ】の縄張りは此処ではーー]
伝達を使用したレアが俺の手から浮かび上がり、喚くように言った。その様子は認めたくないものを必死に拒む子供の姿と重なって見えた。
「魔導書よ。これより滅びるであろうその身に一つ、助言をしよう」
白き者の後方で隆起していた地面、そこから小さな山のようなものが飛び出している。
「ふぃっ……!」
「チュンッ……!?」
それを見つけた直後、全身が痺れたかのような感覚に襲われた。否、かのような、ではない。
身体の自由が効かない。全身が震えている。呼吸が荒く、苦しい。
何故か理解できた。魔力が……俺の身体に異常をきたしている。
『クオンッ!?』
「知識とは常に更新が必要なものだーー」
言い終わった瞬間、白き者のその身体が宙を舞った。
その後、彼がどうなったのか、俺は曖昧にしか分からない。
白き者の身体が空を舞ったその時、俺の身体に力が入らず、地面に向かって近づいていたから。
地面から伸びる突起物を見つけた時から、俺の身体に異変が起こった。
眩暈、吐気、頭痛、痺れ、息苦しさ、倦怠、圧迫。
まるで身体が何かを拒絶しているかのように、反応を示している。全身が熱を帯びているのに凍えるほどに寒くて堪らない。
『クオンッ! 転移をッ!』
『ーーッ!』
はっきりとしない意識の中、レアの指示に従い声を出す。
「……て、ん……い……」
確かに言った、か細くも辿々しくも言えたのだ。
しっかりとレアは開いた状態で倒れた俺の掌に乗っている。
だというのに、転移が発動しない。
『ぁあ……魔力が、飽和を……』
理由は分からない。けれど、転移は使えない、それだけは理解出来た。
だから、他に逃げる方法を探さなければ…………ぁあ、フィアとヒトヨの声がしない。
視線だけを必死に動かして、辺りを探せば、そこには倒れた二人の姿。
「ぐっ……ぁっ……!」
……彼奴らは、彼奴らだけでも、どうにか。
動かない左腕に魔力を集中させ、無理矢理手を伸ばし、最後の力を振り絞って気を失っているフィアとヒトヨをレアの上に乗せる。
「……そう……か、ん」
もう顔を動かすことすらできないから、フィアとヒトヨを送還できたのかすら分からない。
『ーーッ!』
『クオンッ、フィアとヒトヨはちゃんと私の中にッ! ですから、どうにかクオンもーー』
……ああ、良かった。
安堵からか、意識が薄れていく。
俺が消えれば、彼女達も消えてしまう。
だからこの安堵は欺瞞で幻想だ。嘘で塗り固めた偽りだ。
それでも、自己満足だとしても、せめて彼女達にはこんな場所で苦しみ抜いて消えて欲しくない。
『クオンッ、すみませんッ……! 可能性に気づいていながらッ、私はッ……!』
薄れゆく意識の中、俺は自らの選択を悔やむことしかできなかった。
ーーああ、俺は何処かで過ちを犯したのだろう。
逃げるタイミングはいくらでもあった。だが俺が判断を過った。
白き者はどちらにせよ、災厄が待っていたと言っていたが、それでも逃げを選択すべきだったのだ。
間違いを犯した。
それがこの惨状を生み出した。
死にたくない、死にたくない、死にたくない。
もう動かない身体に無理をいって、這いつくばってでも、生きていたい。死ぬのが怖い、無様に地面を這おうとも生きていたい。
生きていなきゃいけない。
元の世界に戻って、友達に、家族にーー親友にーー会いたい。会わなきゃいけない。まだ、終わっていないのだ。
召喚獣達がーー彼女達が生きるには、俺が生きていなきゃいけない。俺が死んだら消えてしまう。そんなの……あんまりだ。理不尽だ。
こんな場所で消えて欲しくないじゃない。
消える彼女達を見たくない。
ーー責任がある。彼女達を呼び出した責任が俺にはある。
勝手に呼び出して、勝手に危険な道に引き摺り込んで、傷付けて、それだけでも許されるべき行為でないというのにーー終いには勝手に死なせるなんて、そんなことはさせたくない、したくない。
それにーーレアを一人にさせるわけにはいかない。
彼女に言ったばかりなのだ。
大丈夫だと。
まだ口にしてから一時間も経っていない。
仲間がいると言ったのに……一人になんてさせられるわけがない。させていいわけがない、なのに。
それでも、現実は非情だ。
『……終わらせません、絶対に』
そんなレアの声を最後に耳に残し、地面を掴んだ状態で俺は意識を失った。
まだ閑話等が残っていますが、これにて第二章の本筋は終了となります。
この後、他の視点の話と閑話を挟んで3章に移ります。
モチベーションに繋がりますので、もしここまでの話を楽しんで頂けた方、続きが気になると思って頂けた方は、評価・感想等よろしくお願いいたします。




