43 世界
「ふぅ、とんでもない争いに巻き込まれたぜ」
『私達殆ど関係なかったですね』
身を隠しながら街を離れ、追手がいないことを確認してからヒトヨに乗って三十分程移動した。そこからは街道に沿って歩いている。
「ルミナに利用されたな」
どう考えてもあの狐に化かされたと考えるのが妥当だ。
その真意は定かではないが……ある程度予想は出来る。
色々と不満はあるが、俺があの街に居辛くなったことは間違いない。
だからこうしてまた放浪してるわけだ。
『それにしても最後に渡されたアレは……』
「ああ、アレな」
レアも入っている肩掛けに入れたーーと見せかけてレアに収納したバードニックさんとルミナから渡された物を取り出した。
一つは羊皮紙を丸めた物、確かこちらがルミナがくれた方だろう。そしてもう一つは……。
「丸い、塊?」
バードニックさんから受け取ったそれは一目で何かを判断するのは困難だった。
薄黒い丸い塊。大きさは俺の掌で包める程度、それ以外の特徴といえば……薄らと文字が刻まれていること。
『これは……かなり小型の魔道具ですね。昨日言っていた魔道具の完成品ではないかと』
「魔道具……用途は分かるか?」
『ふむ、「オン」と刻まれていることから恐らく音に関わる何か。この形状ですと音爆弾のようなものではないかと……「バク」でないのが気になりますが……」
へぇ、この文字は「オン」って読むのか。俺はこの世界の文字を読むことが出来ないからな、本当に助かる。
ちなみにだがレアはこの世界に存在する言語は母親に習って、粗方修得しているらしい。その中には数百年前の時代の言語もあるのだとか。普通に凄い。てか、それを教えられる母親が凄い。
『それにしても、バードニック、いえカミナはやはり魔道具にかなり精通していますね。これほどに小さい魔道具を一職人が作るのはかなりの技量が必要ですよ』
「へぇ、長く生きてるレアがそう言うなんて相当だな」
『むっ』
「へ?」
意識したつもりはなかったのだが、長く生きてるという言葉が気に入らなかったらしい。
『……クオンはですね、女性に対しての礼儀がなっていないのですよ。何度も言いますが私は魔導書である前に一人の女性ですよ? 女性に対して年齢の話を振るのは失礼と言うのは常識的に考えればですね』
「はい、すみません」
『ーー! ーーーー!』
「はい、すみません」
何故かレアだけでなくレアの中にいるアイヴィスにまで叱られている。何? アイヴィスも結構長生きなの?
フィアは謝り続ける俺を見て絡まれたらめんどくさいやつだと悟って寝たフリをしている。
おい、お前の寝たふり超下手だからな、気づかれないと思うなよ。
ヒトヨだけが、そういうこともありますよね、と首を羽で優しく摩ってくれていた。
『ですから、クオンにはですね』
「あ、ぁあ! そういえばルミナから貰った紙をまだ見てないな!」
『…………そうでしたね。見てみますか』
「おうよ!」
よーし! 超絶力技で話を逸らすことに成功した。
「何が書いてーー」
「チュン」
羊皮紙に巻いてある糸を解こうとしていたら、ヒトヨが一声鳴いた。
『クオン、検問のようです』
顔を上げて遠くを見てみれば確かに簡易的な門のような建物の前に兵士のような人物が二人立っている。
「……隠れたほうがいいか?」
『……いえ、遅かったようです』
かなりの距離があるというのに二人の兵士は完全に視界に俺を捉えていた。
まぁ俺が相手を見れるってことは相手も俺を見れるってことだ。ニーチェ的な。
しかしこれは……。
(……わんちゃん不味いか?)
『普通の検問であれば、身分確認と通行金を払うだけですが……』
(レアの追手の手がここまで及んでる可能性も否定は出来ないと)
『……正直、私を狙う者の力がどこまで及ぶのか分かりません。母は私に彼等の情報を教える前に、その』
(いいよ、それ以上は言わなくて……まぁ危険もあるってことか)
『……あれほど強大な力を持つ者が何の権力も有していないなど口が裂けても言えませんね』
ただ街の検問では特に問題なかったから平気だとは思うんだが。
どちらにせよ、今から引き返すという選択肢はない。既に見つかっている状態で引き返せば後ろめたいことがあると自ら語っているようなものだ。
最悪、何かあればこの場は力で切り抜ける。Bランク以上の力を誇る戦闘系のアイヴィスも仲間になったから並の兵士であれば逃げることはできる。
(何かあったらよろしくな、アイヴィス)
『ーー!』
姿は見えないが、胸をボスンと叩くアイヴィスの姿が容易に想像出来た。少し頼りないのはこの子が若干ポンコツ混じりだからだろうか。
*
「旅人か?」
検問近くまで行けば兵士の一人が声をかけてくる。
『帝国の鎧……間違いなく帝国兵です』
「はい、一人と一羽旅をしています」
ヒトヨの顎をくすぐりながら返事をする。
「そうか。悪いが身分証を見せてもらえるか? どうも国にあだなす凶悪犯が辺りを彷徨いているようでな」
「これでいいですか?」
凶悪犯という言葉に内心冷や汗をかいたが、表面上は精神安定のお陰で取り繕うことができた。
しかし、凶悪犯って言い方だとレアではないのか? レアは凶悪犯というより凶悪本だし。
「冒険者……ああ、すまんな、問題ない」
「いえいえ。その凶悪犯っていうのはどんな人物なんですかね? 自分はまだ先ほど見せた通り成り立てのDランク冒険者なもので、少し不安で」
「ああ、なんでも大層な罪を犯した〈魔導書〉がよく分からんが逃げ出した? らしくてな。正直、眉唾もんな噂話だと思うんだが、帝国以外にも通達されてるみたいでーー」
ーーああ、最悪だ。想像し得る最悪を引いた。「帝国以外にも」通達……ああ、それはつまり、
レアのーー俺たちのーー俺の敵は、『世界』だ。
何処かで甘くみていた。
一国が相手だろうと、世界は広いから逃げる場所は沢山あると。
……そうか、逃げる場所ですら、容易には見つからないのか。
思考がぼやけて灰色に変わっていく。目の前にいる兵士が何か声をかけてきているが、聞こえない。
初めて知った。これがきっと絶望だ。
精神安定すら塗りつぶし、身体が凍えるように寒くて、膝を折りたくて折りたくて、軍門に降りたくて降りたくて、肩の荷を下ろしたくなる。
ーーそれでも、
『……く、クオン……。だ、大丈夫ですよね……。私達はだって……』
「大丈夫に決まってんだろ」
『ーーッ!』
彼女の声に反応して言葉が出た。
大丈夫なわけがない。
敵は俺なんかじゃ測ることすら出来ないほどに大きくて、高くて、逃げることだってどんなに理不尽で困難か。
だというのに、彼女の境遇を知ったからだろうか。
悲しむ彼女の声を聞きたくない。それがその恐怖心をこれから待ち受ける苦難を上回った。
フィアが腰袋の中から俺の脚に触れた、ヒトヨが首を優しく撫でた、アイヴィスがシャドーをした。
「安心しろ、仲間がいるんだから」
ーーそうだとも、彼女は一人ではない。心強い仲間がいるのだから。
『……はいッ!』
「ああ、うん。そうなんだ、仲間がいるんだ」
……あんた誰ですか? ……というのは冗談で完全に目の前にいる兵士を忘れていた。
今、絶望に絆に、色々忙しいから邪魔しないでくれる?
「なんだ、その大丈夫そうなら、とりあえず、持ち物を見せて貰ってもいいか? そのあと通行料だ」
「あー、ちょっと仲間と相談してもいいですか?」
「えっ、仲間? 今ここにいるのか? さっき一人と一羽旅って」
「えっ、いるじゃないですか。ほら」
首でヒトヨを指した。兵士は不思議そうな顔で俺を見つめている。
「チュン!」
「お前はそう思うか? 確かにそういう意見もあるよなぁ」
「チュン!」
「あー、なるほどな。でもなぁ、難しいところだよなぁ」
「チュン!」
「……えぇ……」
どう見ても使い魔ではなく、ただの雀と会話をする俺に口をぽかんと開ける兵士。
良し、今のうちだ。俺の世評を犠牲に時間を稼ぎ、どう切り抜けるか相談する。
(おい、どうする)
『感動して感極まった後でこういうのも悪いのですが……あの、帝国兵の目がとんでもなく哀れみを帯びた目に……』
(いいんだ。そういうこともある)
『そうですか……。でしたら一つ考えがあります』
(何だ?)
『この哀れみと心象を利用することにしましょう』
(ほう、聞こうか)