42 姉妹喧嘩
「約束した時間に来ないから、探ってみりゃ……ルミナ、今回ばかしは流石に度が過ぎてるぜ」
節々に憤怒の感情が篭っていることはその場にいる誰もが気づいたことだろう。誰かがゴクリと唾を飲んだ。その音がやけに部屋に響いた。
先程まで騒がしさに満ちていた部屋が、実質彼女、バードニックさんとその妹、ルミナ・ベンデルーンの舞台へと変わっていた。
「そうかな?」
「そうだろ。じゃあクオンになんの罪があるってんだ?」
「罪っていうか、私刑だよ。それに、権力に背くってことはそうゆうことでしょ」
「何がそういうことだよ。一切筋が通ってないだろうが」
バードニックさんが苛立ちをぶつけるように床に向かって足を叩きつけた。その行動に兵士と秘書がびくりと震えた。ちなみに俺も震えた。
「筋? 誰に通すの? それ。
目の前にいるクオンかい? 帝国の覇者たる皇帝かい? それともーー商会を去った姉さんにかい?」
失笑。大人が子供に言い聞かせるよりも大人げなく、不憫な者を見るかのような目で、ルミナ・ベンデルーンは説き伏せる。
「勝手に去って、勝手に戻ってきて文句言って、自由は素晴らしいね。で? カミナ姉さんは筋を通したのかい? クオンに、僕にーー父さんと母さんに」
「…………通せてない」
「くくっ、そんな人が筋だの語るなんてお笑い種にも程があるんじゃないかい?」
「……ないから……」
彼女は確かに「去った」のだろう。でも彼女は「逃げた」わけではない。そう自分で語っていたのだ。
「まだ通せてないから、通しに戻ってきたんだよ!」
清々しいまでに爽快で、なんて豪胆なものいいだ。
「くくっ、そっか。やれるものならやってみればいいさ」
「ルミナに言われるまでもなくやってやるッ!」
二人の掛け合いに今まで固まっていた兵士と秘書の間にざわざわと喧騒が広がっていく。
「おい、これまずいんじゃないか?」
「止めないとじゃ」
「お、お前が行けよっ」
「カミナ様とルミナ様を止められるものがここにいるわけないだろっ!」
慌てる兵士。しかし慌てるだけでは事態が変わるわけもなく、始まったのはーー。
「オラッ!」
「ぶへっっ!」
ルミナの頬が下から叩き上げられ、身体が浮いた。
「こうやって一発ぶん殴って、思い上がりをぶっ壊してやんだよっ!」
……えぇぇ。野蛮過ぎない?
「こ、このっ!」
「ぐっ!」
ルミナが何とか立ち上がり、同じように頬を殴り返すが明らかにバードニックさんに比べて威力が低い。
「妹だと思って! 傍観してるだけじゃダメだった! お前はこんなこと父さんと母さんが望んでると思うかよっ!」
頭が僅かに後ろに下がる程度にしか影響のなかったバードニックさんが再度ルミナに拳を振るう。今度は先ほどよりも振りかぶりが大きい。
「ぐっぉ!」
「これからは見てるだけじゃない! ただ作るだけでもない! 隣に立ってお前が間違ったらこうやってぶん殴って止めてやるッ!」
背を地べたにつけ、勢いよく倒れ込んだルミナを見下ろしてバードニックさんが叫ぶ。
「……や、やられっぱなしは性に合わないんだよねッ!」
覚束ない足元のまま立ち上がり、気力だけで拳を振るうルミナ。それを顎で受け止めてバードニックさんは再度拳を振りかざす。その両者の口元はじっくりと見なければ分からない程度に上がっていて。
……これはきっと不器用な彼女たちなりの気持ちを伝える方法なのだろう。やってることはただの姉妹喧嘩だけど。
「ま、まずいっ! 流石に止めないと!」
「行くぞ! ルミナ様が死んじまう! カミナ様を止めろっ!」
兵士達がバードニックさんの動きを必死になって止める。ルミナはバードニックさんの身動きが取れないのをいいことにもう一度殴りかかっている。本当にお互い商人だろうかと疑いたくなる程にタフネスでパワフルだ。
「邪魔だっ、どけッ!」
あっ、一人飛んでった。あっ、二人、三人目も飛んでった。
『クオン、今の内に』
(おうよ)
息を潜め、声を殺し、静かにその場を立ち去る。そろりそろり。
「見ろっ冒険者が逃げるぞ! 一応捕まえておぶへっ!」
兵士に見つかった……と思ったらバードニックさんに蹴飛ばされて飛んで行った。
「ウチを無視してんじゃねぇ!」
「いや無視とかじゃごはっ!」
あ、また飛んでった。
「お前ら! 冒険者も一応逃すなよ!」
「おう!」
うへー。これはさっさと逃げるに限るぜ。
『ーーッ』
何か重要なこと伝えようとしているのかなって思ったら、この緊急時にアイヴィスはシャドウボクシングをしているようだ。……もしかしてアイヴィスってポンコツ?
「「クオン」」
バードニックさんとルミナが俺の名を二人揃って呼んだ。ハモったのは偶然なんだろう。この慌ただしい事態の中だというのに二人は羞恥を顔に滲ませた。
「これ、持ってけ!」
「旅のお供さ!」
それぞれが俺に何かを投げてくる。それを受け取りレアも入っている肩掛けに放り込んだ。
「あんがとさん! じゃ、二人とも仲良くな!」
それは無理な相談だ、と言う二人に手を振って俺は扉へ向かう。
「こうなったある種の原因だ! 責任を何とかゴホォ!」
「セイッ!」
「い、いや何でルミナ様が殴るんですか!?」
「僕だって書類仕事だけじゃないことを証明したくてね!」
「いやいやいや、おかしいですってどふぇっ!」
「カミナ様!? 私です、秘書のイルミーノでくほっ!」
暴れる二人が気を引く中、扉の方へ移動すれば、扉の前にはいつのまにか見知らぬ男性が立っていて、
「こちらです、どうぞクオン様」
「ふぇ? あ、ありがとうございます」
二人のおかげか、あっさりと扉を抜けた俺は、兵士の悲鳴とバードニックさんの怒号、ルミナの上機嫌な声を後ろに佇まいが凛々しい男性に案内され、そのままとんずらしたのだった。




