32 紫
「これが御依頼の天鋼です」
「あ、ありがとうございますっ! すいません何度も何度もっ」
ぺこりぺこりと頭を下げるバードニックさん。その特徴的な紫の長髪が何度も揺れる。
二度目の依頼で何度も何度もって程じゃないだろと思うだろうが、これは二度目の依頼ではない。計五度目になるバードニックさんからの個別依頼だ。
一度目の依頼を達成した翌日、二度目の依頼を俺は無事達成。しかし待っていたのは三度目の依頼だった。それを繰り返し、今が五度目。
魔石は手に入るし、報酬がいいから受けてはいるが、だんだんと依頼難度が上昇傾向にある気がしてならない。
一度目の依頼はご存知の通り、光日木。場所は洞穴でDランクの魔物しか出現することはなかった。
三度目の依頼は、大尾蛙の頬袋。場所はかなり離れた池寄りの沼。大尾蛙はCランクの魔物、しかも機動性に優れ、遠距離攻撃も持ち合わせていたので非常に苦労した。
そして今回の依頼、天鋼。今回はさらにグレードアップし、Cランク中位の魔物複数体に同時に襲われた。一度目の依頼と違い、洞穴等の狭い場所じゃなく開けた大地だったため、ヒトヨが戦えたから何とかなったが、狭い場所であったら死にはしないまでも重傷は免れることはできなかっただろう。
どう考えても、依頼の難易度が上がってきている。もしも次に依頼されることが有れば、Bランクの魔物の素材を依頼されてもおかしくない。
気づかれないようにバードニックさんの様子を窺った。彼女は報酬を数える俺をニコニコと笑顔で見守っていて、そこには悪意や敵意、邪心がある様には到底思えない。
ただ何か窺い知れぬ底知れない何かを感じて、若干どもりながら俺はバードニックさんに声をかけた。
「さ、流石にまだ欲しい素材があるってことは……」
「じ、実は、まだ最後にお願いしたいものがっ」
うげっ。まだあるのかよ。別にいいけどさ。
「それってもしかしてBランクの魔物の素材だったりしません? 流石にそうなると厳しいんですけど」
「い、今は内緒にさせてください。三日後、またいつものように店に来てください。その時にお話を」
「今じゃなく三日後?」
「はい、お願いします」
普段よりも何処か落ち着いた調子で俺にそう語る彼女。
その喋り方と雰囲気から真面目な話があることは俺でも分かるほど明白だった。
三日後……確約は出来ない。俺達は追われる身で、明日にも、いや今この瞬間にもこの街を去らねばならない事情が出来る可能性だってある。
確約は出来ないが……。
「絶対とは言い切れないすけど……来れるよう頑張ります」
「はいっ、お願いしますっ」
調子を取り戻すように再度、俺に願うバードニックさん。その顔に浮かぶのは、普段のお淑やかな柔らかな笑みでは無い。悪戯っ子のような無邪気な笑顔。
そんな顔を見れば、俺は聞かずにはいられない。
「……バードニックさんって本当はこんな性格じゃないでしょ?」
「……さ、さぁ? なんのことやら」
でも、三日後にもしかしたら分かるかも知れませんよっ? と言って俺を挑発的に見つめる彼女。
俺はそう言われれば、肩を竦めることしかできなかった。
さてさて、どんな依頼が来るか皆目見当もつかないが、やることは変わらない。
俺の目標は、裕福な生活をすることでも、権力を振りかざすことでも、女を抱くことでも無い。そんな生活に憧れないと言えば嘘になるが……特に最後のやつ。
今はただひたすらに、レアと、そして召喚獣達と生き残り、俺の元の世界に帰ること。
だから、最悪の事態が起これば、惨めに情けなく逃げるだけだ。
*
帝国某所。
シンプルながらに気品が見え隠れする部屋にて、二人の人物が会話をしていた。
一人は女性、高そうな椅子に深く座り脚を組んでいる。もう一人は男性、女性の目の前で姿勢を崩すことなく立っていることから女性よりも立場が下のものだというのが一見して判別できる。
「そう思えば、まだ帰ってこないつもりなのかな?」
女性が自身の紫の短い髪先を指で弄りながら、目の前の男に愚痴るように問いた。
「……恐らくは。有言実行を地で歩む人ですから」
「はぁ、ああいうのは意地っ張りって言うんだよ。ったくめんどくさい性格だなぁ、全く。彼此三ヶ月になるんじゃない? ほんとめんどくさいなぁ」
やれやれと大袈裟に溜息を吐く女性に、男は内心でめんどくさいのはどちらなのやらと呟いた。
だがそれを口に出すことは決して無い。当然だ。目の前の人物は、自分の首をいつでも切ることのできる人物なのだから。
男にも家族がいる。こんなくだらぬことで職を失うわけにはいかなかった。
「嫌がらせも効いてないみたいだし……」
「ところで私は何故呼ばれたのでしょうか?」
話を変えねば、小一時間は彼女の愚痴を聞かされるハメになる。現にまだ未熟であったころ、何度も愚痴に付き合わされた。
苦い思いをしたことがある故に男は単刀直入に自分が呼ばれた理由を聞いた。
女性は一瞬、つまらなそうな顔をしたが、そこまで気に留めることでもなかったのか机に肘をつき話し始めた。
「ああ、実はさ、この子の素性を調べてくれないかな」
そう言って渡されたのは、名前らしき文字しか書かれていない紙。
「名前だけだけどさ、珍しい名前だし何とかなるでしょ?」
「……流石にこれだけでは」
「だいじょぶだいじょぶ。この街にいる冒険者の子だから」
……ああ、これは全部知っているな、これまでに数度同じ経験をさせられたことのある男は直ぐにそう悟った。
目の前の上司の癖のようなもの。自分で情報を得て調べ、確信を得た後に再度部下に調べさせるのだ。
経験している故に、次の言葉を察することもできた。
「ちなみに他言無用だよ? 三日以内で調べてね」
悪戯を企むグレムリンよりもずっと悪い笑顔を浮かべている。それは男に向けられたものでなく、この名前の人物に向けられたものなのだろう。
男は思う、何をやらかしたのか分からないがこの名しか知らぬ男のこの先がただ平穏で済みますようにと。
その男ーークオンという名の男に向かって静かに祈りを捧げた。