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2 見知らぬ地

 


「どこだよ、此処」


 目の前に広がるのは大自然。

 辺りを見渡しても何も無い。いや当然木とか石とか草はあるし、あると違和感の方が勝る森も視認できる範囲にあるけれど、民家とかコンビニとかそういった類のものがね。


「マジでどこだよ」


 本から女性の声が聞こえたと思ったら、身動きも取れないまま光に包まれ、気がついたら此処にいた。

 誰かに話したら気狂いを疑われそうな内容だが、実際にそうなのだから仕方がない。


 本当に何処なのだろうか、此処は。見渡せど見渡せど広がるは平原アンド森。こんな何もない場所が俺の近所にあっただろうか。俺の住んでる場所は多少田舎ではあったけれどこんなド田舎ではなかったぞ。


「此処がどこか教えてくれるか、元の場所に戻してくれませんかね。黒本さん」


 そう言って俺の手に握られる一冊の本に問いかけるがため息の一つも返ってこない。


 そう、それは先程の黒い本だ。


 この本は此処に飛ばされた? 時に一緒についてきたらしく、俺の足元に転がっていた。


 どう考えても今こうなっているのはこの本のせいなので、解決の糸口になるやもととりあえず持ってきたのだが……。


「おーい、さっきみたく喋ってくれませんかー」


 全くと言っていいほど反応がない。

 本を開いてみれば何かあるのかも知れないが、また変な場所に飛ばされてしまうのではないかという恐怖心が俺をその行動に移させない。自制心みたいなものが働いている。


 原因は分かっているのに何も出来ないもどかしさ。なんだろう、背中が痒くて掻くけど微妙に手が届いてないみたいな、そんなもどかしさだ。まぁ、孫の手や猫の手があれば解決する悩みでもないけれど。


 しかも生憎なことに今の所持品はこの黒本のみ。スマホでもあればGPSだなんだで場所が分かったものを、机に置きっぱだったからなぁ……。


「とりあえず、暗くなる前に歩くか」


 まだ空は明るい。太陽が高いところを見ると夕暮れまではかなり時間がありそうだが、歩き始めるならそれでも早いに越したことはないだろう。


 そこら辺に落ちていた枝を垂直に立て、倒れた方向に進む。


 歩きながら数分おきに黒本さんに語りかけるが、やはりというべきか一切返事はない。

 早く帰ってレポートやらなきゃいけないってのに。期限明日なんだぞ。明日。


 つーか、凄いな俺。レポートのことを考える余裕など普通あるはずもないだろうに。何故だか不思議と落ち着いている。










 歩き始めて体感で一時間近くたった。時計すら無いから時間も分かりやしないけれど。


 景色は相変わらず代わり映えしない。代わり映えしないのだが、問題が一つ。


「腹が減った……」


 レポートを書き上げてから出前を取るか、食べに行くつもりだったため、朝から何も食べていないのだ。ここに来てかなり空腹がキツくなってきた。


 そこら辺に生えている木の実でも、食べるべきなのだろうか。と考えもするが、未知の場所で見知らぬ木の実を食べる勇気を今の俺は持ち合わせていない。

 緊急事態ならば、やむを得ず食べることになるだろうが……そこまで切羽詰まっていない。人間は三日だか、一週間だか、食事をしなくても生きられると聞く。今は遠慮しておこう。


 …………やっぱり念の為、ポケットに三つぐらい入れとこう。


 ポケットを膨らませ歩く。詰まっているのは希望でも夢でもモンスターでもなく、正体不明のきのみである。見た目はイチジクに似ているが、皮にある斑点模様が食べる気力を失わせる。


 あるけどあるけど、といっても十分やそこらだが、やはり景色は変わらない。


「マジでどうなってんだ、田舎にも程があるだろ……」


 道は舗装されてないし、人も居ない。いやこれ同じ場所ループしてる可能性は……いやないな。あんな場所に蜂の巣がある木と馬鹿デカい熊なんかいなかったわ。


「あ?」


 熊!?


 ……いや落ち着け、大丈夫。かなり距離は離れてるし、熊ちゃんは蜂蜜さんに夢中。大丈夫、静かに離れよう、静かに、静かに……。


 静かに後退していく俺と、蜂蜜を食べ終わり満足そうに口元を舌で舐めていた熊さんの目が一瞬、チラリと合った。


「ガルッ?」


「……あっ」


 お互いに十秒ほどの沈黙。


 …………ニコッ。


「グルァアアアア!!!」


「うひっ!?」


 ふざけんな、俺全く音出してないだろうが!! スマイルあげただけじゃねぇか! それが原因だって? うるせえ!


 熊がものすごい勢いでこちらへ向かってきている。口元に蜂蜜をつけているから可愛らしい……なんてことは全くなく、四足歩行状態で俺より頭一つ半分小さい程度の大きさ。立った状態ならば恐らく三メートルを超えているだろう。馬鹿デケェ。


「クソッッ!!」


 災難にも程があるが、今はそんなこと言ってる暇はない。兎にも角にも逃げなきゃ、死ぬ。


 走りには自信があった。これでも俺は昔、陸上で県大会まで行ったことがあるのだ。

 しかし熊はそんな俺の全力疾走を優に上回るスピードで迫る。野生の動物を舐めていた。舐め切っていた。


「パワーがあってスピードもあるとか、ズルだろうがっ!」


「ガウゥゥ!!」


「まだ死にたくねぇ! 見逃してくれぇぇぇぇええ!!」


「ガウ」


「え? 良いの?」


「ガウゥゥ!!」


「騙しやがったな! この野郎!」


 先程まで満足そうにしていたくせに、今は飢えたような表情で俺を追ってきている。


「もしかして、この木の実のせいかっ?」


 先程もぎ取った木の実をポケットから出し、地面に落とす。


 チラリと背後を確認すれば、熊は木の実を一口で頬張り、即座に俺を追ってきた。多少の時間稼ぎにしかなっていない。


「人肉の方が好みとは趣味が悪いにも程があんだろ!」


 全力で走り始めて三十秒足らず。息が上がり始めて、肺に痛みが走る。

 懐かしいこの感じ、持久走大会後半のアレだ。喉から溢れ出す唾がだんだん血の味に変わっていくあの感じ。懐かしいなぁ……なんて、浸ってる場合じゃない!


 障害物を求めて今まで意図的に避けてきた木々が鬱蒼と生い茂る森へと入り込む。

 このまま走り続けても俺のスタミナも相まってすぐに追いつかれて、美味しくいただかれてしまうのが関の山だ。


 森ならば木が邪魔をして、そう簡単に追ってこれまい。


 ……と、思ったんだが……森に入り込み少しして背後を振り返れば、木々を最も容易くへし折り猪突猛進する熊の姿。猪突なんだから熊が猛進してくんじゃねぇよ。


「テメーはイノシシじゃねーだろっ!」


「グルォオオオオオオオオ!!」


 最悪だ。俺は木々を避けて移動しなきゃいけないのに対し、あの熊野郎は直進できる。これじゃ森に入った意味がないどころか、マイナスだ。


「はぁ、はぁ、くっ、だぁああああ!!」


 悲鳴を上げる脚と肺を無理矢理酷使する。このままだと本当に死ぬ。


「グルァアアアアアアアアア!!」


 熊の叫び声がやけに近くで聞こえたと思ったら、本当にすぐ背後にいた。しかもスロースターターらしく、先ほどよりもスピードを上げている。


 自動車ばりの重量を誇るであろうその巨体を活かした純粋な突進。

 その攻撃は単純故に強力で避けづらい。


「くっ!」


 突撃をなんとか横に飛び込み、躱す。しかし、疲れと緊張で硬直する身体を無理矢理動かしたためか、受け身すらまともに取れず、木に身体をぶつけた。


 痛みが思考を僅かにぶれさせたが、それでも即座に立ち上がり、熊を正面に見据えた。


 こんな無茶な避け方をしていたら、すぐに身体が限界を迎えるだろう。それどころか、体勢を崩した直後にもう一度突撃されればそれでおしまいだ。


 骨は粉々、そして粉々になった骨以外美味しく頂かれてしまう。



 熊は躱されたことが気に障ったのか、雄叫びを上げて俺の方を睨み付けている。


 そして勢いづけるためか、後脚で地面を数度蹴るーーーー。



 まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずい!!


 このままだと本当に死ぬ。


 死ぬ。


 死。


 今まで実感したことのない恐怖が背筋を走る。此処にきて初めて、焦りと恐怖が俺の心を徐々に侵食していく。


 打開策を必死に探し、辺りを見渡す俺の視界に今の今まで握り続けてきた黒い一冊の本が目に映った。


 ……この本だ。


 この本が原因で俺はこの未知の空間へと移動した。なればもう一度見返しを開けば、この場から逃げられるのでは……。


 危険な賭けだというのは分かっていた。


 それでもやらないという選択肢は俺の中に存在しなかった。



「頼むぞっ、本さんよぉ!」



 そして俺は熊が今まさに走り出そうとしているこの瞬間に、本を勢いよく開いたのだった。




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