16 ミカ
ちょいと短め
「やあ、久しぶり。最後の魔導書兵器、コントレアサモンス」
その男は俺など目に入っていないかのように、そしてそれがさも当然であるかのように、どうみても本にしか見えないレアの名を呼び、薄い笑みを浮かべ話しかける。
レアは逃げてくださいと言っていた。だが、俺は逃亡という選択肢を取ることができなかった。
コイツを見極めようとしている? 違う。
目の前にいるコイツが怖くて動けない? 違う。何も知らないこの男の何を恐れる。
ただーー逃げられる気がしなかった。
どう逃げても、追いつかれる。そう確信めいた予感のような何かがあった。背中を見せて全力で駆けようと、隙を突いて己が身を隠そうと、ありとあらゆる逃亡方法が封じされている気がして……。
だから、俺は動けない。
生き延びるために、逃げられる可能性が生まれるその一瞬間をーーただ待つことしかできない。
「こんな場所にいるとは正直予想外だったよ。僕以外はみんなまだ魔国か公国周辺を探しているぐらいだ。上手く巻いたね」
レアが喋らない。否、喋れない。それは俺が動けない理由とは異なり、純粋なる恐怖から。何があったかは分からない、分からないがそれ相応のことをされたということは理解できる。
そんなレアの違和感と相対する人間の強さを感じ取ったフィアとヒトヨが動こうとするが、目で、雰囲気だけでそれを止める。
まだ、まだ、まだ動いちゃいけない。
「返事がないと少し寂しいけど、転移に魔力を使いすぎたのかな? 僕はてっきり異世界に行ったものだと思ったけど、長距離転移だったとは思わなかったよ。皆異世界に行ったと思って、戻ってくるその時を狙っているというのに、流石にあのーー」
そこで初めて俺と青年の目があった。
綺麗な瞳だ、その外側だけは。だが、その瞳には光が……いいや、生が宿っていない。まるで出来過ぎた人形だ。言いようのない薄気味悪さが蛇のように背中を這いずり回るのを止められない。
「へぇ、やっぱり予想は当たっていたんだね。異世界で適性者を見つけてきたわけか。黒髪黒目、勇者と瓜二つの特徴。勇者と同じ世界出身かな?」
問い掛け。俺に向かって投げられた問い。答えるべきだ、答えなくてはいけないと分かっている。目の前にいる人物の機嫌を損ねるなと、肺が、脳が、心臓が、全身が訴えかけてくる。
それでも、喋りたくない。コイツと喋ることを心が拒んでいる。勝てないと、何をしても死ぬだけだと、心が訴えかけている。
それでも俺は。
「……勇者って奴と会ったことがないから判断は付かないな」
ただ生存というそれだけを、手繰り寄せるため、震える声を誤魔化して、最善を尽くすことしかできない。
「ふーん、君が契約者?」
「まぁな、俺はクオン。アンタの名前を聞いてもいいか?」
上擦りそうになる声を必死に低く取り繕い、決して相手をたてなどしない。
余裕があるように振る舞え、俺には隠している何かがあり、絶対的な自信があるように。
そうすれば下手に手を出せない、筈だ。
「うーん、僕は明確な名前が無いんだけど……そうだね、度胸に免じて特別にミカと呼んでいいよ」
ミカ? 男じゃないのか? いや名前はないと言っていた。ミカという名前に拘って固定観念を作るな。それに女だとしても、やることは変わらない。
「……ミカ、アンタは、レアの知り合いか?」
「レア? ……もしかしてそこの魔導書兵器のこと? へぇ、魔導書兵器をそんな風に呼ぶなんてよっぽどだね」
「よっぽど?」
「そう、よっぽど、だよ」
疑え、俺に隠し球があると。疑えば疑うだけ、俺に考える時間が与えられる。
「契約者なんだ。当然、権利はあるだろうよ。実力が伴っているか、それは定かではないけどな」
「自分ではどう思うのかな?」
「ない、とは言い切れないな」
人形のような瞳に嘘を吐けば見抜かれる気がして、誤魔化すような答えしか返すことができない。
「自分の実力を自分で判断するのはどれだけの達人でも案外難しいだろ」
「……君じゃあそうかもね」
その返答で分かってしまう。
ああ、もうきっとバレている。
俺に隠すほどの実力がないことなど、とうにバレている。ただの虚勢で、哀れな嘘だとバレている。
きっと目の前にいる本当に力を持つ者からすれば、力を探ることなど部屋に電気を点すが如く簡単で……だけど、そうだとしても、足掻くことをやめられない、止めてはいけない。
「アンタはどうなんだ?」
「教えたくないかな」
明らかに俺に興味を失いつつある。それどころかもう半分興味を失っている。
だが、まだダメだ。せめて逃げられる可能性が僅かでもある妙案を思いつくまでは。
「……ところでミカ、勇者の名前を聞いてもいいか? 聞けば大体、俺の同郷かどうか判断出来る。気になるんじゃないか?」
俺が苦しげに出した話題。それを聞いた瞬間、ミカの視線が俺から離れた。それすなわち、俺から興味を失ったって事で。
「それもいいけどさ、時間の無駄じゃないかな? それになるべくあんなーー世界を体現したかのような存在語りたくもない」
ああ、憎むぞ、勇者。
「僕はそんなことより知りたいことがあるよ」
ゾッと背中を嫌な汗が滝のように流れ落ちた。
明らかに不機嫌になったミカを見て、勇者の話題、それは間違った選択だったのだと一瞬で悟り、
そしてミカは、
------君の強さだよ、
そう呟いた。
「ヒトヨッ!」
瞬間、俺は叫んでいた。意図を察したヒトヨが鷲モードへと変化すると同時、俺は今にも飛び羽ばたかんとする彼女の背に跳び乗った。
「フィア!」
「ふぃー!!」
フィアが俺の服から顔を出して、風魔法でヒトヨのスピードを推進する。
俺は急ぎ、一言も喋らないレアを開きーー。
『ダメですッ……!』
「甘くないかな?」
刹那、頭蓋が割れたかと錯覚するほどの衝撃が頭部に走り、地面に叩き落とされた。




