13 森の調査依頼
「森の調査依頼?」
「はい、最近森に入る機会が多いクオンさんなら何か分かるのではないかと」
俺が異世界アステントに来て、一ヶ月ほどが経った。
最初はどうなるかと思った異世界生活も、一ヶ月も経つと慣れたもので案外生活できている。
冷たい水で身体を洗うのも、テレビやスマホがないのも、夜になると月明かりや星灯り以外に目立った光が消えるのも、慣れてしまうものだ。
「どうも、森の外側に魔物が溢れてきているようなんです」
「……確かに。最近は多い気がしますね」
「ただ、Cランクの冒険者を動かす程の依頼とは判断出来ず、Dランク且つ新鋭気鋭であるクオンさんに白羽の矢が立ったわけなのですが……」
「新鋭気鋭……」
……俺の悪いクセだろうか。純粋に褒められているのは分かっているのだが、どうも曲解して……いや、ただ捻くれた受け取り方をしてしまいそうになるのは。
この街にはヴァイガス達を含め、Cランクの冒険者が十人程しかいない。定住しているBランクなんてゼロだ。
それはこの街周辺には、強い魔物が出ないことに由来している。そのせいでこの街のCランクの冒険者は一度出掛けると基本的に最低でも三日ほど帰ってこない。
そのためか、この街ではCランク冒険者への依頼は他の街よりも割高だ。Cランク冒険者に依頼を出したくない理由も頷ける。
ヴァイガス達パーティもつい先日、十日間ほど留守にすると言って出て行った。
俺と検問で出会った時も、かなりの長期遠征の帰りだったそうな。
ここ最近、長らく留守にすることがなかったのは、この街周辺への三日程度の遠征で体力や調子・装備なんかを整えていたからだ。
そんなこんなでCランクにはなるべく依頼を出したくない。
だから、最近頑張ってる俺、という訳だ。依頼を受ける回数が多すぎて金に困ってるとでも思われたか? ……実際に困ってはいるが。
つーか、金はあればあるだけ困らないからな、と貧民が言っても説得力はないか。
「で、その、ですがの続きはなんです?」
「ーー安全の保証は出来ません。可能性は非常に低いですが、Bランク以上の魔物があの森を根城に決めた可能性も考えられます」
魔物が溢れる。その原因の多くは、強い魔物が現れたからだ。魔物の世界も、人の世界と同じく、いやそれ以上に弱肉強食。弱き魔物は強き魔物に居場所を奪われる。共存なんて、そう簡単には起こらない。
「Bランク……俺じゃ逆立ちしても勝てないっすね」
「間違いありません……と言いますか、仮にBランクの魔物がいたとしたら、この街の冒険者では荷が重いです……。他の街から救援を呼ぶ、若しくは臨時の大規模パーティを作りでもしないと、ですよ」
もしも仮に、Bランク以上の魔物が根城にしていた場合、Dランクの冒険者じゃ逃げることすら困難だろう。ランクは一階級違うだけで強さの桁が変わる。それが二階級も変われば想像に難くない。
遠回しに受付嬢は受けるべきでないと言っているのか。
「断っても良いってことですよね?」
「はい。……ここだけの話ですね」
顔を寄せて受付嬢さんがいうには、どうもこういう事らしい。
ギルド長と領主の元に森の外周部に魔物が溢れているため、もしかしたら中央部に何かあるかもしれないという報告が何件も来る。
しかし、不確定なためあまり高いランクの冒険者に依頼を出したくない。何故なら依頼料の桁がDランクとCランクでは違うから。
Dランクに様子を見にいかせて帰ってこなかったらCランク以上の冒険者に行かせよう。
で、別に居なくても困らない最近Dランクになったばかりの俺が選ばれる、と。
Cランク冒険者を動かすほどの事態ではないと判断したわけではなく、取り敢えず金をケチり、最悪犠牲が出たら金を掛けようと言う、まぁ合理的っちゃ合理的な決断だ。
「ですので断っていただいて構いません。確かに他のDランクの依頼よりは割高ですが、危険性はそれ以上ですので。何よりクオンさんはまだDランクに上がってまだ日も経っていないですし、若いです。命は大事に、で行きましょう」
「……大丈夫なんですか? 受けさせるよう言われてるんじゃ」
正確には俺限定ではないだろう。俺が断れば彼女は別の人に紹介して、また同じように……いやもしかしたら紹介すらしないかもしれない。
本来、割の良い仕事として受けさせるべき依頼。それを受諾する者がいなければ、ギルド長も違和感に気づく。
「命のほうが重要ですよ。それに折角の将来有望なルーキーを死なせるなんて冒険者ギルドに勤める者として許せませんから」
「……死なせるなんて許せない、ですか」
「はい。許せません」
ニッコリと太陽の如き笑顔を浮かべる受付嬢さん。
……最初にこの街に来た時みんながみんな優しかった。
でも、それは俺が盗賊か魔物に襲われた悲惨な人生を歩んでいる可哀想な人だからそう思ったから優しくしてくれたんだと思っていた。別にそれが嫌だったわけじゃない。でも、そうなのだと、事実としてそう受け止めていた。
けれどそうじゃない。
可哀想だからじゃない。
ヴァイガスも武具屋のおっさんも受付嬢さんもみんながみんな、純粋にいつも優しかった。
「やりますよ」
世話になった。
武具屋のおっさんや屋台の人達には懇意にすることで少しずつ返している。ヴァイガス達にはいずれ高級ディナーを奢ることで返す予定だ。検問をしていた門番さんにはこの前偶然会ったから酒を奢った。
だが受付嬢さんには何もしていない。恩は返さねば。借りを作ったままなどごめんだ。男が廃るなんて格好つけたもんじゃない。心に罪悪感が残るのが嫌なのだ。
「……人の話聞いてましたか?」
「どうせ誰かがやることになるんすよね。それなら俺が行ったところで変わらないじゃないですか」
「クオンさんはまだDランクーー」
「DランクはDランクでも新鋭気鋭で期待のルーキーっすよ」
俺がそう言うと、一瞬ポカンと呆けたような表情を作り、徐々に苦虫を噛み潰したかのような表情へと変わっていった、きっと過去の迂闊な自分の発言を悔いているのだろう。
「俺、逃げ足には自信があるんですよ。逃げるだけならBランク相手でもやって出来ないことはないっすよ」
この言葉は半分嘘で半分本当だ。
俺にはフィアとヒトヨ、それにレアがいる。きっとどのDランク冒険者よりも生存という意味では俺が適任なのは間違いない。
ただBランク相手からは恐らく逃げられない。逃げられたとしても無傷では済まないだろう。
それでも、Dランクの中であるのなら俺が適任だ。
「……はぁ、私が悪かったです。最初から話さなければ」
「大丈夫っすよ。俺は将来有望なんで。何もない可能性だって十分にあるんすよね」
「それは……ありますが」
「じゃあ問題ないですよ」
俺は依頼書を机の上から取る。
「……頑張ってください」
そんな小さな呟きを耳に残し、俺は冒険者ギルドを出た。
『ふむ、何故依頼を受けたので?』
レアが森に向かう俺に問いかけてくる。
「受付嬢さんへの恩返し」
『それだけですか?』
「と、実力確認と魔石確保」
当然、受付嬢さんへの恩返しも理由の一つではあるのだが、そのほかにもそんな理由があったりする。
この世界に来て一ヶ月。日々、少しずつ強くなる俺達。
俺はついこの間、Dランク中位の魔物を一人で討伐することができるところまで成長した。危なげしかなかった記憶しかないが、それでも、俺一人で勝利をもぎ取れたのだ。確実に、強くなっている。
そしてフィアもヒトヨも体感ではあるが着実に強くなっている。 むしろ俺より成長してるまである。
この付近ではCランクの魔物は滅多に出ない。故に力を試すことは難しい。だから最近少し悩んでいたのだ。
この街を離れて、もう森国へ行くべきかと。
しかし、まだ強さも十全とは言えない。
よって決心出来ずにいた。
そんな時にやってきたのがこの依頼だ。
受付嬢さんへの恩返しがなければ受けることは無かっただろうが、せっかくの機会だ。
俺達の強さがどの程度の魔物まで通用するのか試させてもらおう。
勿論、勝てなさそうであれば、逃げに徹するつもりだ。
フィアの魔法で開けた場所を無理やり作り、ヒトヨに掴まるか乗って逃亡する。これならば余程の事がない限り、逃亡に失敗することはないだろう。
っとまぁこれは高ランクの魔物がいる前提の話だ。当然いない可能性だってある。それどころか、そっちの可能性の方が高い。それはそれで、楽だから構わないのだが。
「そろそろ警戒を強めてくれ。フィアは特に頼むぜ」
「ふぃー」
何時もよりも控えめに返事をして辺りを警戒してくれるフィア。なんとも頼もしい。
フィアに頑張ってもらわなければいけない理由は一つ。
「チュン……」
ヒトヨの空中からの索敵が木が鬱蒼と生い茂る森中央部では使えないからだ。外周部ならまだ木々の間に隙間があるから使えるのだが。
「気にすんなよ。戦闘では頑張ってもらうからさ」
「チュン」
頑張りますよと俺の肩の上で飛び跳ね、辺りをキョロキョロと窺うヒトヨ。
(レアも俺たちが見落としていたら頼むぜ)
『はい、任せてください』
こちらも何とも頼もしい。
さて、ここからは本気で警戒して行こう。もしもBランクの魔物がいるのだとしたら、一瞬接近に気付けなかっただけであの世行き。
「……」
今日の森は本当に静かだ。
昨日まで外周部にあふれていた魔物達も、今日は何時もより少ないぐらいだった。
呼吸音がうるさいぐらい、辺りには静寂が広がり、風すら吹く事をやめている。
一歩一歩の歩みすら嫌になる程、騒がしい。
一時間程度かけてようやく、中央部へと到達した。外周部には多少魔物がいたが、森に入るにつれその数をどんどん減らしていく。
嫌な空気だ。
ここに来て分かりやすいぐらいに空気が変わった。
昨日も外周部で魔物を討伐してはいたが、その時とは明らかに蔓延する空気が違う。
空気がドロドロと重く、まるで自分の縄張りを主張するように纏わりついてくる。
こりゃ魔物も逃げ出すはずだよ。
魔物は人間よりも本能的だ。不快感を感じれば逃げ出すか、根源を断つかの二択を取るだろう。少なくとも現状維持は選ばない。
ここに来て妄想の域を出なかったBランクの魔物という線が現実味を帯びてきた。
「ふぃ」
その時、フィアが小さく声を上げた。だがそれは敵の接近を知らせるものではない。
フィアが指差す方へ向かうと何かが落ちている。
「これは……ダーティウルフの毛皮か?」
そこに落ちていたのはヒトヨが鷲モードで初めて狩ってきた狼、ダーティウルフの毛皮だった。
そしてさらに視線を奥に向ければ、何かを引きずったような跡が続いている。
「……逃げる準備はしといてくれよ」
「ふぃ」
「チュン」
最大限の警戒を行いながら、跡を辿り奥に進んでいく。
そしていやでも理解させられる。もうすぐ俺達の目的、この森の異変の原因がいることを。
静かな森に広がる自然とは別の香り。この世界に来て何度も嗅いだ血の匂いだ。地面や木なんかに所々赤黒い染みが出来ている。そして進めば進むほど、それは薄く、量が増えていく。
そこから僅かに進むと光が差し込んでいる場所が見えた。木々鬱蒼と生い茂る森の中に見える明確な降り注ぐ太陽の陽光、つまりは多少なれど開けた場所。
森の木に姿を隠しながら、その開けた地を覗いてみると、その中央には大きく平らな岩があった。
「ッ!?」
そして平らな岩の上、そこに一匹のダーティウルフが横たわっていた。横たわっている、といっても死んでいるわけではない。身体が一定の間隔で動いていることから、眠っているのだと推測出来た。
毛皮の色が、岩と似たり寄ったりな色だからか、同化しているように見える。
その岩の周囲にはまたもダーティウルフ。しかし、岩の上で寝転ぶダーティウルフとは違い、一回り小さくもうすでに息が絶えている。
『クオン!』
レアが心の中で叫ぶと同時、岩の上にいたダーティウルフは耳をピクピクと動かし、鼻を鳴らした。
そして、鋭い眼差しを木の陰から様子を窺う俺に目を合わせ、
「アオオオオオオオン!!」
大きく大きく、縄張りに入ったのだから逃さないと、ダーティウルフは雄叫びを上げた。
「最悪だ」
俺はすぐさま剣を構え、巨狼と相対した。