掌編 「ブラック」
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書き残すのだったら、自伝的なものしか書けないな。いや、伝えたいことや願い事だって書けそうだ。1年後にはいなくなるくらいの気概で書けたらって、想像してみると、私は子供が育つ姿さえ見られないのかと投げやりになる。ストラングラーズを聴いている。半年くらいはアイスランドで生活をした。その間欠泉と巨大な湖と土に恵まれた島で。
沢山の国や旅をするのでなく、そこだったら留まっていいと思った。つまりは何もない、何もないというのは本当に何もないのではなくて、自然界のものに辺りを占領されているのだ。現代の生活という文化を入れ込むスペースは少なくともこの地域には何もない。
空の色はいつだって違った。でももう半年はおとなしく闘病に従おう。一日一日が薬と気持ち悪さとけだるさと独りの時間の繰り返しだ。私は日記帳に毎日のことを書き込む。
〇月×日 今日は友達が話しに来てくれた。二人にとっては普通で周囲によっては奇妙と思うような話題を展開する。ピンクのユニコーンはいるのかとか、地球温暖化を止める最新の技術とか自然エネルギーの世界のシェア率や遺伝子貯蔵庫の話、けれど二人とも生活に侵食されて、結局は現在の状況がどうかに行きつく。夢や空想ではなくて、それが現実だと思えるなまの感覚や感情を持った話、それがどんなにつまらないことだとしても。生きると色々なことが変わってくるけれど、死ななければまだ変わり続けられるって私が羨ましがると、彼は輪廻転生後の変わり方を薦めてくる。それはわからないことで、ぱっと消えてしまうだけなのか、自分だったものの証がなにか別の生き物に刻まれるのか、それとも昇るのか降るのか、どれがいいかなんて自分には決められなかった。なんか生きるの重いから、次はいいやなんて言ったら、それから先は思い出せなくて、一緒にピザまんを食べてさよならした。
〇月□日 今日は、両親や兄妹が見舞いに来た。しばらく会っていなかったから、お互いの近況を伝えたけれど、あまりに私が関心なくて、ああ、そうだ、前々から興味が薄れていたななんて思って、妹の子供と私はずっとお絵描きをしていた。結局はそんな遊びでこの子が喜んでくれるのが私の一番の幸せだった。まだ、彼は鉛筆を上手に持てないで、時々、こちらで手直しするけど、すぐにぶんぶん振り回して、妹に叱られていた。
〇月△日 今日は、私のアイスランドの生活を撮影した写真を載せたホームページを作成した。私が亡くなっても、このページはきっとプロバイダが削除しない限りは残り続けるだろう。今、見ても息をするのを忘れるくらい美しさを感じてしまう。日本に帰ってから美しさについての専門書を読んではみたけど、途中で飽きてしまって、自分で感じた動きを細分化させたり、名前づけることにどうでもよく感じてしまった。少なくとも僅か6カ月を好きに生きた代わりにおとなしくその後の生活をここで受け入れているのだ。どこかに出掛けたくはなるけれど、体が重くてそれも病院の回りがやっとなくらいだ。
〇月☆日 今日、初めて出会った看護士に惹かれてしまった。もっと彼女のことを知りたい。少し前まで会っていた方は、私がこんな状況になったから、見切りをつけて連絡せずにそれっきりだ。私もそういうものかと追う気持ちもなかった。追おうにも体は思うようには動いてくれない。看護士の名前は谷村さんといって、なにか話をしたときの笑顔がとても美しく感じた。なにか時間が取れるなら、彼女との時間を作りたい。けれど、できる範囲で結構だ。私には色恋を優先するほどの自由さがない。
□月×日 今日、アイスランドに預けた犬のブラックの新しい飼い主から手紙が届いた。メールより手紙の方がなんだか嬉しい。少しは谷村さんに自慢することができる。手紙にはブラックの写真も入っていた。元気そうで嬉しい。画家のジョルジュブラックかデキリコかどっちが好きかと悩んでブラックにした。デキリコは不安を助長させるから、そんな犬になったら、この先大変だろうと思って、そんな話を谷村さんにも話したら、へーっと素っ気なくはないけど、どうやら画家のこと知らないみたいだったので、アマゾンで画集を取り寄せてみた。
□月△日 谷村さんはブラックの画集を面白がってくれた。そう、ピカソと違って、静物に組み立てられることが人々の不在の時間を表してるようで、私は好きなんだと言ったら、また笑ってくれた。けれど、彼女は既に別の人がいることが表情から読み取れた。というのも私は好意を伝えたからだ。彼女は私がここに居続けないとならないことは知っていたから、そのまま普段通りに接してくれた。私がいたことが彼女にとって良かったのかはわからない。
□月□日 最後の日のことを書くことはないだろう。アニマルズを聴いている。いなくなる前にロマンロランの小説を読めてよかったと思う。長くは読めなかったけど、こんな年だから、いよいよって時には皆駆けつけてくるらしい。私が伝えたいのはゴミを増やさないでほしいってこと。アイスランドにゴミが散乱してたら、なんか嫌だろ。とはいっても、私もゴミを増やしている。地球に邪魔にならないように生きるって難しいね。じゃあね、今日まで生かしてくれてありがとう。関わってくれてありがとう。sjaumst !…