氷河期世代は本当に救いようがない
最近、なろうユーザの半数近くが30歳以上という話を聞いた。90年代のバブル崩壊からリーマンショックまでに起きた就職難を経験してきたユーザも多いと思う。
何故、彼らは救いようがないのか?それは責任感や当事者意識がまるで見られないからである。90年代から追っていけば、大蔵省が悪い→マスコミが悪い→民主が悪い→財務省が悪いといった感じだろうか?他にも派遣が悪いとかブラック企業が悪いとか公務員が悪いとか在日が悪いとか色々あるかもしれない。
『○○○が悪い』と大声を張り上げるだけで、主権者である国民が、自分たちが悪いと声をあまり上げないのが彼らの救いようのなさである。要は、他に悪い奴らがいるから俺たちは悪くない、子供の主張にありがちな『親が悪い』『教師が悪い』『学校が悪い』というのをいい歳してやってるのと変わらない。
『○○○が悪い』と声を上げることは簡単だ。そしてそれに同調することは心地よい。そこには一定の真実があるし、もっともらしい理由でノンストレスに浸れる。
例えば氷河期世代の派遣社員が『派遣法改正は悪い』と叫び、或いは同調することは至極当然のことだと言える。だがそこに派遣法改正を支持した過去の国民や自分たちの姿はいないのだ。
こうした当事者意識の欠如、自身の責任の不明が狂った暴論を生む。いくつか例を挙げてみよう。
『消費税には反対だが、他に入れる政党政治家がいないから与党に入れた。』
これは当事者意識が欠けてるのがよくわかる例になる。第一に主権者である国民が政治家を選んでいるってことが頭にないのだろう。自分たち国民が選挙でまともな政治家を当選させてないのだから、そりゃあまともな政治家政党が存在するわけがない。
『民主党が消費税総勢を決めた。与党は悪くない。』
これは『○○が悪い』に引きずられて事実誤認している例になる。三党合意や景気条項は彼らの頭にはないのだ。とりあえずは民主が悪いのである。やったぜ!
『財務省が悪い、与党は悪くない。』
ここまでくると訳がわからなくなる。当たり前のことだが省庁に政策を決める権限はない。決めるのは飽くまでも政治家である。国民が選んだ政治家である。認知的不協和もここまで行けば大したものだ。
彼らが救いようがないのは被害者であると同時に加害者でもあるからである。彼らが自己防衛の為に自身以外の余所に悪を見出し続ける限り、その自傷行為が終わることはない。
肉屋を支持する豚という言葉があるが、例え菜食主義者が豚がかわいそうだと声を上げても、彼らは肉屋の方が菜食主義者より豚の気持ちがわかるとのたまって喜んで店先に並ぶだろう。
残り半分の若いなろうユーザーに言いたい。
中年の子供じみた怨念や絶望に引きずり込まれてはならない。氷河期世代の言う『○○が悪い』というは確かに一定の正しさを持つが自身に還る主張ではないのだ。
氷河期世代がよく言う『偏向しているマスコミは悪い』、ここまでは正しい。だが彼らの思考はここで止まる。その先のメディアリテラシーの重要さまでは到達できない。彼らの頭の中にはマスコミの偏向に踊らされていた自身の姿は見えてないのだから。
そして、自分自身が当事者であり責任を持つものであることを十分に理解してほしい。それは民主主義における国民としての責任でもあるが、それよりもなによりも一個の独立した人間としての責任である。
誰しもが生まれついての環境を選んで生まれてくることはできない。だから『○○が悪い』って言いたくなる気持ちはわかるし、それは概ね正しい。しかし、どこかで振り切って割り切って一個の人間として独立しなくてはいけない。何がどうあれ貴方を幸福に出来るのは貴方しかいないということを絶対に忘れてはいけない。
それを忘れると『魔王』になるんやで?子供部屋で周囲に不満だけを述べる『子供部屋の魔王』になるんやで!俺は悪くねぇ!通報したやつが悪いんだぁ!法律が悪いんだぁ!規約が悪いんだぁ!マッマ髪切って!俺は悪くねぇ!みたいな30前後の子供部屋おじさんになるんやで!?
でもなろう流行の主人公ツエースゲーってのと『○○が悪い、俺は悪くねぇ!』ってのは似ているのかもなー、同じコインの裏と表かもなー、創作と現実の違いはあるけれど。