聖人伝説(2)
単なる怖い伝説、あるいはこの物語の始まり?
一刻も早く除染・治療活動を始めたいのは当然だが、狂信とそれに流される人々が一体どのような行動に出るのか分からない。
理由を知っておくべきだ。
実は病院全体にかなり薄めの除染魔法陣を維持してある。
魔力が自然回復するたびにかけなおす。
魔力消費はどんどん減ってゆく。
病院内にもう保菌者はいないが、繰り返すことで訪問者の除染もでき、何よりユウの除染能力が加速的に高まってゆく。
病気までは大人の事情もあるだろうから治さないが、感染症などは治してしまったかもしれない・・・。
オットー伯爵の話を聞く。
「100年程前の話です。
このサラス地域に、旅人が訪れました。
アイリアムという男性です、この名前は後に分かったのですが。
彼は村落をくまなく訪れ、あらゆる病気を治したそうです。
金持ちのみから治療費をもらい、普通の人からは一切金を取りませんでした。
絶対に治療のことは秘密にしてくれと言って。
自然に噂は広まりましたが、金持ちの治療依頼には一切応じなかったようです。
また、噂がこれ以上広まるなら他所の地へ旅立つと言うので上からも箝口令が敷かれたようです。
やがて密かに聖人と呼ばれるようになり、この地方の人々は大いに感謝しました。
ところが、異変が起きました。
聖人が『世界を平和にする式典』をやるという噂が、あっという間にこの地域に広がり多くの人が仕事や農作業を休んでまで中心地のサラシリムに同時に集まったのです」
「世界を平和に? ・・・知る限りその頃は戦争も無かったはず」
「ああ、それより前はナーラの城塞が出来るほど各地が対立してたんだが」
茶さんとロロの知識、ロロは体験か。
「対魔物や女神のおかげで世界がまとまっちまったのさ、それで?」
「はい、治療を受けた人やその家族が主に、時間を合わせるように集まったそうです。
全ての人が萎れた体で息絶えていたそうです。
それが、『聖人』の顛末の全てでした」
「それだけでは、病気が蔓延し治療されない原因にはなりませんね」
ユウだけでなく、全員が思った。
「まず、不思議なことに聖人が消えた後は全ての人が、存在は覚えているものの名前や顔を思い出せなかったのです。
当時の領主はどうすることも出来ませんでした。
聖人に関わった後、この地を離れていた者たちから辛うじて名前などは分かったようですが。
問題はその後です。
元々聖人を胡散臭く思っていた者たちや、帰郷して健康な家族まで死んだ事を聞かされた人々が大きな団体を作りました。
『反治癒魔法会』、実際は聖人いや偽聖人を糾弾し、魔法による治癒を拒否する者たちです。
薬による治療のみを許可しています。
彼らは実際起きたことを本にし、サラス全域で広めました。
他地域に進出したこともあったようですが、邪教として非難されたようです。
普通に治癒できる者まで助からなくなるかもしれませんからね。
この地域に限っては、事実である彼らの記録や活動を止めることは出来ませんでした。
貴族や有力者も家族を失いましたし、治癒魔法を信じるなという考えを否定出来ませんでした、起こったのは事実ですから。
しかし、弾圧してでもこの考えは否定しておくべきだったのです。
この教えは強固に根付き、常識的におかしいという者も糾弾を恐れ声を上げられませんでした。
治癒魔法を受けるためにこっそり他所へ行く者もいたようです」
ユウ達は顔をしかめたり、ある結びつくものを思い起こす。
話は終わりではなかった。
「私が伯爵となった15年ほど前から、このおかしな状況を変えるため大規模な調査を行っていました。
近隣地域には、当時巨大な赤い魔法陣が天に登ったという記録があります。
『呪われた地』とも言われているようです。
アイリアムの足取りですが、他の地域では同じような伝承も名前も残っていません。
住民の記憶が無くなっても、僅かな記録が残っていると思ったのですが。
ただ、ある一つの話が引っかかるのです。
各地を渡り歩いたという『聖女』です」
今までの話では、偽聖人は男のはず、その『聖女』も何かしでかしたのか?
「聖女と言われたメイリアという方がおられたのです。
同じ様に、行く先々で金持ち以外には無料で治療を施しました。
『治療は秘密に、噂が広まるなら他所へ旅立つ』と、全く同じことを言ったそうです。
彼女は東方から西へ向かい、多くの人々を救いました。
ですが、この地の北に位置する城塞都市ナーラで消息を断ったのです。
一説によると、重い病気で亡くなったそうですが。
結婚したという話もありますが、なにせ昔のことなもので。
悪しき固執を消すには時間が必要です。
『反治癒魔法会』は地域の繋がりに一体化して疑問を唱えることを許さないのです。
考えを改めるように言えば、弾圧と称し暴動を行ったり。
もう遅かったのかもしれません。
私は八方塞がりで感染し、民を救えず死を待つのみだったのですが。
おそらくは『意識改革のための記録発掘・研究』のメンバー達が無茶を承知でここへ私を。
本当に申し訳ない、そして私に出来ることがあれば」