名もない島
登場人物
ノワー:人間、もと騎士団長、王城陥落前にアーダを誘拐し敵前逃亡、年齢37才
アーダ:エルフ、エルフの国の王女、人間の王に嫁ぐも見捨てられノワーに拉致られる。年齢28才
アルジャ:ノワーとアーダの子、年齢7才
大陸の東、洋上に島が幾つか点在した。
その島の一つに何処からともなく流れ着いた人々が住み着き、小さな集落を形成していた。
近隣の中で最も大きなその島は中心部には峻厳な山が聳え立ち、山麓は森に覆われていた。
山の中腹からは水が湧きだし、細いながらも川が東岸へ向かって流れていた。
人々は川の下流に村を構え、細々とした農耕と漁業によって生計を立てていた。
森の中に暮らすのは小さな小動物だけで、大型の肉食獣や恐ろしい魔獣いなかった。
しかし洋上には獰猛な海獣や恐ろしい海の魔獣が徘徊し、外洋での漁は命がけであった。
大半の村人は浅瀬で小型の魚や貝、若しくは海藻を取るに留め、洋上に出る者は殆ど居なかった。
島を出て戻って来たものは今だ一人も居ないのだった。
気候は温暖で食べるものに困ることは無く、生活するうえで環境十分に整ってはいたが、
ここに流れ着いた者は、皆等しく島に閉じ込められていた。
子供たちの持つ旺盛な好奇心は成長とともにすり減り、
大人になるころには無気力に支配されるのであった。
須らく好奇心を失わない者は海の藻屑となり果てるからだ。
外洋が地獄であるなら、島は大海原に浮かぶ楽園、天国に一番近い島であった。
何時の頃か島の西端にある崖の上に夫婦が住み着いた。
夫婦とは言っても村人で女の姿を見たものはいなかった。
村への移住を薦める村人に対し、男は妻の病気を理由としていたからである。
男の妻は皮膚の病気で、肌が溶け生きながらにして腐っており、とても人前に姿を現すことができないとの事だった。
島に流れ着いた者は村人に歓迎される。新しい血を取り込む為である。
本来であれば赤銅色に焼けし筋骨隆々として、雄としての魅力をはっしているこの男を放っておくことはあり得ないのだが、村人は病気の感染を恐れ極力接触をさけるのだった。
黒目・黒髪という容姿も不気味さに拍車をかけた。
男はたまに村にやって来ては大型の魚や海獣を持ってきて野菜や生活品と交換を求めたのであるが、
沖に出て生きて戻ってくる男に村人は恐怖すら覚えた。
村人が島の西端、男の住まう崖上の家を訪れることはなかった。
「ただいま、もどった」
ノワーは右手に持った手製の銛を肩に担ぎ、左手で扉を開けた。
銛には村で交換した野菜が括り付けてある。
延びた髪は後ろで束ねられ、身に着けるのは何かの海獣の皮でつくった腰巻のみであった。
厳めしい顔に海賊然としたその姿は、見る者に恐怖を与えずにはいられないはずであった。
しかし扉を開けた男へ向けられたのは、見目麗しい女の笑顔であった。
「おかえりなさい、あなた」
四十を迎えようとしているノワーは昔と変わらぬ体躯を維持しながらも、目尻に歳を感じさせる皺を刻んでいた。
だが、エルフのアーダは出会ったころと変わりなく若さに溢れていた。
むしろ子を設けたことによりあどけなさが抜け、大人の女性として磨きがかかったかもしれない。
男の子が生まれていた、名前をアルジャという。
人間の国の王城から逃げ出してより十年、
当初、陸路でエルフの国へ逃げようとしたのだが、途中にあるダークエルフの帝国を通り抜けるこが出来なかった。
海路に希望を求め海へ出た二人であったが、小舟での船旅は困難を極めた。
折よく辿り着いたこの島でアーダの妊娠がわかると、子供に体力がつくまで、逃避行は延期されることになったのだった。
風の神ベントの庇護を受けるエルフの生存に森は必須である。
木々は大気中よりマナを抽出し朝露を作る。
ハイエルフと人間のハーフであるエルフは野菜などの自然の恵みと共に、木々の朝露によるマナの補給を必要とするのであった。
神の眷属たるハイエルフであれば世界樹の雫のみを糧として命を繋ぐこともできた。
エルフが森の人と言われる所以である。
豊かな森に自然の湧き水、この島はアーダが子育てをするのに最高の環境であった。
二人にとって村の存在が危険要素であったが極力接触を避けることによって、今までは問題なく過ごしてこれたのであった。
しかしこの頃、ノワーは村において何者かのねっとりとした視線を感じずにはいられなかった。
アーダか、若しくはアルジャが村人に見られたか?
ノワーは一抹の不安を覚えるも、それとなく注意を呼び掛けるに留めておくのだった。