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いつか君に追い付く日まで

作者: はるか

 


 大小数百の島からなる美しい国では数十年に一度、2月29日のうるう年に産まれる子供の中に、まれに特別な力を宿す者がいた。


 特別な力とは高いIQと記憶力の事で、国の発展に貢献するかかせない人物として子供の頃から崇められ保護されてきた。


 特別な力を持つ"うるう様"は神の悪戯か恵みなのか……4年に1度しか歳をとらなかった。




「はいおつりだよ。僕、今日はお姉ちゃんとお使いかい? お利口だからおまけの飴をどうぞ」

「……いえ、結構です」

「あらぁ、飴は嫌いだった? また来てね」


 晴れたとある休日、港町では朝早くから市が開かれ遠くあちこちからやって来た行商人と買い物客で賑わっていた。

 マッティアも混雑する前にと朝から市へやって来たが一歩遅く、小さな体は人混みに紛れ歩きにくかった。


「マッティア! 待ってよ、置いていかないで」

「ったく、グレタは遅いよ。早くしないともっと混んでくるだろ?」

「さっきのお店の人に子供扱いされたからってそんなにカリカリしないの。きっと他の島から来た行商人よね?」

「そうだね、初めて見た店だ。……カリカリなんてしてないさ」

「ふぅん、さっすが我らが"うるう様"ね。ほっぺた膨らませちゃって!」

「なっ、そんな膨らませてなんか!」

「なんてね。さぁ次は私の買い物に付き合ってよね! 行こっ」


 グレタは人混みではぐれないようにと手を伸ばすとマッティアに手を繋ぐよう無言で催促した。

 いつもの事だけれど、マッティアは渋々といった様子で小さな手を高く挙げると、二人はしっかりと手を繋いでさらに奥へと歩いていった。



 マッティアはこの国で数十年ぶりに産まれた"うるう様"だった。

 顔見知った島の者はもちろん皆がマッティアの事を知っているが、外から来た者にうるう様とただの子供を見分けるのは至難の技だ。


 なのでたまに子供に間違われたりすることもあり、マッティアはその度に心の中のもやっとした黒いものを追い出すのに忙しかった。


 マッティアは今年でやっと4歳になった。うるう様なのでこれでも16年の歳月を生きてきた。


 生まれ持った高いIQと記憶力のおかげですでに飛び級で学校は卒業しており今は国の研究施設に勤めている。今は主に医療の発展のため日夜研究に明け暮れていた。


 今日一緒に市へ来たグレタはマッティアより3日遅く産まれた幼馴染で、先日16歳になったばかりの女学生だ。

 母親同士が仲が良く、家が隣という事もあって昔から家族同然で過ごしてきた。


 グレタはうるう様ではないので1年ごとに歳をとる。マッティアのほうが3日早く産まれたのに見た目は姉弟そのものだった。


「グレタは何を買うの?」

「お母さんに頼まれたのを買い終わったから今度は自分の買い物! アクセサリーを見たいんだ」

「ふぅん、学校で流行ってるの?」

「そうなんだよね。彼氏がいる子は彼氏にもらったアクセサリーをつけて自慢してたりするし」


 グレタは明るい茶色の髪の毛を揺らしながら、雑貨店へ歩いた。

 着いた雑貨店はこじんまりとしていたが若い女性で賑わっていた。


「マッティアは外にいる?」

「いや、一緒に見るよ」


 マッティアはグレタの手を離して先に入り口へ行き全身の力をこめて店のドアを開くと、グレタに先に中へ入るよう促した。


 店内は狭いながらも棚いっぱいにキラキラとしたアクセサリーが飾られていて、グレタはさっそく入口近くの棚から順にゆっくりと品物を見始めた。


 マッティアも背の届く範囲だけだったがふーん、といった様子で品物とグレタを交互に見ていた。




「うーん……」

「思いのほか高くて手が出なかったからって落ち込むなよ」


 数十分店を物色したグレタは財布の中身と欲しい品物の金額差にがっくりしながら店を出て再びマッティアと手を繋いで家路についていた。


「いや、落ち込むっていうか彼女のいる男の子はプレゼントとかするのに頑張ってるんだなあって思ったら感心しちゃって」

「なんだよそれ。……っていうかグレタはいないの? アクセサリーくれそうな奴」

「? なーに言ってるのよ、いるわけないじゃない!」


 グレタは笑ってマッティアと繋いだ手をブンブンと大きく降った。

 あまりに勢いがつきすぎてマッティアは肩が抜けるかと思ったくらいだ。


「そんな男の子を捜すよりも私はマッティアに会うことのほうが大事だもの」

「……何言ってるんだよ」

「だってマッティアはもう学校を卒業してお勤めしてるから休みの日にしかゆっくり会えないでしょ? 私、マッティアと一緒にいて、マッティアの話を聞くのが好きなのよ……っおっ?」


 繋いだ手をぎゅっと強く握って嬉しそうに喋るグレタにマッティアが口を開きかけた時、グレタは何かに気がついて繋いだ手はそのままに道の脇にある空き地へと入っていった。


「ちょっと、何だよいきなり!」

「見てっ! この空き地クローバーがいっぱい!」


 上ばかり見ていたマッティアが足もとを見ると確かにそこには一面ふかふかの絨毯のように鮮やかな緑色をしたクローバーが群生していた。


「四つ葉のクローバー探そっ?」


 グレタは買い物袋を置くと空き地の真ん中でしゃがみこんで四つ葉のクローバーを探し始めた。

 ぐるりと目を回したマッティアは小さく声を殺して笑いながら一緒になってしゃがみこんだ。


「ったく、グレタはいつまでも子供だね」

「そりゃあね。いつまでも子供でいたほうがマッティアと長く一緒にいられそうじゃない?」

「一緒にいてくれるの?」

「私ね、学校で男の子達と班になって学習する時間があるんだけど、話してるとどうしても皆子供っぽすぎて見えちゃうの。これってマッティアのせいだと思わない?」

「なっ、じゃあ僕が年寄りって事なのかよ!?」

「んん? この前うちのおじいちゃんと話が弾んでたのは誰かな?」

「あれは昔の話を聞いてただけでっ!!」


 二人は四つ葉のクローバーを探しながらも仲良さそうに話し込んだ。


 空き地一面に広がるクローバーの中から四つ葉を探しだすのは思いのほか難しくしばらくしゃがみこみながら懸命に地面を見続けた。


 空がオレンジ色に染まりはじめた時、ようやくマッティアが声をあげた。


「あった! あったよグレタ!」

「ほんとっ!?」


 マッティアの手には小さいながらも鮮やかな緑色の四つ葉のクローバーが握られていた。


「はい、グレタにあげる」

「いいの? ありがとうっ」


 グレタは四つ葉のクローバーを受けとるとバッグの中からハンカチを取り出し大事そうに包んだ。


「そろそろ日が落ちるから帰ろうか」

「そうね。マッティアは今日も研究所に帰るの?」

「うん、今少し忙しいんだ」

「そう……無理しないでね。それにマッティアのおばさんも会いたがってたよ?」

「んー、まぁ仕事が一段落したら帰ろうかな」


 二人は港町まで戻ると先にグレタが馬車に乗り込み手を振って別れた。


「じゃあマッティア、またね。また買い物付き合ってね?」

「うん、また連絡して」


 グレタを乗せた馬車が小さくなるのを見届けるとマッティアも馬車を拾って研究所に帰った。

 研究所にはマッティアが寝泊まりできるよう部屋が用意されており、ほとんどを家には帰らず研究所で過ごしていた。


 マッティアを乗せた馬車が研究室前に到着すると御者は代金の支払いを拒んだ。


「うるう様から代金をいただくわけにはいきません。また利用していただけるだけで結構です」


 実際、この島ではよくある事だった。うるう様であるマッティアがこの馬車を利用しただけで徳があると喜ぶのだ。

 しかもこうなっては頑として代金を受け取ろうとしてくれない。いつもはチケットを購入してから馬車に乗っていたのでしくじったとマッティアは心の内で反省した。


「ではご厚意に預かります。ありがとうございます」

「あの、握手だけいいですか?」

「ええ、どうぞ」


 御者はマッティアと握手すると「ここ最近で一番の良いことでした」と満足げに帰っていったのだった。



「うるう様! 実験中のシャーレに変化がありました」

「うるう様、補助金の申請書にサインをいただけますか?」

「うるう様、過去の実験データが見つからないので教えていただきたいのですが……」



 日が落ちきる前に研究所へ帰ってきたのにマッティアが部屋にたどり着いたのは夜が更けてからだった。


「ふぅー、休みでも構わず質問してくるんだもんな。ねむ……」


 全ての家具が子供サイズに作られた部屋の扉を閉めるとマッティアはベッドに転がって一息ついた。


 体は子供なので夜になれば大人よりも早く眠くなる。マッティアがものすごい勢いで仕事を片付けてしまうからか、まわりの人々はマッティアは特別で何でもできてしまうと思い込みがちだった。


 机の上には仕事で使う資料の他にマッティアへ届いた手紙までもが無造作に積まれていた。

 その山の中には母親からの手紙が含まれていたがマッティアは封すら開けていなかった。


 母親からの手紙には元気にしているか、仕事を無理しすぎていないか等という心配事がいくつも書いてあるのだろうとマッティアには分かっていた。


 母親が息子の事を心配するのは当たり前の親心だ。しかし、マッティアは母親が自身に注ぐ眼差しが苦手だった。


 マッティアの母親は産まれた長男がうるう様だと分かると神に感謝し喜んだ。

 しかし、弟や妹が産まれ成長するにつれ4年に一度しか年をとらないマッティアは本当に幸せなんだろうか、普通の子に産んであげられていたら……もしかしたらその方が良かったのではないかと悩んでいた。


 口にこそ出さないがマッティアは母親のそんな考えを感じていて、次第に申し訳なさそうにマッティアの事を見つめる母親が鬱陶しくなってしまっていたのだ。


「一応……今のところは、産まれたことを後悔はしてないんだけどな」




 ◇◇◇◇◇




 それから二週間、マッティアはいつも通り仕事に励んでいた。

 仕事をしていると憂鬱なことも忘れられるし、何より今は仕事をこなすことが楽しくてしょうがない。



 そんなある日……



「うるう様、お客さまがいらしてます」

「え、誰が?」


 特注サイズの白衣を身にまとった仕事中のマッティアに事務員が声をかけに来た。

 マッティアはとっさに頭の中で今日のスケジュールを確認したが、誰かと約束をした記憶は全くないので首をかしげて事務員に誰が来たのか訪ねた。


「えっと、"グレタと言えば分かります"との事でした」

「わかった! 今行く」


 今まで連絡もなしに突然グレタがマッティアを訪ねてきたことはなかった。

 それが突然訪ねて来るなんて、どんな緊急な用事なのだろうと緊迫した様子で駆け足で来客ブースへ急いだ。


 マッティアが入り口そばにある来客ブースまで来ると簡素なついたてで仕切られただけのブースから男女の話し声がして、他にも来客があるのかと一旦立ち止まった。


「可愛いねぇ誰に用があって来たの? よかったら俺が取り次いであげよっか、俺けっこう顔広いから」

「いえ、結構です」

「そんなこと言わないでよ。誰に会いに来たの? 家族? もしかして彼氏?」


 話している声の主の顔は見えなかったが、高く透き通った女性の声はグレタだとマッティアはすぐにわかった。


「本当に結構です! マッティアに会いに来ただけですから!」

「マッティア? んーっと、いたっけなそんな奴」


 グレタの声に苛立ちが混じったところで慌ててマッティアは声の主が通されたブースに駆け込んだ。


「グレタ!」

「マッティア! ごめんね突然」


 マッティアが顔をだすとグレタは安心しきった様子で助けを求めるかのように駆け寄った。


「げっ! うるう様!?」

「私の客人に何か用でも?」


 懸命にグレタに声をかけていた若い職員はグレタの呼び出した人物がうるう様であるマッティアだと分かると顔にぶわっと冷や汗をかいて退散していった。


「ごめん、うちの職員が面倒をかけて」

「大丈夫。それにしても、マッティアの名前を覚えていないなんて失礼な人ね!」

「怒るところ、そこ?」


 グレタの怒るポイントにマッティアはくすっと笑ってしまった。


 きっと職員は皆マッティアの事を"うるう様"とばかり呼んでいるので本名を知らない者がほとんどだろう。

 特に気にもとめていなかったが、グレタが怒ってくれたことでマッティアは良しとした。


「それにしてもどうしたの? 急にここまで来るなんて」

「急用ってわけでもないんだけど……。来ちゃだめだった?」

「いや。ならせっかくだし外のカフェにでも行こうか」

「え? お仕事の途中じゃなかったの?」

「少しくらい大丈夫! ただでさえ毎日残業してるからね。グレタが来てくれたから休憩だよ」


 マッティアが部屋に荷物を取りに行ってから二人は研究所の近くにある昔ながらのカフェに入った。

 建物は古いが年代物の美しいステンドガラスと調度品、そして分厚いパンケーキが有名なカフェだ。

 席に案内されると紅茶とふたつのパンケーキを注文してやっと落ち着いて話をはじめられた。


「あのね、全く用がなかったわけでもないんだ」


 そう言うとグレタは持っていた紙袋から包みを取り出した。ずっしりと重みのある包みを開くと見慣れたものが入っていた。


「マッティアのおばさんから預かってきたの」

「そっか、面倒かけてごめん」


 中身はマッティアの母親が得意とするミートパイだった。忙しい息子にせめて母の味をと作ったが、自分で持って行って息子に煙たがれるのを恐れてグレタに預けたところだろう。


「ううん、全然面倒じゃない! むしろ私はマッティアに会いに行くきっかけができて嬉しかったし」

「きっかけがなくてもいつでも来てよ」

「う、うん!」

「あ! でもできたら事前に連絡して。何か大変なことがあったのかと思って呼ばれてからグレタに会うまで気が気じゃなかったよ」

「それはごめんっ」


 マッティアは包みを受けとると「夕飯に食べるって伝えておいて」とグレタに伝言を頼んで席に届いたパンケーキを口にはこんだ。




「あー、おいしかった! 急だったのにありがとうマッティア。それとごちそうさまでした!」

「いや、こっちこそパイを持ってきてもらってありがとう。それにいい気分転換になったし」

「そう? それならよかったっ」


 マッティアが会計をしてから外へ出ると、へへっと気の抜けた顔で笑うグレタを送っていく為に二人は馬車通りに向かって歩いた。


 右手にパイの包みをぶら下げたマッティアは左ポケットに手を突っ込んでグレタと馬車通りをちらちらと交互に見て珍しく落ち着きがなかった。


「どうしたの? マッティア」

「えっと……はい、これグレタに!」


 通りに出る直前、意を決したようにマッティアは立ち止まるとポケットから出した左手を高くグレタに差し出した。

 その手には水色の小さな四角い箱が握られていた。


「え!? なぁに? 開けていい?」

「うん……」

「わっ!!?」


 グレタがゆっくりと水色の箱を開けると中には金でできた四つ葉のクローバーのペンダントがはいっていた。


 金だがペンダントトップは小ぶりで可愛く、チェーンも女性らしく華奢なものなので肌に馴染みどんな服装にもぴったりあいそうなネックレスだ。


「えっと、これもらっちゃっていいの!? すごく高そうだけど!?」


 ペンダントは正真正銘の金でできていた。グレタが先日見た雑貨店のイミテーションとは違い値段も桁が違うだろうと慌てた。


「金の使い道ないから気にしないで。グレタが欲しがってたし、似合うと思ったから……」

「忙しいのに買いに行ってくれたの?」


 グレタの瞳は涙でうるんでいた。

 照れくさそうに顔を赤くして小さく頷いたマッティアは、嬉しそうにペンダントを取り出すグレタの表情が見られてほっとしていた。


「ありがとう……! ね、つけて」


 その場にしゃがみこむとグレタはマッティアにペンダントを渡して背を向けた。

 小さな手で不器用そうにペンダントをつけるとしゃがみこんだままグレタはマッティアに向き直って髪の毛を直した。


「どうかな、似合う?」

「すごく似合うよ」

「……うれしい」


 二人はそのまま照れながら小さく笑いあった。


「でもこれ、学校につけていったら……みんなにどうしたの? 誰にもらったの? ってうるさく聞かれちゃう」

「どう答えるの?」

「ど……どう答えたらいいかな?」


 胸元に輝く四つ葉のクローバーを指先で触りながらグレタは恥ずかしそうに目線をあちこち動かしていた。


「それは……グレタの好きにしていいよ」

「じゃあ、それじゃあ……あのっ」


 言いたい一言が口もとまで出かかっているのに出ない様子のグレタに、マッティアはまっすぐな瞳を投げかけた。


「グレタ、さっき見たとおり研究所の人達は僕の事を"うるう様"としか見ていないんだ。本名を言える人なんて残念ながらほんの一握りだ」


 顔を赤くしていたグレタは、マッティアの言葉に呼吸を落ち着け真剣に聞き入った。


「家にあまり帰らないのも……家族のみんなが僕の事を特別な人として接してくるから……何て言うか、心から落ち着けない所って感じなんだ。でも、グレタは違う。僕を"16才のマッティア"として見てくれてる、接してくれてる。それが僕にとってどんなに嬉しいことでどんなに心安らぐことか……。グレタは僕にとって特別で、とっても大切な人なんだ」


 マッティアは耳まで赤く染め、緊張しているのか段々と早口になっていった。


「急に……伝えたくなって何だかごめん。でも、つまり言いたいことは……僕はグレタが好きだってこと」

「マッティア……」


 グレタの瞳には先程にも増して涙がたまり、大きな滴が今にもこぼれ落ちそうになっていた。

 ペンダントを触る手をマッティアに伸ばしぎゅっと握るとにっこりと笑い、涙は頬に落ちた。


「うれしいっ、私……いつも側にいて私を優しく見つめてくれるマッティアの事を"うるう様"としてでも、"幼馴染"としてでもなくて……マッティアが、マッティアだから大好きなの! えへっ、このペンダントは彼氏にもらったって自慢しちゃお!」



 知らぬ人が見れば姉が小さな弟を強く抱きしめているようにしか見えないだろう。

 でも、二人は生きてきた16年の中で一番今を幸せだと感じていた。




 ◇◇◇◇◇




 それから10年の歳月がたち、グレタは26歳に。マッティアは6歳になっていた。


「マッティア! ごめん、遅れちゃった!」


  美しい港町、賑わう休日のある日グレタは街中を全力疾走し待ち合わせ場所へとたどり着いた。


「大丈夫だよ。今来たばかりだから」


 木のベンチに腰掛けたマッティアは目の前で大きく体で息をするグレタにハンカチを差し出した。

 グレタの胸元にはあの時のネックレスが輝いていた。


「ありがと。出掛けにバタバタしちゃって」

「うん、気にしないで。ほらしっかり深呼吸して、息整えて」

「ふぅーっ……うん、落ち着いてきた」

「予約よりも早く待ち合わせてるからそんなに急いで来なくても」

「いやっ! 早くマッティアに会いたかったんだもの」


 相変わらず二人は週に一度は待ち合わせて食事をしたり、出掛けたりして仲睦まじくしていた。

 マッティアの身長はずいぶん伸びたがまだ体は6歳、手を繋いで歩くとまるで親子のようだった。


 二人は予約していたお気に入りのレストランへ入ると、海の見える眺めのいい席へ通された。


「いらっしゃいませ、本日はどうされますか?」

「おすすめのコースをお願いします」

「かしこまりました。お飲み物はいかがされますか?」

「いつもと同じで」

「はい、ご用意致します」


 月に数回は利用しているのですっかり二人は常連となっていた。

 マッティアがうるう様だと店は理解しているのでそれもあるのかもしれないが、過度に媚びた接客でないところも、食事が美味しいところも二人は気に入っていた。



「そうだ、あのね再来週から職場に新しい子が入るんだ」

「本当に? よかったねこれでグレタの忙しさも減るね」

「そうなの。ほっとしてる」


 グレタは女学校卒業後、地元の図書館に就職していた。

 コース料理に舌鼓を打ちつつ他愛ない会話を楽しんでいると、グレタに気づいた一人の男性が近づきマッティアの後ろから声を掛けてきた。


「グレタさん、奇遇ですね! こんなところで」

「あ……、こんにちは」


 グレタは男性に声をかけられると驚いて顔をあげ、軽く眉間にシワを寄せて返事をした。


「先日はありがとうございました。これからも顔を会わせたら挨拶する程度には仲良くしてください」

「こちらこそ……先日は本当にすいませんでした」

「そんな謝らないでください。……っとごめんね僕、二人の話を邪魔しちゃって」


 小綺麗な身なりをした男性の話し方はスマートで顔立ちも整っており、育ちが良く人当たりも良さそうだと感じさせた。

 マッティアははじめて見るその男性に少し警戒し、グレタの表情と会話を注意深く観察していた。


 そんなマッティアの様子に相手の男性は気づき、子供が話し相手をとられて不機嫌になっているとでも思ったのだろう。あやすように話しかけてきた。

 マッティアはゆっくりと顔をあげ、男性に目線を合わせた。


「え……? も、もしかしてうるう様!?」

「そうですが、何処かでお会いしましたか?」

「いえ、はじめてお会いします。そうか……グレタさんがお付き合いされている方ってうるう様の事だったんですね!」

「?」


 きっと男性はどこかでマッティアの人相書きを見たことがあったのだろう。うるう様だと分かると嬉しそうに声をあげた。


 しかし、話している途中で連れの年輩男性に声をかけられると慌ててすぐに戻るとジェスチャーしていた。


「あぁ、戻らなくては。残念! またお会いすることがあればぜひゆっくりとお話ししてください!それでは」


 まるで小さな台風だった。

 マッティアとグレタのまわりを軽く引っ掻き回すとあっという間に消えてしまった。


「ねぇ、今の人誰? グレタの職場の人?」

「私の職場の人じゃないんだけど……お父さんの……」

「グレタのおじさん!?」


 グレタの父親は漁師として働いていたが、両親は彼女が幼い頃に離婚してからずっとグレタは母親と二人で生活していた。

 離婚の原因が父親のギャンブル好きでは仕方があるまい……。しかし、滅多に話題に出てこないのにここでいきなり父親の話が出た事にマッティアは驚いた。


「あのね、恥ずかしい話だったからマッティアには言ってなくて……」


 グレタは声を落とすと、申し訳なさそうに話しはじめた。


 実は先月、グレタの職場に父親が突然訪れたと言う。会うのは数年ぶりだったし、どこに就職したのかは伝えていなかったので随分と驚いたそうだ。

 休憩時間に外で話を聞くと、知人の息子とお見合いをしてほしいと頼まれたと言う。


「あまりに必死に頼み込んでくるものだから……しょうがなく顔を見るだけって事で会ったのがさっきの人だったの。漁業組合の組合長の息子さんで。もちろんあの人にはお付き合いしている人がいて、お見合いは父親に頼み込まれただけなんだって謝ったらわかってもらえたんだけど……黙っていてごめんなさい」

「グレタのおじさんが何を考えてるかわからないけど、どうして言ってくれなかったの?」

「いや、お父さんの考えていること……というか、やろうとしてる事は分かってたから余計マッティアには言えなくて。あのね……お父さん、また大きな借金を作っちゃったみたいで私を組合長の息子さんと結婚させてどうにかしようとしてたのよ」

「ええっ!? おじさん、性懲りもなく?」

「そうなの。だから恥ずかしいやら情けないやらで……もう私に会いに来ないで、自分で何とかしてって突っぱねたからもう大丈夫だと思うけど……」


 マッティアは心配そうにうつむくグレタを見つめ手をとった。


「これからは、必ず相談して。今回は相手が話を理解してくれる人だったから大丈夫だったのかもしれないけど、もしグレタが厄介なことに巻き込まれたら心配する!」

「ごめんね、心配してくれてありがとう」

「それに、その気がなくてもお見合いだなんて……行ってほしくないし」

「うん」


 グレタも愛しそうにマッティアの手を握り返した。




 ◇◇◇◇◇




 それから、マッティアは何故だか落ち着かない日々を過ごしていた。


 あのデートからかれこれ二ヶ月はたつが、最近はグレタがあれこれ理由をつけてはなかなか会えない日々が続いていた。

 週に一度は会っていたのに、もう三週間会っていない。



「……様、うるう様?」

「んっ!? 何が呼んだ?」

「さっきから声かけてましたよ。大丈夫ですか? 最近心ここに在らずって感じですけど、悩み事ですか?」

「まぁ……そんなところ」


 仕事中、気付くと書類を書く手が止りつい考え込んでしまっていたマッティアに助手の男性が見かねて話しかけた。


「うるう様、もしそれが女性関係でしたら放っておいちゃだめですよ? 時は解決してくれません。自分から行動しなきゃ!」

「……そのソースは?」

「俺は彼女なら分かってくれるだろうと仕事に打ち込んでいたら、先月見事に……フラれちゃいましたっ!」


 もう吹っ切った事なのか、助手はオーバーに泣くしぐさをしながら自信の経験を話した。


「それは、大変為になる話だね」

「はい。ですから、もしもうるう様も似たような状況にいらっしゃるならと思い声をかけました!」

「……今日は調子が悪いから早退させてもらいます。残りの書類は明日書くから」

「はい! うるう様が頭痛がすると転げ回っていたと伝えておきます!!」


 実にできる助手だと思った。次の査定では大いに評価しなければとも。

 マッティアは急いで研究所を出ると馬車をひろい、グレタの職場へと急いだ!


「何でだろう、なんでこんなに胸騒ぎがするんだろう」





 まだ昼を少しまわった時間、マッティアが馬車でグレタの職場へ急いでいると、途中の通りでグレタらしき後ろ姿を見かけ慌てて馬車を止め、追いかけた。

 大通りから裏道へ入る後ろ姿をとらえると、マッティアは大声で叫んだ。


「グレタ!?」

「マッティア!?」

「よかった、グレタに間違いないと思っていたけどこんな時間に外を歩いているから、もしかして違ったらと思って……」

「マッティアこそどうしたの? こんな時間に! お仕事は?」

「今日は何故だか仕事が手につかなくて放り投げてきた」


 マッティアは喋りつつも走ってあがった息を整えながらグレタの右手に握られた荷物に手を伸ばした。


「放り投げてきてよかった。グレタ、これは何? 何処へ行くの?」


 グレタの右手には大きな革の鞄が握られていた。

 買い物に行くには大きすぎるし、グレタの服装はまるで旅の装いだった。


「これは……」

「グレタ、最近何か隠し事をしてるよね? 僕に相談できないほど……僕はそんなに頼りない?」

「頼りないなんてことない。でも……でもこれはっ」


 グレタは今にも泣きそうなほど困った顔をしていたが、マッティアは引き下がらなかった。今ここで引き下がったらグレタの心が離れてしまいそうだと思ったのだ。


 内心焦ってはいたがグレタをやさしく諭すように声をかけた。


「グレタ……」

「ごめんなさい、ごめんなさいマッティア」

「何がごめんなさいなの? グレタは何も悪いことなんかしてないだろ?」

「わたし……マッティアに黙って……本当は……」


 その時、ふとマッティアはグレタの鞄についている外ポケットからはみ出す封筒が目についた。

 見たことのある封筒だった。


「これは、船舶のチケット?」


 中身を確認しようと一度鞄から手を離し封筒に触ろうとすると、グレタは鞄を思いきり持ち上げ胸にしっかりと抱いてしまった。


「なんで? なんで来ちゃったの!? 私マッティアに会いたくなかった! こっそりとここを出るつもりだったのに!」

「ここを出る……!?」

「そ……そうよ。私、海外へ行くの!」

「グレタ、何を言ってるの!?」


 マッティアからはグレタが持ち上げた大きな鞄のせいでグレタの顔がよく見えなかった。


 マッティアが一歩近づくとグレタも一歩後退するといった様子で近づくこともかなわなかった。


「どのくらい? いつ帰ってくるの? 何で!?」

「ずっと……ずっとよ。もうここへは帰らないわ」

「グレタ!? どうして!? 一緒に……僕と一緒にいてくれないの?」


 急にどうしたんだろうと マッティアはグレタと過ごした日々を振り返るがいつ、どこでグレタをこんなに怒らせ、嫌われてしまうような事をしてしまったのかと懸命に理由を探したが分からない。


 謝ることでグレタの考えがかわるならいくらでも謝りたい、今一度冷静に考え直してほしいと懇願した。


「ごめんねマッティア……わたしは……好きな人とは供に老いていきたいの!」


「!?」


 マッティアがショックに体を凍りつかせると、グレタはそのまま走り去ってしまった。

 最後まで表情は見えなかった。


「……どうして」


 小さく呟くとマッティアはそのまま大粒の涙を流した。


 "うるう様"ではグレタと供に老いる事など叶わない。


 生まれてはじめて、"うるう様"に産まれたことを……母親でもない、父親でもない。神を憎んだ。




 ◇◇◇◇◇




 外出先でちょうどグレタと同じくらの背丈で明るい茶色の髪の毛をもつ女性を見ると、心臓が高鳴るんだ。


 君は何処に行ったのだろうか?


 君の笑った顔も、泣いた顔も、怒った顔も……可愛らしい声も、忘れたいのに忘れられない。

 この記憶力を呪うしかないのかな? いや、忘れたくない。


 グレタが去ってしまってからある事を調べ始めたんだ。

 今までずっと怖くて避けてきたけれど、向き合うことにしたよ。


 君の隣には夫がいるのだろうか?

 君の隣には子供がいるのだろうか?

 笑ってる?

 幸せにしてる?




 ◇◇◇◇◇




 月日は無情なほど淡々と過ぎ、マッティアは21歳になっていた。


 身長はすらりと伸び、美しい金髪に空色の瞳を持つマッティアにしばしば若い女性が見とれ立ち止まることもあった。


 が、マッティアは女性と付き合うことはしなかった。

 もう50年以上もたったのに、未だにグレタの言葉はマッティアの心臓に突き刺さったままだったからだ。



「うるう様、弟様が面会にいらしてます」


 マッティアは現在、以前から勤めていた研究所を退職して国が新しく創設した研究施設の研究長として相変わらず忙しい日々を過ごしていた。


「わかった。ここに案内してもらえるかな?」

「かしこまりました」


 秘書の女性は軽く頭を下げると一旦退室した。

 ちょうど仕事が一段落していたマッティアはカップに入れた冷めた紅茶を一口飲むと弟が一体何の用事があるのだろう? と、首をかしげた。


「兄さん、突然悪いね」

「気にしないで。それよりもどうしたんだよ突然!」


 秘書に連れられ部屋に入ってきたマッティアの弟は兄にハグを求めると久しぶりの再会を喜んだ。


 5つ年下の弟は今年で80歳、まるで祖父と孫だ。

 ソファに座りテーブル越しに向かい合うと、マッティアの弟は何処から話したらいいものかと考え込んでいる様子だった。


「いやぁ、兄さんに伝えなくちゃと思って急いで来たんだ」

「何を?」

「……昔、隣に住んでたグレタお姉ちゃんを覚えてる?」

「!?」


 弟が突然グレタの名前を出したことにマッティアは驚きテーブルに膝をぶつけておおいに痛がった。


 今もマッティアの弟は結婚してからも生家に住んでいる。隣にあったグレタの生家は、グレタの母親が亡くなったあと、誰も住んでおらず空き家のままだった。


 ところが今日の朝早く、隣の家に一台の馬車が止まり一人の中年男性が訪ねてきたという。


「隣が空き家とわかるとうちに声をかけてきたんだ。"こちらに住んでいたグレタという女性をご存じですか?"ってね」

「そ……それで?」

「グレタお姉ちゃんの事はよく覚えてたからね、家に上がってもらって詳しく話を聞いたんだ。そうしたら……」



 マッティアは弟の話を聞くなり急いで外へ飛び出し走り出した。

 行き先は訪ねてきた男性の泊まるホテルだった。

 ホテルへつくなりロビーに駆け込むと、宿泊している男性を呼び出してもらった。


 ロビーに併設されているカフェで男性を待つ間、マッティアは目をつぶり呼吸を整え、頭の中でグレタと過ごした日々を振り返っていた。


 弟の話はこうだった。


「男性は海外からやってきた貴族の方だと名乗ったんだ。どうやらグレタお姉ちゃんは彼の屋敷に住み込みで勤めていたらしいよ。家族がいるかは聞かなかったけど、離しぶりからすると今グレタお姉ちゃんは一人でいるみたいで、半年前屋敷で突然倒れたそうなんだ。どうやら今も目を覚まさないから、もしグレタお姉ちゃんの親族がこっちにいるようなら会わせてあげたいと思ってわざわざ訪ねてきたって話なんだよ。グレタお姉ちゃんに兄弟はいないし……どうしたらって考えたんだけど兄さんのほうがよく知ってると思って伝えに来たんだ」



 マッティアは3日違いのグレタの誕生日を忘れたことがなかった。グレタは今85歳、まさかもう一度会える機会が来るなんて夢にも思っていなかった。


 でも、グレタの容態はどうなんだろうか?

 もう一度目を覚ます可能性はあるんだろうか?

 それよりも自分は彼女に会わせてもらえるんだろうか……?

 様々な考えがマッティアの頭の中に沸いていた。



「わざわざ来ていただいてすいません、マッティアさんでよろしいでしょうか? 私の国でも"うるう様"の話を聞いたことがありますが、まさかお会いできるとは光栄です」


 しばらく待つと仕立てのいいスーツを着た男性が現れ挨拶をした。

 年の頃は50歳くらいだろうか。彼はとある国の侯爵であると自己紹介してくれた。


「はじめまして。突然で申し訳ないのですが、あなたはグレタの……?」

「彼女は私の乳母でした。彼女には夫も、子供もいないんです」


 マッティアはこの話を聞くまで彼の顔にグレタの面影があるのではとじっと見つめていた。

 グレタが誰とも結婚していなかったと聞き、少しホッとしていた。


「そうでしたか。すいません、年齢的にもしやと思い出しまして。でもグレタはなぜそちらの国に?」

「無理もありません。グレタは私の父が彼女の父親の借金を肩代わりするという事で、返済の為に我が家で働いてくれていました。全ての借金を返し終わったところで国へ帰る話も提案したのですが、彼女はその後も我が家で働くことを望んだ為、今に至ります。最も、この20年くらいはゆっくりしてもらっていましたが」

「グレタは父親の借金を……!?」


 考えてみればグレタはマッティアの元を去る前に父親の話をしていた。

 でもまさか父親のつくった借金を肩代わりしていたなんて、考えもしていなかった。


 若かったとはいえ、グレタの変化に気づかなかった自分を殴りたくなった。


「弟からだいたいの話は聞きました。グレタの容態はどうなんですか?」

「医者が言うには容態は安定しているそうです。が、一向に目を覚ます様子がなくどうしたものかと悩んでいました。ふと、彼女が昔から懐かしそうに故郷の話をするのを思い出しましてね。我が家でずっと面倒を見るのは一向にかまいませんが、こちらの病院に転院する事が彼女の為になるかなと考えたんです。ご親戚がいらっしゃれば彼女に会わせてあげたいとも思いまして」

「そうですか! 目を覚ます可能性が少しでもあるのならぜひ私に協力させてください!」



 男性はマッティアがグレタの面倒を見るという申し出を、快く受け入れてくれた。


 さっそく家に帰るとしばらく休みをとり、グレタが帰ってくる為の準備を始めた。


 まず、職場からも近く海が見渡せる高台に建つ立派な屋敷を購入し一室にグレタの部屋を儲けた。

 そして住み込みの看護師と、毎日往診に着てもらえるよう医師の手配を整えた。



 受け入れを申し出てから一ヶ月、穏やかな春の日に静かに寝息をたてるグレタはマッティアの屋敷へやってきた。



「グレタ、久しぶりだね。わかる? マッティアだよ」


 さらりと風になびいていた明るい茶色の髪の毛にはかたい白髪がまじり、顔や首、手にも彼女が生きた証のシワがたくさんあったが、マッティアはひと目グレタを見るなり懐かしさと、変わらぬ愛おしさに涙腺をゆるめた。


 そして、彼女の胸に輝く四つ葉のクローバーのネックレスに胸がいっぱいになった。


 グレタはマッティアを忘れようとしていた訳ではなかった。


 細く軽くなった手をとると、優しく両手で握りしめた。

 骨ばった手はあたたかく、グレタが懸命に生きようとしていることがわかり胸を撫で下ろした。




「おはようグレタ、今日は風が強いから窓を閉めておくよ」

「ただいまグレタ、花を買ってきたよ」

「おやすみグレタ、いい夢を見てね」


 それから毎日、マッティアはグレタに話しかけた。

 反応は返ってこないけれど、穏やかな寝顔を見ているだけで幸せだった。


「グレタ、逃げるように遠くに行ってしまった君を勝手に引き戻してしまって、君は怒ってるかな? 喜んでいるのは俺だけなのかな?」


 綺麗な満月が空に輝く夜、仕事から戻ってきたマッティアはグレタにただいまと声をかけると、そのままベッドの横に置いた椅子に座り話しかけた。


 なんとなく、今日はグレタにあれこれと話をしたくなったのだ。


「君が出て行ってしまったのはおじさんの借金を肩代わりしたからだと聞いたよ。僕に迷惑をかけまいとあえて黙って出て行ったんだよね? 優しくて意地っ張りなグレタらしいね。

 ……グレタが懸命に働いているなんて知らず、僕は勝手に絶望していたよ。生きているのが辛いと感じてた……。それで少し調べたんだ、過去僕と同じように"うるう様"として生きた人達の最後はどうだったんだろうって」


 マッティアはグレタが遠く離れてしまってから今まで知ろうとしなかった……いや、あえて知ろうとしていたかった過去の"うるう様"たちについて調べたのだった。


 資料はなかなか見付からず、国立図書館の一般公開されていない書籍の開示を求めてようやく見ることができた。

 その本は人目につかない奥深くにひっそりと保管されていた。


 うるう様として産まれたら、人生80年だとしてその4倍もの時間を生きねばならない。

 もちろん病気や怪我、事故で早くに亡くなる者も多いだろうと思っていたのだが、結果は……なんとなく予想できていたものだった。


「"うるう様"の亡くなる理由で最も多かったのが、自死だったんだ。なんとなく分かってたけどね。愛する人や家族を失ってなお数百年生きねばならない……辛いね。

 だから一時期思ったんだ。いつかグレタが亡くなったと知ったら僕も……ってね。嫌われているかもしれないのに後を追うなんて、君は驚くだろうね」


 グレタの手に自身の手を添えながらぽつりぽつりと話をしていると、かすかにグレタの手が動いた。


「!? グレタ?」


 わずかな変化も見逃すまいとマッティアは立ちあがり、グレタをのぞきこむと優しく、しかし力強く声をかけた。


「……」

「グレタっ!!」


 マッティアが握る手は弱々しくだがマッティアの手を握り返し、微かに唇が動いた。何か話そうとしているグレタの唇に耳を近づけた。


「……め、だめ」

「だめ? 後を追うなって? うん、うん分かったよグレタ、今すぐに先生を呼ぶから……お願い、起きていて?」


 マッティアはグレタが目を覚ました感動と喜びで、気がどうにかなってしまいそうだった。

 医者を呼ぼうと慌てて部屋を出るのに椅子に足を引っかけて倒し、扉に体をぶつけたが痛みなど感じなかった。


 医者はグレタを診察するとマッティアと共に目が覚めたことを喜んでくれた。

 暫くは安静にしていなければいけないが、食欲が戻り体力が回復したら車椅子での外出も出来るようになるだろうと言って帰った。


「グレタ、良かったね。あとは体力を回復させるだけだって。まだ起きたばかりで長く話すのも辛いだろうから、今日はおやすみ」

「……まって、マッティア」


 グレタはか細い声を絞り出すように話すと部屋から出ていこうとするマッティアを止めた。


「なに? 僕も沢山話したいけど、グレタの体を優先しなきゃ」

「いいの、お願い……話をきいて?」

「うん、わかった。ゆっくりだよ。疲れたらすぐに止めようね」


 マッティアは再び椅子に腰かけると仰向けに寝たままのグレタの髪の毛を優しく撫で、静かに話を聞いた。


「マッティア……たくさん、たくさんごめんなさい。それに、ありがとう。今更マッティアにどんな顔をして会えばいいのかって……マッティアを傷つけた私にはあなたに会う資格なんて……ないと思ってたの」


 マッティアはそんなことはないと言うように静かに首を横にふった。


「私、あの日マッティアに本当に酷いことを言ったわ。……マッティアに嫌われようとしたの。父の借金を肩代わりしたのを言い訳に、マッティアから離れようとした。

 ……わたし、本当は自分に自信がなかったの。みて、今の私すっかりおばあちゃんだわ。それに比べてマッティア……すごく格好良い。私ね、いつかマッティアが先に老いていく私を……見てくれなくなるんじゃないかって、怖かったの……だからそうなる前にマッティアから離れようとしたの……本当に、ごめんなさい」


 グレタの瞳には涙があふれ枕を濡らした。

 マッティアはハンカチでグレタの涙を拭うと、自身も涙しつつ大きく首を横にふった。


「……バカだなグレタ。君は今でも僕の天使だよ。グレタは僕を見た目で判断していた? 子供扱いしていた? 違うだろう。僕もおなじだよ。

 僕がいつからグレタの事を好きだったか言ってなかったね……。グレタは僕より3日あとに産まれたろ? 僕には産まれたときからの記憶も鮮明に頭に残ってるんだ。君が産まれて新生児室へ入てきったとき、僕の隣のベッドに寝かされていたんだよ? まだぼんやりとする視界のなか、グレタと目があったんだ。グレタの魂は眩しいほど美しくて、僕は産まれたばかりなのに不思議とこれは運命だ、この子に恋をしてしまったんだと感じたんだ。お願いだ、もう僕から離れないで」


 二人はかたく手を握ると笑った。流す涙は月の光をあびて美しく輝いていた。


 それから数か月、グレタは順調に回復して車椅子外出できるようにもなった。


 マッティアは忙しくしていた仕事をセーブして献身的にグレタに寄り添った。二人の仲の良さは評判だった。


 木々が訪れる冬に備えて頬染める秋、マッティアとグレタは二人きりで結婚式をあげた。

 二人きりで協会で式をあげることはグレタの希望だったが、人々は祝福し屋敷はお祝いの花で満杯となった。


 生きてきた年月の中で一番幸せなときだったのかもしれない。

 愛する人が隣にいて、何のしがらみもない。屋敷から寄り添い海を眺めるとこんなに幸せでいいのだろうかと疑うほどだった。


 そんな幸せな日々は3年続いた。




「グレタ、今日は初雪が降ったよ。寒くない? もっと火をくべろうか?」

「いいえ。ちょうどいいわ、ありがとうマッティア」


 グレタは寒さからか、体の調子が悪く寝込む日々が続いていた。

 医者が言うには心臓が弱ってきているのでとにかく安静に、とのことだった。


 この日も仕事を早く片付け屋敷へ帰ってきたマッティアは看護師にグレタの様子を聞いてから部屋に入った。


「わたし、いよいよダメなのかもね」

「どうして今日はそんなに弱気なの? 大丈夫、春になるまでにはまた良くなるよ。そうしたらグレタの誕生日をお祝いしなきゃね」

「マッティアの誕生日もね」


 グレタは手を伸ばしてマッティアの手を求めると、帰ってきたはかりで冷えているマッティアの手をさすり暖めた。


「ねぇマッティア、約束してほしいの」

「なぁに?」

「前に……過去のうるう様たちの、亡くなった理由の話をしてたでしょ?」

「あぁ、そうだったね」

「あのね、酷かもしれないけれど……私がもし天に昇ってしまっても、マッティアはマッティアの人生を謳歌して、自ら人生の道を絶たないと約束して?」

「……どうして今そんなことを?」

「なんとなく、いつか言わなきゃと思ってたけど……今伝えたくなったの」


 暖まったマッティアの手は乾いたグレタの頬をなでた。表情はいつものように優しいけれど、悲しみがあふれている。


「お願い。長い、長い人生だと思うわ。私が居なくてもきっと心暖まる素晴らしい出来事がたくさんあるはずよ。私に縛られず、マッティアは神様に与えられた使命をまっとうしてほしいの。うるう様に産まれたって事は何かしら、マッティアが必要だったからよ。

 私、ずっと待ってるから。待って、またマッティアと一緒に生まれ変わりたい」

「……分かったよ。もし、万が一そうなったとしても僕は……与えられた命が燃えつきるまで、ここで頑張ってみるよ。いつかグレタに追い付く日まで」

「……ありがとう。約束してくれてありがとう。マッティア、本当に愛してるわ」


 窓に柔らかに打ち付ける初雪を眺めながらグレタは安心したようにほほ笑み、艶やかなマッティアの髪の毛をなでた。



 その年の冬、雪が積もり街が静まり返る日にグレタはマッティアに見守られながら静かに、天に昇っていった。




 ◇◇◇◇◇




「おじいちゃん、はい! おはなやさんですよー」

「おや、綺麗だね。ありがとう」


 よたよたと、左右に軽くふらつきながら歩く女の子が"おじいちゃん"と呼ぶ男性の座る膝にピンク色の小さな花を置いた。


 ありがとう、と言われると得意気に鼻を膨らませ「もういっかい!」と庭園に駆け出していった。


「あら、お花ちぎっちゃって! うるう様ごめんなさい。せっかく綺麗に咲いていたのに」

「いいんだ、花は生命力が強いからね。また咲くよ」


 73歳になったマッティアは3年前、仕事をリタイアし広い屋敷の庭園を一部公園として解放して、天気のいい日には木陰で絵を描いたり、訪れる人々と喋ったりして過ごしていた。


 マッティアが生きた数百年、彼のおかげで不治の病と言われていた病気は少なくなり、国の治安は良くなり、経済発展も目まぐるしく国も国民もより豊かになっていた。


 3年前までは国の首相として16年にわたり手腕をふるい、国民に親しまれていた。

 なのでこの公園に訪れる人はとても多い。


「おじいちゃんまたおはなしして?」

「何のおはなしがいいかな? ても、そろそろ日がくれるよ。おうちに帰る時間じゃないのかな?」

「えー、はやーい」


 マッティアは子供たちにも好かれているようで木陰にはいつの間にか子供たちがあつまっていた。


「本当! そろそろお夕飯の支度をしなくちゃ。さぁ、帰るわよ。ごあいさつして?」


 母親たちが帰り支度をはじめると、子供たちは一人ずつマッティアの前まできてあいさつをはじめた。実に躾がいい。


「さようなら、おじいちゃん」

「ばいばーい」

「またあしたね、さようなら」


「はい、グレタさようなら」

「ばいばい、マリー」

「あぁ、グレタまた明日だね」


 子供たちは母親と手を繋ぐと、名残惜しそうに帰っていった。

 マッティアもそろそろ、と椅子から立ち上がろうとしたところ目の前に手が差し出された。


「うるう様、屋敷へ帰られますか?」

「あぁ、すまないね。ありがとう」


 通いで来てもらっているメイドが迎えに来るとマッティアも灯りがともる室内へ入っていった。




「ねぇおかあさん、なんでわたしとおんなじなまえのおんなのこがおおいの?」


 母親との帰り道、お花やさんごっこが大好きな少女グレタは、唐突に質問をした。


「グレタってお名前はうるう様が愛した人の名前なのよ。長い人生でその人だけ。だからあやかってグレタって名前をつける人が多いの。幸せになりますように、素敵な男性にめぐり会えますようにって」

「あやかるってなぁに?」

「えー、っとね」

「めぐりあいってなぁに?」

「あぁ、またなぁにが始まっちゃった!」




「ごちそうさまでした」

「あら、今日は間食でもしましたか?」


 マッティアは夕飯を食べ終えると気だるげに首をまわした。

 いつもなら綺麗に完食しているはずの食事が半分も残っていた。今日のメニューはマッティアが好きな鳥の香草焼きだったのに、それも完食していなかった。


「悪いね、なんだか調子が悪いのか食欲があまりないんだ。肩も首もカチコチなんだよ」

「あら本当に! こってますね」


 すでに成人した子供が二人いる恰幅のいいメイドはマッティアの肩をマッサージしはじめた。


「今日は早く寝るとするかな。昼間いい天気だったから、ベッドに潜り込むのが楽しみだよ」

「お日様にたっぷりあてましたからね、よくお眠りください。明日はもう少し消化に良さそうなものを作りますね」

「ありがとう」


 マッティアは2階にあがり部屋に入ると、海側の窓を開けて風にあたった。

 この屋敷にはグレタとの幸せな日々が詰まっているからと、長年改修を重ねて住み続けている。


「もう歳だな……体のあちこちが傷むしこんなに重いなんて。まだグレタに追い付いていないのに困ったね」


 マッティアはベッドに入ると静かに目を閉じた。

 寝入りに心の中でグレタにおやすみと声をかけるのも習慣のひとつとなっていた。




『マッティア、マッティア!』

『ん……?』

『おはようマッティア』

『グレタ!!』


 もう寝付いたのだろうか? ここは夢の中なのだろうか? マッティアが目を開け起き上がると、目の前には若かりし頃のグレタがいた。


『あぁ、グレタ! これは夢? それとも……』

『見てマッティア、私たち同じよ?』


 グレタに言われ繋いだ手を見るとゴツゴツと固い枝のようになった手は、不思議なことにみるみるうちに若返っていった。

 あぁ、ようやくグレタに追い付いたんだと、マッティアは満面の笑みでグレタを抱き寄せた。


『グレタ、話したいことがたくさんあるんだ』

『たくさん聞かせて。わたし、ずっとずっとマッティアを待ってたの。私との約束を守ってくれてありがとう』

『待っていてくれてありがとう』




 その晩、眠りについたマッティアは目を覚まさなかった。その顔は安らかで口元は幸せそうに微笑んでいた。

 皆、マッティアがグレタのもとへ無事たどり着いたのだと噂した。




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