上
「なんだ? あれ」
ボルジア陸軍、ゴンザレス中尉は見上げた。
目の前に、巨大な鋼鉄の猫がいる。
例えとかではなく、形そのものがどう見ても、猫。
「おお。来てたか」
振り返る。
軍の技術士官、ハリコフ博士だった。
よれよれの白衣、ボサボサの髪、曇ったメガネ、伸びたままの口ひげ。
「なんだよ、あれ。俺、てっきりテストパイロットに呼ばれたものと」
「うむ。あれに乗ってくれ」
ハリコフ博士は巨大猫を指差した。
「いや、だから、なんなんだ、あれは!」
「新兵器」
「?」
「自動機械化獣兵器、略して【機獣】。そしてあれは、試作機の猫型機獣じゃ。名づけて【ネコ】」
「そのまんまかよ!」
ゴンザレスは天を仰いだ。
「ていうか、なに? なんなの、あれ? どうしてあんなの作ったの?」
ゴンザレスは矢継ぎ早に質問をぶつけながら、ハリコフ博士の襟元をつかみ、前後に揺さぶる。
「く、苦しい」
はっとして手を放す。ハリコフ博士は咳き込み、息を整える。
「げほげほ、今から話してやるから」
一ヶ月前。
ゴンザレスは今日と同じくテストパイロットとして呼ばれていた。
試験をするのは、開発した新しい駆動システムや、操縦システム。
晴れた空の下、軍の広大な訓練場で一台の戦車が走っている。
キャラピらを鳴らし、重々しい走行音を響かせるが、動きは軽快だった。
ハリコフ博士が無線で「ああしろ、こうしろ」と指示を出す。
戦車はその指示通りに左右に旋回したり、砲塔を動かしたり、指定された的にペイント弾を撃ったりした。
「よし、次は右だ」
『了解』
無線からゴンザレスの応答が聞こえた。
声の調子から、テストは上手く行っているようだ。
が、戦車が右を向こうとしたとき、キャタピラが千切れてしまった。
ハリコフ博士も駆け寄った。
キューポラから黒煙が噴き出し、ゴンザレスは煤で顔を真っ黒にして咳き込んでいた。
「大丈夫か」
「まったく、ふざけんなよ! キャタピラが切れたと思えば、今度は煙かよ!」
「ふむ。今度こそはと思っていたが」
「ああ。全視界モニターに、全自動装填に、命中精度のいい照準と砲台。そして動かしやすくなったハンドル。戦車の一人乗りができるようになったのはいいが、こんなんじゃ不安で乗っていられないよ」
ゴンザレスは水道まで顔を洗いに走る。
その後、別の戦車に乗り換えたり、他の軍用車両……装甲車や自走砲、輸送トラックなど……でテストしたが、結果はいずれも芳しくなかった。
昼飯時になった。
ハリコフ博士は一人で外に出た。
向かったのは訓練所近くの商店街。
そんなに発展していない、こざっぱりとした下町という風情だ。
適当に町を歩き、どの店に入ろうかと考えていると、一軒の魚屋に通りかかった。
店主は店先に立ち、時折来る客に対応していた。
そのときだった。
ハリコフ博士の足元を何かが走りぬけた。
「?」
一匹の茶色の猫だった。
その猫が、店先に並ぶ魚に向かって走っている。
「あっ! またきやがったな!」
魚屋は猫の前に立ちふさがり、両腕を広げ、腰を落として仁王立ちになる。
猫の動きは俊敏だった。
捕まえようとする魚屋の腕を避け、素早く股の下をくぐった。
「しまった」
魚屋が振り返る。
「ほう」
思わず、声を漏らした。
猫の体は小さいものの全身のばねが強く、商品棚に飛び乗った。
魚屋が振り返ると、猫は魚を一匹くわえていた。
「やろう! その魚は市場で一番いい奴だったんだぞ! 返せ!」
魚屋が飛びつく。
一方、猫は商品棚の上に座っていた。その姿勢から突然のジャンプ。
商品棚に突っ込む魚屋の頭を踏み台にして、静かに地面に降り立った。
「だ、誰か、その猫を!」
「よ、よし!」
ハリコフ博士は両腕を広げた。
魚をくわえたまま、疾走してくるその猫は、ハリコフ博士に気づいたようだ。
しかし、逃げずに向かってくる。
「むっ」
捕まえられると思った。
が、猫は腕に飛び乗り、それから肩、そして頭へと駆け抜けられてしまった。
「うわっ」
猫の走りはこんなに速かったか?
頭を蹴られ、のけぞってしまう。
そして、壁のわずかな出っ張りに足をかけ、一気に民家の屋根に駆け上がる。実に素早い動きだった。
「いたたたた」
「おい、おんた、大丈夫か?」
当の猫は盗んだ魚をくわえ、人間の手が届かない場所を悠々と歩いていく。
「これじゃ、と思ったよ。あの猫の動きがヒントになった」
「それで、できたのが……?」
「あれ」
ゴンザレスは再び、鋼鉄の巨大な猫に目をやった。
「どうかね?」
「そうだな。この前よりはマシかな。機関銃が乗った四角い箱に足が付いて、後ろから兵士が有線ラジコンで動かすのよりは」
「首の後ろがコクピットじゃ。乗ってみてくれ」