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職業→傭兵  作者: 谷澤御嶽
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第一章 第一話

 耳からはザザーンと波打つ海の音、鼻からは少ししょっぱい潮の香りがする。目をゆっくりと開けると、何かが吊り下がった薄汚い木製の屋根が視界に入った。手を動かすと、白い砂のサラサラとした触感が伝わってくる。長い間同じ態勢であったのか、体中が痛くて、何となく痒い。


 寝起きの頭で辛うじて認識したそれらの情報が、ただただ頭をグルグルと渦巻いている。僕はここで何をしているんだ? そもそもここは何処だ? なぜ僕はこんな状況に置かれているんだ? ……ただ疑問と、認識されただけの情報が、何一つ結びつかずに、確かな定点を持たずにフラフラと彷徨っている。


…………。


 ようやく頭が活動をし始めたようだ。周りをざっと見渡した限り、僕はどうやら海辺の小さな小屋か何かの中にいるらしい。それも、ただ砂浜に板を立てて、屋根を取り付けただけの極めて簡単な作りの小屋だ。まあ、掘っ立て小屋のようなものだろうか。そこに僕はいるようだ。


 とは言っても、小屋の中に漁のための道具、例えば釣り竿や魚籠、漁網といったものは見当たらない。その代わりに汚い袋のようなものや錆びて朽ちかけの剣と槍のようなもの、木製で腐りかけの杖っぽい何か、触れたらすぐバラバラになりそうな本など、良く分からないものが散乱している。ああ、それと死体、正確に言えば人の骨のようなものが一体か二体ほどあった。


「……意味が分からないです」

 

 そう呟くしか、今の僕には出来なかった。それ以外にどんなことができるというのか。むしろ、これだけ呟けただけでも褒め称えて欲しいくらいだ。誰にと言われても困るが。まあ、ともかく直ちに僕が何か行動を起こさねばならない状況にはないようだし、一つ一つ疑問を解決していくことにしよう。

 

 まず、どうしてこんな状況になっているのか、考えてみることにする。

 

 都内にある大学に通う学生であるところの僕は、何の役に立つのか分からない、まったく興味本位で受けた授業を受講した後、何の面白みも無い大学の建物をあとにして帰宅する途中に、趣味――にしたいのであって、未だ趣味とは言い難い――居酒屋巡りを敢行していたのであった。正直僕はお酒が得意ではなく、味もいまいちよく分からないのであるが、一度決めた以上は何とかして趣味にしなくてはならない、という謎のプライドを守るべく、一週間に一度は居酒屋、酒場、バーを巡っているのである。

 

 あの日は、ちょうど週に一度の居酒屋デーであったのだった。当初はチェーン店を巡っていたのだが、ある日知り合いにこのことを話したら、「いかにもにわかっぽいな(笑)」とか言われて腹が立って以来、裏通りのこじんまりとした、真の通しか来ない店を探すのが習慣となっている。

 

 あの日も、大学前から続く賑やかな大通りをしばらく歩いて、大通りの横、忘れられたかのような細い居酒屋横丁的なところに入り、いかにも通な店ですよ感を醸し出している店を探して数十分。その日もようやくそれらしきバーを見つけ出したのだった。期待と不安を感じつつ、いざ店内へと入っていったのであった。


 バーは薄暗く、数人いた客も皆怪しさを漂わせていた。特にマスターと思しき、やたら背の高い男は怪しさが飛びぬけていた。怪しさの塊が服を着て歩いているようであった。そのマスターに操られるかのように、僕は店に入り、マスターの目の前のカウンター席に座った。


 僕が傍らにあったメニューを手に取り、どれにしようか決めていると、マスターがすっと手を出してきた。そしてメニューを取り上げ、不気味な笑みを浮かべて掌をこちらに向けてきた。ちょっと待ってろ、ということだろうかと思い、僕は背中に冷や汗をかきながら、鳥肌を立てながらもじっと待っていた。


 一分くらいたったのだろうか。マスターが、グラスになみなみと注がれた謎の飲み物を僕の目の前に置いた。まるで何もそこにないかのように透明で、匂いも特にしなかったのだが、それが逆に不気味であった。怪訝な表情をしつつ顔を上げると、マスターは口角が不自然に吊り上がった笑みを浮かべていた。

 

 僕は観念して、目の前の飲み物を飲み干すこととした。重厚感のあるグラスを手に取り、縁に唇をつける。ゴクゴク。


「……うまい!」


 こんな美味しい飲み物は今まで飲んだことがなかった。何とも形容しがたい味ではあるが、とにかく美味しかった。僕は一気に飲み干した。それが、僕のあの日、あの時に感じた最後の感覚であった。


 …………。

 

 うーむ、改めて考えてみると、まったく訳が分からない。やはりあの飲み物に何か入っていたのだろうか。……っ。頬をつねってみたが、痛いところをみると、あの飲み物のおかげで寝ているわけではないようだ。どうも、あのバーでの出来事から今の状況は説明しづらいようだ。


 もうここで考えていても埒が明かないな。というか、もうこれ以上骸骨さんと一緒の空間に居たくはないし。とりあえず外に出てみるとするか。ということで、僕は小屋の入り口の扉のノブらしきものに手を掛ける。腐りかけで今にも壊れそうだったが、まだ何とか扉としての役割を果たしていたようだ。ギイイと、すごい音を鳴り響かせつつも、扉は開いた。


 外に出ると、やはり砂浜の広がる海岸であった。潮の香りが小屋の中よりも強烈に漂ってくる。海は延々と遠くまで続き、島影は特に見当たらない。海岸には人っ子一人なく、後ろの小屋のほかに建物らしきものも無いようだった。方角は分からないが、小屋を出てはるか右の方には町のような、港のような、……港町らしきものがあるようであった。


「とりあえず人のいそうなところに行ってみるようかな」

 

 ここがどこであるにせよ、一応人が住んでいる場所であることには違いない。ここが外国で、言葉が通じない可能性があるにせよ、身振り手振りで何とかなるだろう。そう考えた僕は、ひとまずこのゴミ置き場のような小屋から抜け出し、街に向かうこととした。


「……いや、その前に……」

 

 僕はふと思った。街に向かうにしても、僕は今何も持っていない。いわば着の身着のまま状態だ。……あれ? 僕の服がいつの間にか替わっている? 僕がここに来る前まで着ていた、擦り切れたジーパンに何とも言えないデザインのパーカーから、如何にも中世の人が着ていた服を再現してみた感あふれる服に替わっているのだが。どうして今まで気づかなかったのだろう。少々動転していたようだ。


 まあ、それはさておき、僕は着の身着のままの状態である。持ち物も全て無くなっているようだ。……スマホも財布も無い。このままではどうにも恰好がつかないと言わざるを得ないだろう。ということで僕は、いったん小屋に戻り、使えそうなものを物色することとした。


「しかしなぁ。……ゴミしかないんだが」

 

 改めて見ても、使えそうなものは無さそうであった。壊れかけの剣だの槍だのしかない。ああ、あと汚い巾着袋か。これなら何かの入れ物に使えるだろうか。僕はそれを拾った。

 

 袋は布製で、なかなかの大きさであった。大体40~50cmくらいあり、巾着というには大きすぎと言わざるを得ないかもしれない。まあ、汚れてはいるが敗れていたりはしていないようであった。軽く土を払うと、まあまあ見た目も良くなった。中に何か入っていないかと思い、僕は袋の口に手を突っ込んだ。


「…………。あれ? …………。 え?」

 

 おかしい。何かがおかしい。いや、袋にとんでもないものが入っていたというわけではない。逆に、何も入ってはいなかった。なんと、僕はもうすでに袋に片腕全てを入れているというのに、袋のどこにも手が届いていないのである。いくら手を動かしても、ただ空を切るだけであった。

 

 慌てて腕を引き抜き、改めて巾着袋を眺める。やはり普通のちょっと汚い袋だ。特に変わったところはない。もう一度手を袋に入れてみる。やはり、指の先は袋のどこにも触れることはない。何度か同じ動作を繰り返してみたが、同じ現象が続くばかりであった。

 

 何なのだ、この袋は? 魔法の袋か何かなのか? 幾らでも物が入る的な……。一瞬青い何かが浮かんだけれど、気づかなかったことにしよう、そうしよう。要は、この袋には何でも物が入るのである。……とんでもなく便利な代物だな! ……と、同時にここはもしかして現実世界ではない可能性が加速度的に上昇しているぞ! いやいや、現実世界にも魔法はあるのである。何しろ、男性が三十歳を超え、かつある条件を満たせば魔法を使えるらしいからな!

 

 ……閑話休題。

 

 何でも入る袋というのなら、何でも入れちまおう! ということで、僕は小屋の中にある物を片っ端から袋にぶち込んでいくことにした。壊れかけの武器っぽい物やら、腐りかけの本に杖、更にようやく発見した金貨らしきもの数枚にハーブのような草まで、色々と袋に入れていった。袋に入れたものがどうなるか心配だったが、出したいものをイメージしながら手を突っ込むとたいてい手に触れるようになっていたので特に問題は無いようだった。人骨はどうしようかと思ったが、呪われたら困るので、小屋の片隅に小さな穴を掘って、そこに埋めておくこととした。


「じゃあそろそろ行こうかな」


 僕は小屋を出て、街へと歩き出したのであった。


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